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*&ruby(さっかーせんそう){【サッカー戦争】}; [#u2078685]
|>|戦争  |サッカー戦争|
|>|年月日 |1969年7月14日〜7月19日|
|>|場所  |エルサルバドル、ホンジュラス国境地帯|
|>|交戦勢力|エルサルバドル 対 ホンジュラス|
|>|結果  |米州機構(OAS)の調停により停戦|
|戦力  |エルサルバトル|[[陸軍]]:20,000名、[[空軍]]:1,000名・[[航空機]]約20〜30機|
|~|ホンジュラス|陸軍:12,000名、空軍:1,200名・[[航空機]]約30〜40機|
|損害  |エルサルバトル|700名(市民含む)|
|~|ホンジュラス|1,200名(市民含む)|
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1969年7月15日にホンジュラスとエルサルバドルの間で勃発した戦争。~
別名「100時間戦争」「エルサルバドル・ホンジュラス戦争」とも呼ばれ、2022年現在、[[レシプロ>レシプロエンジン]][[戦闘機]]同士の[[空中戦>ドッグファイト]]や[[撃墜]]が起こった最後の戦争としても知られている。~
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両国間の未確定[[領土]]問題や移民問題で長く蓄積されてきた嫌悪感情が、サッカーワールドカップの予選試合を契機に一気に爆発し、戦争に発展してしまった。~
しかし、開戦後まもなく、両国とも[[燃料]]・弾薬の備蓄が底を尽いて継戦能力を失ってしまい、OAS(米州機構)の調停により19日に停戦となった。~
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航空戦では「[[F4U]]対[[F4U]]((実際にはヴォート社製のオリジナルとグッドイヤー社の[[ライセンス生産]]機との対戦だった。))」や「[[P-51]]対[[F4U]]」という、アメリカ製レシプロ機同士の珍しい空中戦が行われている。~
別名「100時間戦争」「エルサルバドル・ホンジュラス戦争」とも。

**その後 [#e74eacbc]
こうして戦争にまで発展した両国関係の修復には10年以上の歳月がかかり、1980年にようやく国交が回復した。~
~
また、この戦争の一因となった「未確定[[領土]]」の問題解決はさらに難航し、2006年にようやく解決を見た。~
**歴史的背景 [#p9c5bcf2]

なぜサッカー戦争となったのかはさておき、ホンジュラスとエルサルバドル間で戦端が開かれた事自体は歴史的必然だったと言える。~
両国間では長らく緊張・対立が続き、いつ戦争に発展してもおかしくない情勢が形成されていた。

:エルサルバドル移民|エルサルバドルは外貨の大半をコーヒー農業に依存するモノカルチャー経済であり、富の大半が少数の農場所有者に集中して深刻な経済格差を生じさせていた。~
このため、エルサルバドル人貧困層が移民となって隣国ホンジュラスに流出した。~
ホンジュラス国内労働人口の10%以上をエルサルバドル移民が占めるに至り、移民と先住民との民族対立が激化。~
ホンジュラス政府は1969年に農地改革法を実施し、エルサルバドル移民から土地を没収して国外追放に処した。
:貿易摩擦|エルサルバドルはホンジュラスより先んじて1950年代から工業化を推進した。~
結果、エルサルバドル製工業製品がホンジュラス国内市場を圧迫し、工業化に利する海外資本もホンジュラスを避けてエルサルバドルに投資された。~
これによって両国間に経済的不均衡が生じ、ホンジュラス国内に憎悪を醸成した。
:係争地|エルサルバドル・ホンジュラス間の国境基準点となっていた河川は雨期と乾期とで変化が激しく、国境線が未確定だった。~
このため、両国の国境警備隊が帰属不明な土地を徘徊し、遭遇戦が続発していた。

**戦争の経緯 [#a3e18331]

:1969年4月|ホンジュラスのアレジャーノ大統領が農業改革法を実施。この法は事実上のエルサルバドル人追放法案だった。~
以降数ヶ月間に推定14000〜50000人のエルサルバドル移民がホンジュラスからの退去を余儀なくされた。~
この強制退去に際してはホンジュラス市民や[[民兵]]による残虐行為が行われた形跡がある。
:6月8日|サッカー・ワールドカップ予選、エルサルバドル対ホンジュラスの第1戦がホンジュラス首都テグシガルパにて実施。~
試合自体はホンジュラス代表が勝利。~
エルサルバドル代表の宿泊施設を暴徒が取り囲み、昼夜取らず爆音や罵声や投石を浴びせていた。~
また、エルサルバドル人女性がサッカーの敗戦を苦に自殺し、その女性の葬儀がまるで国葬のように扱われた(政府要人の参列・テレビ中継など)。
:6月15日|サッカー・ワールドカップ予選、エルサルバドル対ホンジュラスの第2戦がエルサルバドル首都サンサンバドルにて実施。~
試合自体はエルサルバドル代表が勝利。~
ホンジュラス代表の宿泊施設を暴徒が取り囲み、昼夜取らず爆音や罵声や投石や鼠の死骸を浴びせていた。~
ホンジュラス人サポーターがエルサルバドル人の暴徒に襲撃され、自動車150台が放火され、2名が撲殺された。~
また、エルサルバドル人女性がサッカーの敗戦を苦に自殺し、その女性の葬儀がまるで国葬のように扱われた(政府要人の参列・テレビ中継など)。
:6月15日|サッカー・ワールドカップ予選、エルサルバドル対ホンジュラスの最終戦がメキシコ首都メキシコシティにて実施。~
メキシコ政府は[[催涙剤]]を装備した機動隊員を投入して試合会場内に厳戒態勢を敷いた。~
試合自体はエルサルバドル代表が勝利。~
予選終了直後、ホンジュラス内に残留していたエルサルバドル移民が襲撃を受け、12000人近くがエルサルバドル領内に避難した。~
:6月23日|エルサルバドル政府が国家非常事態を宣言し、[[予備役]]軍人を招集。
:6月26日|エルサルバドル政府、自国民への迫害を理由としてホンジュラスとの国交断絶を宣言。
:6月27日|ホンジュラス政府、エルサルバドルとの国交を断絶して国防上の措置を執ると宣言。
:7月3日|エルサルバドル北西部エルポイの国境監視所にて[[空爆]]および[[歩兵]]戦闘が発生(経緯不詳)。~
:7月4日|エルサルバドル外務省は米州機構に向けてホンジュラス非難の声明を発し、米州機構の理事会が協議を開始。~
:7月9日|ホンジュラス領内インティブカ県の村落が襲撃を受ける。警官隊と衝突するも死傷者なし(ホンジュラス側の主張。真相不明)
:7月12日|エルサルバドル陸軍部隊が国境侵犯、10km侵攻した地点でホンジュラス陸軍と交戦。エルサルバドル兵14名が死亡。
:7月13日|同日早朝から3時間、両軍がエルポイにて交戦。~
同日、米州機構理事会はアルゼンチン、エクアドル、コスタリカ、ドミニカ、ニカラグア、グアテマラ、アメリカ合衆国の合同による平和維持団の派遣を決定。~
同理事会にてホンジュラス代表とエルサルバドルが同席するも、非難の応酬に終始して没交渉に終わる。
:7月14日|エルサルバドル政府、[[作戦]]行動の開始を決定。~
エルサルバドル[[空軍]]、ホンジュラス首都郊外のトンコンティン国際空港を含む十数箇所の[[軍事目標]]に[[空爆]]を実施。
[[空爆]]終了後、エルサルバドル陸軍が国境を越えて侵攻を開始した。~
7月15日|ホンジュラス空軍が[[航空優勢]]を確保し、エルサルバドル領内への[[空爆]]を実施。~
首都サンサンバドル近郊のイロパンゴ国際空港、港湾都市アカフトラの石油コンビナートなどが損害を受けた。~
一方、陸戦はおおむねエルサルバドル側優位に推移し、ホンジュラスは国境沿いの都市を次々に失陥。~
:7月16日|前日の[[空爆]]によりガソリン供給に支障をきたしたため、エルサルバドル陸軍の侵攻が停止。~
ホンジュラス代表、米州機構平和維持委員会に対し、エルサルバドル軍の撤退を条件として停戦に応じると発表。~
エルサルバドル側は停戦を拒否。現実から乖離したプロパガンダを放送するなど常軌を逸した強硬姿勢を取り始めた。
:7月17日|エルサルバドル政府、自国民への迫害の停止と戦争前の原状復帰を条件として停戦を承諾。~
しかしエルサルバドル陸軍は終戦に向けた戦闘停止命令を下さず、侵攻を続行。~
同日、ホンジュラス空軍のフェルナンド・ソト・エンリケス大尉が"史上最後のレシプロ戦闘機による空戦"にて敵戦闘機3機を撃墜。~
(後にホンジュラスの国民的英雄として喧伝された)
:7月18日|米州機構が停戦合意の成立を発表。停戦合意に基づいて両国軍を96時間以内に撤退させるよう求められた。~
しかしエルサルバドルのエルナンデス大統領は撤退を拒否し、侵攻を継続させた。
:7月19日|エルナンデス大統領、前線を視察中にホンジュラス軍から[[狙撃]]を受けたが、大統領は奇跡的に無傷だった(エルサルバドル側の発表。真相は不詳)。~
米州機構、エルサルバドル軍が停戦命令を無視して侵攻を継続していた事実を把握。
:7月21日|米州機構が緊急会議を招集。~
現地に派遣されていた米州機構監視団代表セビラ・サカサは米州機構によるエルサルバドルへの軍事制裁を示唆した。~
エルサルバドル陸軍はホンジュラス南部のバジェ県都ナカオメを包囲、首都テグシカルパに繋がる幹線道路を封鎖した。
:7月23日|米州機構による撤退要求から96時間が経過したため、ホンジュラス軍が戦闘を再開。~
ホンジュラス空軍が再び[[航空優勢]]を確保した。~
:7月29日|米州機構の席上において、エルサルバドル外務大臣は占領地域からの撤兵を発表。~
米州機構はエルサルバドル軍に対して8月3日18時までに撤退を終えるよう要求した。
:8月3日|米州機構顧問団の監視下にて、エルサルバドル軍全部隊の撤退が完了し、終戦。

**戦後 [#j62bee08]

エルサルバドルの帰還兵と大統領は終戦当初こそ英雄と讃えられたが、その栄光は長くなかった。~
10万人を越えるといわれる在外邦人が一斉に帰国したために国内は失業者で溢れかえり、またホンジュラスへの販路が消えた事で工業収入も劇的に悪化。~
1972年の大統領選挙を引き金に、エルサルバドルは反政府ゲリラと白色テロによる事実上の[[内戦]]に突入。~
この[[内戦]]は1992年まで続き、エルサルバドル経済を決定的に衰退させた。

一方、ホンジュラスは祖国防衛戦争を経てナショナリズムを唱え、政治的安定を獲得。~
隣国エルサルバドルも含めて中米各国が[[内戦]]に陥っていくなか、ホンジュラスは比較的平和な治政を維持した。

両国の国境では終戦後も散発的な遭遇戦が続いたため、米州機構の調停により、1976年に[[非武装地帯]]を設置。~
この[[非武装地帯]]はエルサルバドル[[内戦]]における[[ゲリラ]]の巣窟と化していく。

ペルー政府の仲介により、エルサルバドル・ホンジュラス間の国交は1980年に回復。~
1986年にはエルサルバドル・ホンジュラス間の国境問題が国際司法裁判所に委託された。~
国境画定作業には以後20年の歳月を要したが、2006年にはエルサルバドル・ホンジュラス各大統領が公式に国境画定文書へと署名し、国境問題が終結した。


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