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- コンベア880 へ行く。
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*&ruby(こんべあはちはちまる){【コンベア880】}; [#oaed4dc1] Convair CV880.~ ~ アメリカのジェネラル・ダイナミクス社コンベア部門((元コンソリデーテッド・ヴァルティ。))が、1950〜1960年代に開発・生産した中型ジェット[[旅客機]]。~ コンベア初のジェット旅客機であった。~ ~ 本機は元々、トランス・ワールド航空の実質的オーナーであったハワード・ヒューズ氏の強い意向により開発された((当初は[[ロッキード]]に発注しようとしたものの、当のロッキードは[[軍用機]]の生産と[[ターボプロップ]]旅客機・L-188「エレクトラ」の生産に集中していたためコンベアにお鉢が回ってきたという。))。~ 先行する競合機・[[ボーイング]][[B707]]や[[ダグラス]][[DC-8]]に追いつくため、試作機の製作を省いていきなり量産型「-22型」が生産された。~ ~ 設計にあたり、高速性を追求するため、強い[[後退角]]と[[前縁スラット]]すら省かれた((改良型の-22M型以後では装着された。))主翼に[[超音速]][[軍用機]]用[[ターボジェット]]エンジンを採用したが、このために離着陸が非常に難しくなり、また、エンジンの整備も煩雑で信頼性に乏しい上、大騒音で黒煙を吐くところも顧客に嫌われた。~ また、ライバル機より一回り小型な割に高燃費な面も受注の伸び悩みにつながった。~ ~ このため、1960年には大幅改良型の「-22M」に生産が切り換えられたものの、本機よりキャパシティの大きな[[B720>B707]]などと競合して受注は伸びず、更に改良型のCV990に生産が移行したため、わずか67機の生産にとどまった。~ ~ 日本では[[フラッグキャリア]]の[[日本航空]]が8機、[[日本国内航空>日本エアシステム]]が1機((元スイス航空の機体。日本航空にリースされたが事故で喪失。))を導入したが、機体の扱いにくさや騒音、キャパシティの小ささから現場では嫌われ、また、訓練中の事故で3機が喪失したこともあって、[[DC-8]]の国内線への導入や[[B727]]の導入に替わる形で1971年に退役した。~ これはJALの歴代[[フリート]]でも最短の寿命でもあった。