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*&ruby(げるはると・ばるくほるん){【ゲルハルト・バルクホルン】}; [#t11f0968]
Gerhard Barkhorn(1919年〜1983年)~
[[第二次世界大戦]]時の[[ドイツ空軍>ルフトバッフェ]]の[[エースパイロット]]。~
Gerhard Barkhorn (1919-1983)~
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[[第二次世界大戦]]期の[[ルフトバッフェ]]に従軍した[[エースパイロット]]。~
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出撃回数1,104回のうち、生涯を通しての[[撃墜]]数は301機。~
これは戦史上第1位の撃墜記録を保持する[[エーリッヒ・ハルトマン]]の352機に次ぐスコアで、300機超えの撃墜数はこの2人のみである。~
また、ハルトマンとは同じJG52戦闘隊の同僚で、軍歴はバルクホルンの方が長かった((ハルトマンがバルバロッサ作戦以後の東部戦線で初陣を切ったのに対し、バルクホルンはフランス侵攻が初陣である。))。また、2人には戦後まで長らく交友関係があった。~
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自己主張の強い者が多かった大戦中のドイツ空軍の中で、その性格は比較的もの静かなものであった。~
また、戦果を同僚に譲る、被弾した敵機の[[搭乗員>エビエーター]]に脱出を促すなど、仲間内で大きな信頼を得る人柄で、ハルトマンからは「身命を投げ出して悔いることのないただひとりの指揮官であり、父として、兄として、同僚として、友人として、私の知っている人の中では最高の人物」と最大級の賛辞を送られている。~
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なお、バルクホルンは、その軍歴中に被撃墜9回、しばらく飛行不能となる程の大きな負傷を3度経験しながら、最後の負傷以外は毎回前線に復帰していた。~
>300機超えの撃墜数を記録したパイロットは航空戦史上、バルクホルンとハルトマンのみであり、今後も記録される事はないであろう((現代では[[航空機]]及び[[搭乗員>エビエーター]]の調達・養成コストが格段に跳ね上がったことと、[[ミサイル]]の発達によって[[航空戦>カウンターエア]]の性質が根本から変わってしまったこと、及び[[国家総力戦]]が行われなくなったことで、[[エースパイロット]]が生まれる余地は失われつつある。))。~

終戦後は[[西ドイツ空軍>ルフトバッフェ#g5982188]]に入隊、要職を歴任して1976年に[[少将]]で退役。~
1983年、ケルン市内にて自動車事故で死亡した。~

**使用機体 [#k393f487]
-[[Bf109E/F/G>Bf109]]
-[[Fw190D>Fw190]]
-[[Me262]]~
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