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*&ruby(きゅーばきき){【キューバ危機】}; [#bd3ca53d]
1962年10月、キューバで[[核兵器]]が発見された事を発端として発生した世界規模の危機的状況。~
[[相互確証破壊]]戦略の政治的限界を露呈させ、全世界を[[全面核戦争>核戦争]]勃発寸前の恐怖へ陥れる歴史的事件となった。

**概要 [#h20e5184]
:1959年|キューバのバティスタ政権が内戦で崩壊。[[フィデル・カストロ]]を首班とする共産主義政権が成立。~
:1959年|キューバのバティスタ政権が[[内戦]]で崩壊。[[フィデル・カストロ]]を首班とする共産主義政権が成立。~
アメリカはこれを敵視し、キューバに対し米州機構からの除名・経済封鎖などの制裁措置を執った。~
更に[[CIA]]による[[暗殺]]工作などの政権転覆を狙った工作活動も行ったが、いずれも失敗している。~
[[カストロ>フィデル・カストロ]]政権は親米勢力との[[紛争]]に備えてソ連に接近していった。

:1962年|キューバからの兵器供与要請に対し、ソ連は大量の武器供与による[[紛争]]発生を忌避。~
:1962年|キューバからの[[兵器]]供与要請に対し、ソ連は大量の武器供与による[[紛争]]発生を忌避。~
一方で[[相互確証破壊]]による[[抑止力]]を狙い、通常兵器ではなく[[核兵器]]の配備を提案。~
[[カストロ>フィデル・カストロ]]政権もこれに同意し、極秘裏の内にキューバにソ連の中距離および準中距離[[弾道ミサイル]]が配備され始めた。
>「アナディル作戦」と呼ばれたこの輸送作戦はソ連最大のものと言われ、ミサイルを積んだ貨物船は、行き先を偽るために乗組員には防寒着を持たせて北へ向かうと誤認させ、貨物船の船長にも出発するまで行き先は知らされなかった。~
更に外へ出てからも、[[偵察機]]対策のため日中は乗組員に外に出ないよう命じ、キューバに到着してからは夜更けにミサイルを搬入するなど徹底した防諜体制が敷かれていた。
[[カストロ>フィデル・カストロ]]政権もこれに同意し、ソ連は秘密輸送[[作戦]]「アナディル」を発動。~
ソ連側の徹底した防諜により、アメリカ側はアナディル作戦の察知に失敗。~
キューバ国内に中距離・準中距離[[弾道ミサイル]]が配備される事を予期できなかった。
:1962年10月14日|[[アメリカ空軍]]の[[U-2]][[偵察機]]が、キューバ国内に配備済みの[[弾道ミサイル]]を発見。~
この事実を受け、軍部は[[核兵器]]が稼働する前の早急な[[空爆]]・地上侵攻を提案。~
ケネディ大統領はこれを保留とした。
>この時点ですでにキューバの[[核武装>核兵器]]は実戦投入可能になっていたと推定される。~
また、キューバ周辺にはソ連の[[潜水艦]]が核魚雷を搭載した状態で潜伏していた。~
この状況下でキューバ侵攻が決断された場合、全面核戦争に至っていた可能性が高い。

:1962年10月14日|[[アメリカ空軍]]の[[U-2]][[偵察機]]により、キューバに配備された[[弾道ミサイル]]の存在が発覚。~
この事実を受け、軍部はミサイルが実戦投入可能な状態になる前に[[空爆]]を行い、更に地上部隊を投入するキューバ侵攻を主張したが、ケネディ大統領は保留とした。~
>実はこの時、既にミサイルは発射可能な状態だったと言われており、加えてキューバ周辺には核魚雷搭載のソ連の[[潜水艦]]、キューバ本土にも[[戦術核兵器]]が配備されていた。~
対する[[アメリカ軍]]は、キューバ侵攻をにらんだ軍事演習でも核兵器の使用は想定しておらず、もし侵攻作戦が実行されていれば、完全に予想を外したアメリカ軍は大損害を被っていたばかりか、本土への核攻撃を許してしまう事態に発展しかねなかった。

:1962年10月22日|アメリカ政府はキューバで[[ソ連軍]]のミサイル基地が建設されている事実を公表。~
ソ連に対して[[弾道ミサイル]]の撤去が要求されるも、ソ連は事実無根と主張してこの要求を拒否。~
[[ペンタゴン>アメリカ国防総省]]は「[[デフコン]]2」を発令し、全軍が準戦時体制へ移行。~
[[ペンタゴン>アメリカ国防総省]]は「[[デフコン2>デフコン]]」を発令し、全軍が準戦時体制へ移行。~
[[弾道ミサイル]]の弾頭が訓練用の模擬弾から実弾へと換装され、[[戦略哨戒]]によって24時間態勢で核戦争の勃発に備えた。~
そして[[アメリカ海軍]]大西洋艦隊がミサイル搬入阻止のためにキューバを[[海上封鎖>拿捕]]、戦争寸前の危機的状況に至る。~

:1962年10月23日|アメリカの示威行動として、[[RF-101A>F-101]]や[[F8U-1P>F-8]]がミサイル基地に対する[[威力偵察]]を開始した。~

そして[[アメリカ海軍]]大西洋[[艦隊]]がミサイル搬入阻止のためにキューバを[[海上封鎖>拿捕]]、戦争寸前の危機的状況に至る。~
:1962年10月23日|アメリカの示威行動として、[[RF-101A>F-101]]や[[F8U-1P>F-8]]がミサイル基地に対する[[威力偵察>偵察]]を開始した。~
:1962年10月25日|[[国連安全保障理事会>国際連合安全保障理事会]]の緊急会合で、キューバ情勢について討議が行われた。~
キューバに核ミサイルが存在するか否かが会議の焦点となるも、合意を得ず。~

:1962年10月26日|ソ連側が、キューバへの軍事的干渉を行わない事を条件に核ミサイルの撤去を提案。~

:1962年10月27日|ソ連側が追加条件として、トルコに配備された米軍の[[PGM-19「ジュピター」>PGM-19]][[中距離弾道ミサイル>弾道ミサイル]]の撤去を要求。~
同時期、キューバ上空でアメリカの[[U-2]][[偵察機]]がソ連軍の[[S-75>SA-2]][[地対空ミサイル]]に[[撃墜]]された。((この日には[[F8U-1P>F-8]]も対空砲火を受け、うち1機が被弾するも無事に帰還している。))~
同時期、キューバ上空でアメリカの[[U-2]][[偵察機]]がソ連軍の[[S-75>SA-2]][[地対空ミサイル]]に[[撃墜]]された。((この日には[[F8U-1P>F-8]]も[[対空砲火>高射砲]]を受け、うち1機が被弾するも無事に帰還している。))~
ここに至って交渉決裂はほぼ確実となり、全世界が第三次世界大戦の勃発を覚悟した。

:同日|急転直下、ソ連のフルシチョフ首相がキューバからの[[撤退]]を表明。~
ソ連政府はアメリカ側の条件を呑み、アメリカ側もキューバへの軍事的非干渉と[[PGM-19]]の撤去に合意。~
全面[[核戦争]]の危機は回避された。

**その後 [#f4eafc31]
この事件により、アメリカ・ソ連は共に[[核戦争]]のリスクを周知し、直接対決を忌避するようになる。~
この後の[[冷戦]]はもっぱら技術開発競争と[[代理戦争]]に終始する事となった。~
~
また、この事件を境に数年間、キューバとソ連の外交関係は如実に悪化した。~
キューバは当事国であり、また自国が存亡の危機にあったにも関わらず、一切の交渉から閉め出されていた((もちろん、世界情勢を左右する重要な交渉に「暴力的に政権を奪取した若い革命家」を出席させるなど暴挙以外の何物でもなかったのではあるが。))。~
ソ連側もキューバの稚拙な反応に辟易し、事件以後は各国の共産革命政権と距離を置くようになったという。


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