【キエフ】(きえふ)

ソビエト海軍初の固定翼機搭載航空母艦(軽空母)。
キエフ級は、モスクワ級ヘリ空母(全通甲板を持たない、殆どヘリ搭載巡洋艦という表現が正しい)を代替する目的で建艦された。

Ka-25'ホーモン'対潜哨戒ヘリコプター及び平行して開発中であったYak-36'フリーハンド'VTOL戦闘攻撃機の搭載が予定され、強力な対潜哨戒拠点、航空打撃力を持つ、艦隊の中心艦としての役割を担い、また、艦隊戦に備えるべく対艦・対潜・対空兵器を備える、他国に例が無い航空機を搭載する巡洋艦という独特な艦種として'防空統制艦プロジェクト1143'の名で1968年、一番艦キエフは黒海に面するニコライエフ(現ウクライナ)のチェルノモルスキー造船所において建艦に着手、1975年に竣工した。

潜水艦・戦闘艦の分野で米国に匹敵するまで成長した同国海軍の次の目標は外洋航空戦力を持ち、完全な外洋海軍化への発展であった。本キエフ級航空母艦はソビエト海軍の本格的航空母艦の先触れとして試験的及び象徴的意味合いを持つ非常に重要な役割を担う。 しかしあくまで本格航空母艦の「先触れ」であり、本格航空母艦はキエフの次の世代であり、キエフはおもに対潜哨戒及び、対潜哨戒を行う航空機の掃討を目的とした。そのため、ソ連海軍は当初キエフ級を対潜巡洋艦と呼び、後に航空巡洋艦と称した。 なお、「航空母艦」ではなく「航空巡洋艦」である理由は1936年に結ばれたモントルー条約にある。同条約では黒海と地中海を結ぶボスポラス海峡の航空母艦の通過を禁じている。また、ソビエトには黒海沿岸以外に戦闘艦を造船できる施設がほぼ皆無であった。そのため純粋な航空母艦を保有できないためだ。

キエフ級の最大の特徴は艦載機のそれよりも、航空母艦には似つかわしくない重武装のミサイル類である。 具体的には長距離対艦ミサイルSS-12-N'サンドボックス'連装発射機4基計8門、艦対空ミサイルSA-3-N'ゴブレット'連装発射機1基計2門、艦対空ミサイルSA-N-4'ゲッコー'連装発射機1基計2門、RBU-6000対潜ロケット12連発射機2基、76.2mm艦載砲2基、AK-630 30mm65口径機関砲8基を持ち、航空母艦でありながら、並みの駆逐艦以上の攻撃力を誇った。これこそが航空巡洋艦と呼ばれる所以であろう。 これらの兵装は艦首部に集中して配置されているが、飛行甲板に乱気流を発生させてしまうため航空機の離着艦に影響を及ぼす結果となってしまった。そのため、後にSA-N-4ランチャーが前方に移されているが完全な解決には至らなかった模様である。

これら武装の中でSS-12-Nサンドボックス対艦ミサイルは射程500kmと極めて長大であるが、射程の長いミサイルを装備することは簡単なことだが、真に困難なことは500km先の目標をいかにして発見し識別するかにあり、艦のレーダーでは地平線下の500km先の艦船を探知することは出来ないし、偵察衛星では1日に1、2度のチャンスしか無いため実用的ではない。またKa-25Bホーモン警戒型による水上索敵、ミサイルの中間誘導を行うというが、ヘリコプターの機上搭載レーダーではレンジが限られてしまう上、パトロールを勘案した同機の行動半径およそ150Kmではどれほど意味があったのかは疑問である。しかしこれはキエフに限った問題では無いであろう。

あたりまえだが重武装であろうが航空母艦である以上最大の目的は航空機を運用することにある。キエフ級は189m×20.7mの全通式アングルドデッキを持つ。アングルドデッキは通常発着艦を同時に行うために採用されているが、巡洋艦としての能力を併設するための措置である。艦載機は前述のKa-25ホーモン警戒ヘリ及びKa-27へリックス対潜哨戒ヘリの回転翼機が21機、Yak-38フォージャーVTOL戦闘攻撃機を12機搭載した。なお当初予定されていたYak-36フリーハンドは性能不足のため生産には至らなかった。

キエフ級最大の弱点はこの艦載機にあったと言っても過言では無い。 Ka-25ホーモンやKa-27へリックスといったヘリコプターはそれなりの能力を持ち有効に機能しえただろう。 しかし肝心の戦闘機であるYak-38フォージャーは最低であった。 ソビエト海軍のシーハリアーを目指し設計されたフォージャーは極めて少ない兵装搭載量ではKa-25/Ka-27の周辺護衛をしようにも敵戦闘機と交戦できるだけの能力も持たず、空対艦攻撃を実施するにも攻撃力は明らかに不足であった。また母艦周囲100km-200km迄しか飛行不可能な貧弱な行動半径ではそもそも攻撃を実施することすら困難だ。仮にYak-38ができる事と言えばキエフ空母周囲100kmに接近した哨戒機・ヘリコプターを迎撃すること程度であったであろう。 実質、航空優勢の確保が必要な場合は陸上の航空部隊の支援は不可欠だった。だがそれではアメリカの攻撃原潜を掃討しソビエトの戦略原潜をカバーする当初の目的だけではなく、外洋艦隊の中枢となるテストヘッド航空母艦としてのキエフ級の存在価値をゼロにしかねないレベルであった。艦載機の能力不足をキエフ自身の搭載兵装で辛うじてカバーしていたと言える。

しかし、幸いにして冷戦期では艦載機の性能不足が敵対する西側に察知されにくかった。キエフ級空母は強力な水上航空戦力として認識されていた。実際のところYak-38が「大した事が無い」と知られるようになったのは70年代後半ごろであるが依然として航空戦力を持つという抑止力は成立していた。 事実1979年以降、極東・太平洋艦隊に配備されたキエフ級空母2番艦「ミンスク」、3番艦「ノボロシスク」の存在はわが国の国防・シーレーン防衛に大きな影響を及ぼしている。実際に失敗作の戦闘機であっても、哨戒機を飛ばす立場になってみれば今までに存在しない脅威が誕生したことに変わりは無かった。

後に飛躍的に能力が向上したYak-141フリースタイルVTOL戦闘機が艦載される予定であった。Yak-141が艦載されていれば、キエフ級はフォージャー(まがい物)ではない真の航空戦力を保持していたであろう。 しかしソビエト連邦の統制経済は既に破綻しており、時代はすでにキエフ級を要求していなかった。連邦の崩壊に伴いキエフ級空母の役割は終わりを告げ、各艦とも悲惨な運命を辿っている。

同型艦

●キエフ
チェルノモルスキー造船所
起工1970年7月21日。
進水1972年12月27日。
竣工1975年1月3日。
1番艦。北洋艦隊に所属。
1990年ムルマンスクで改修中予算不足のため工事を中断。4番艦アドミラル・ゴルシコフの部品取りにまわされた。その後中国にスクラップとして売却された。

●ミンスク
チェルノモルスキー造船所
起工1972年12月29日。
進水1975年9月30日。
竣工1978年9月28日。
2番艦。太平洋艦隊に所属
1979年黒海よりウラジオストックを母港とする。主に日本海、オホーツク海で活動。 1989年に機関故障による火災事故を起こしウラジオストックに係留されつづけ、1995年スクラップとして韓国に売られた。韓国で全焼火災を起こし中国に売却、現在では広州、深川にて「ミンスク空母ワールド(明思克航母世界)」という軍事遊園地として展示されている。なお入場料は110元。現在経営難らしい。

●ノボロシスク
チェルノモルスキー造船所
起工1975年9月30日
進水1978年12月24日
竣工1982年12月9日
3番艦。太平洋艦隊に所属。当初艦名を「ハリコフ」と西側に誤認されていた。
1979年ミンスクと同時期にウラジオストックを母港として日本海、オホーツク海で活動。また同艦はハワイ沖へのクルーズを実施するなど示威行動を盛んに行った。キエフ級としては最も活動した。 しかし1991年に機関故障による事故をおこしウラジオストックに10年間係留されつづけ、スクラップとして韓国に売られた。

●バクー > アドミラルゴルシコフに改名
チェルノモルスキー造船所
起工1978年12月
進水1982年4
竣工1987年1月
4番艦、北洋艦隊に所属。
正式名称は 'Admiral of the Fleet of the Soviet Union Sergei Georgievich Gorshkov' 「アドミラル・オブ・ザ・ソビエト・フリート・オブ・ザ・ユニオン・セルゲイ・ゲオルギエビッチ・ゴルシコフ」 アドミラルゴルシコフはキエフ級とは言っても武装や電子機器類の装備がまったく違うほとんど別の艦である。 1〜3番艦が相次いで行動不能に陥る中、ソビエト連邦崩壊後も唯一現役でありYak-141フリースタイルの試験やアドミラルクズネツォフ級を控えた各種実験が行われた。1991年Yak-141が着艦に失敗し爆発火災事故を起こし、また1994年にはボイラー火災事故により行動不能に、姉妹艦キエフの部品を調達し1996年に復旧。しかし1997年からムルマンスクで予備役艦として係留され続け、まともな運用は行われていなかった。 現在16億ドルでインド海軍に売られる契約が成立しており、まもなく引渡しが行われる予定。 Su-30艦載機型(Su-33のSu-30仕様?)かMiG-29艦載機型(MiG-29K)の運用が見込まれていたが、MiG-29Kに決定した。 今後、艦首部のミサイルランチャーを撤去しアングルドデッキを廃止。飛行甲板の延長等改修を行い、CTOL空母として運用される模様。


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