【ガダルカナル島の戦い】(がだるかなるじまのたたかい)

戦闘概要
戦争太平洋戦争(大東亜戦争)
年月日1942年8月7日〜1943年2月7日
場所ソロモン諸島ガダルカナル島
交戦勢力日本
アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、イギリス
結果連合軍の勝利
戦力日本軍36,204人
連合軍60,000人
損害日本軍10,600人、餓死・戦病死15,000人
連合軍戦死1,598人、戦傷4,709人

太平洋戦争(大東亜戦争)において、1942年8月以降日本軍アメリカ軍が西太平洋ソロモン諸島ガダルカナル島を巡り生起した戦闘である。

概要

1942年6月の初めに勃発したミッドウェー海戦での大敗により大幅な海空戦力を失った日本軍は今後戦局は守勢となるであろう事に備え、大本営はソロモン諸島における制空権確保の為にニューブリテン島ラバウル基地以南に前哨基地を建設する事を考案する。同月中にガダルカナル島での飛行場建設を正式に決定した。

同年8月にアメリカ軍日本軍が飛行場を建設しているガダルカナル島に上陸、同島の海岸線を占拠した。
対する大本営は島の奪回を命令、10月末までに3次にわたる陸上兵力による攻撃が実施された。
しかし兵糧に勝るアメリカ軍の前にいずれも失敗に終わる。加えて物資不足に兵士等のマラリア*1感染などが重なって翌年の1943年2月に日本軍は撤退し、ガダルカナル島はアメリカ軍に占領された。

この島での攻防戦を境に戦局はアメリカ軍の優勢が粗確定する。
この間にも日本軍ソロモン海戦?南太平洋海戦?といった海戦や航空戦で戦力を消耗している。その結果制空権及び制海権アメリカ軍に奪われ、更に日本軍の補給線が断ち切られた事で多くの餓死者、病死者を出す。度重なる消耗戦を経て陸海空全域における戦力を多分に喪失した日本軍は以後、大規模な攻勢をかける事は無かった。


*1 熱帯や亜熱帯の気候の地域に広く分布する原虫感染症。高熱や頭痛、吐き気などの症状を呈し、悪性の場合腎不全や意識障害に陥り死亡する

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