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【カーチス・ライト】 †
カーチス・ライト (Curtiss-Wright Corporation : CWC)
1916年にグレン・カーチスが創業した航空機メーカー。
創業時はカーチス・エアロプレーン&モーター(Curtiss Aeroplane and Motor Company )の社名であり、第一次世界大戦中にJN4「ジェニー」(後にリンドバーグが中古で購入する)を生産するなどで発展した。
1929年、カーチス・エアロプレーン・アンド・モーター・カンパニー(Curtiss Aeroplane and Motor Company )、ライト・エアロノーティカル(Wright Aeronautical )など、12の会社が合併して現在の社名となる。
創業後、飛行機の特許を巡ってライト兄弟と何度も訴訟を起こすなど衝突が絶えなかった。
しかし第一次世界大戦を契機に、アメリカ政府が航空機製造業協会によって特許を一括管理した事で問題が解決。
いち早く軍用機の生産に乗り出したカーチスは、アメリカ政府と陸軍向けの戦闘機製造の契約を取り付けて大きく躍進する。
この結果、1929年の合併時にライト兄弟が設立したライト・マーチンをも吸収合併することになった。
この時点で同社の資本金は7500万ドルにも膨れあがり、当時はアメリカ最大の航空機メーカーであった。
ホーク・シリーズでアメリカ陸軍向け戦闘機の生産を続ける一方で、第二次世界大戦ではP-36?戦闘機を開発。その後はP-40戦闘機も生産し、1940年から1944年にかけて同機は14,000機近く製造された。
他にもC-46「コマンドカーゴ」は29,000機以上を生産。
第二次世界大戦中は、アメリカの製造業全体で第2位の地位を占めるに至った。
戦後は民間航空機用のレシプロ・エンジン、プロペラの生産に集中。
ダグラスのDC-7や、ロッキードのスーパー・コンステレーションなどに使用された。
軍用としては、J-65エンジンを長期にわたって生産した。
しかしジェット化の波には完全に乗り遅れ、1948年にようやくジェット夜間戦闘機XF-87?「ブラックホーク」を完成させて一旦は発注までこぎつける。
だが生産直前に突然のキャンセル通告され、これにより多大な負債を抱えることになった。
当時のアメリカ軍内部ではカーチス・ライトを存続させるべく、完成度に不満を持ちながらもブラックホークの契約を強行した。
しかしノースロップのF-89?「スコーピオン」の完成度があまりに高く、ブラックホークの契約をキャンセルせざるを得なくなったと言われている。
これに伴いカーチスは航空機生産部門をノースアメリカンに売却し、自らの航空機の機体メーカーとしての歴史に幕を引いた。
この売却以降、カーチスは部品供給や生産工程の援助、メンテナンスサービスなどの分野で細々と航空機に関わり続けている。