【オウム真理教】(おうむしんりきょう)

1980年代〜1990年代、日本に存在した新興宗教団体。
松本サリン事件?地下鉄サリン事件などのテロ行為のほか、数々の反社会的活動を行った団体である。

1996年に宗教法人としての法人格を失ったものの活動を継続。
2000年に破産に伴い団体名を「アレフ」に改称。
さらに分裂と改称を経て、現在は「Aleph」と称する団体、「ひかりの輪」と称する団体に分裂。
それらの団体が教義や信者の一部を引き継いでおり、現在も公安当局の監視下に置かれている。

オウム真理教の始まり

1984年、松本智津夫(自称、麻原彰晃)が発足させたヨガサークル「オウム神仙の会」を母体とする。
1987年、「オウム真理教」と改称。
1989年、東京都知事から宗教法人の資格を取得。積極的に布教活動を展開し、最盛期には約1万人の信者を擁した。
山梨県上九一色村の「サティアン」*1と称する大規模施設を中核に、全国各地に20数箇所の支部を設置した。
アメリカ、ドイツ、ロシア、スリランカにも教団支部を開設し、オーストラリアと台湾に関連企業を有していた。

教団の理念・教義は既成宗教を換骨奪胎した、いわゆる「ニューエイジ系」。
瞑想や苦行によって煩悩を捨てて悟りを開き、神秘体験を経て解脱に至る事を旨とする。
強いて分類すればチベット仏教などに代表されるヴァジュラヤーナ仏教に近い。
松本智津夫自身、チベットのヒマラヤ山脈で最終解脱を果たしたと詐称している。

その教義が“常軌を逸している”という点で、一般的な宗教とオウム真理教との間に大差はない。
そもそも宗教の目的が常軌を越えた何かとの精神的交流にある以上、これは不可避であろう。
とはいえ、真っ当な宗教ならば宗教上の狂気から人間を日常に復帰させるメソッドが整っている。
一方で、オウム真理教には信者の宗教的狂熱を醒ます技術がなく、またそのために努力する事もなかった。

テロ組織への変貌

組織の拡大に伴い、オウム真理教は発展目標として「日本ジャンバラ化計画」なるものを標榜。
その手段として麻原彰晃が独裁者として統治する祭政一致の専制国家体制樹立が必要だと主張。
この目的のために政治団体「真理党」を結成し、1990年2月の衆議院議員選挙に麻原代表以下25人が出馬した。
結果、当然ながらというべきか、幸いにもというべきか、立候補者の全てが落選に終わった。
また、1990年5月に熊本県波野村に進出した際、地元住民による反対運動を受ける。
同年10月に国土利用計画法*2違反などで熊本県警の強制捜査を受ける。
この強制捜査で8人が逮捕され、32箇所が捜索差し押さえを受けた。

教団上層部はこうした経緯を「国家権力による弾圧」であると被害妄想的に断定。
教団の存続と拡大のために国家を「打倒」する必要がある、と内部で主張し始めた。
そのために自動小銃化学兵器の開発計画など、テロ実行準備を刻一刻と進めていった。

ただし、周辺社会との軋轢が原因で暴力的になっていったと見るのは正しくない。
彼らはその運営基盤を築く初期段階から既にカルト的、反社会的、詐欺的であったからだ。

また、1994年6月ごろには教団代表の麻原彰晃が「神聖法皇」「最終解脱者」を自称。
自らを「尊師」「グル」*3と呼ばせ、信者に絶対服従を求めた。
ついには独裁を前提とする23の省庁を内部に設置し*4、一種の擬似国家の体裁を執り始めた。

これに伴って教団で唱える教義も暴力的に変質。
「ポア」と称して教団の指示による暗殺を正当化し、ここに至って教団は完全にテロ組織と化した。

テロ事件

1989年11月、教団は「坂本堤弁護士一家殺害事件」を実行。

坂本弁護士は、出家信者の母親から脱会についての相談を受けた。
これについてオウム真理教幹部と交渉が持たれたが決裂、坂本弁護士は民事訴訟の準備に入った。
教団はこれを教団の発展に対する障害として認識し、信徒に弁護士の暗殺を命じた。
結果、信徒の犯人グループが坂本弁護士宅に押し入って坂本夫妻と長男を殺害。
遺体は新潟、富山、長野の山中に遺棄された。

また1994年6月には「松本サリン事件」を実行。

教団が名義を偽って土地を取得し、地主がこれを詐偽にあたるなどとして訴訟を起こした。
この訴訟は教団敗訴の可能性が高く、また訴訟に連動して地元住民による進出反対運動等を起こす。
これに対して教団は裁判官と付近住民の抹殺を命じ、研究段階にあったサリンが散布された。
これにより住民7名が死亡、144名が負傷した。

さらに、1995年2月に「目黒公証人役場事務長拉致監禁事件」を引き起こした。

1993年、教団は女性信者に対して約3億円相当(時価)の土地・建物を布施として譲渡するよう要求。
女性信者はこれを拒否、身の危険を感じて逃亡し、その実兄である事件被害者に匿われた。
教団はこの件に対する尋問目的で被害者をワゴン車で拉致、教団の「サティアン」に監禁した。
教団は当初女性信者の行方を聞き出した後、麻酔薬で記憶を消す予定であったが、失敗。
記憶消去が不可能である事にこの時点で初めて気付き、証拠隠滅のために殺害が決断される。
被害者は麻酔薬で殺害された後、「教団独自の技術による焼却炉」で焼却され、湖に投棄された。

こうした事件を繰り返す中、1995年には教団が一連の事件における最有力容疑者として浮上。
連日に渡る事件報道の中、教団上層部は警察による大規模な強制捜査に対する危機感を募らせた。
これに対する捜査撹乱を目的として「地下鉄サリン事件」を実行。
それがオウム真理教による最後のテロ事件となった。

強制捜査と裁判

地下鉄サリン事件から2日後、警察庁はオウム真理教に対する強制捜査を決断。
約2500名の警察官が投入される厳戒態勢で、教団施設に対する一斉捜索が行われた。
自衛隊から防毒マスクが貸与されるなど、非常な厳戒態勢の下での捜査であった。

同時に、陸上自衛隊東部方面隊にも第三種非常事態勤務体勢が発令された。
これは「治安出動」を想定した厳戒態勢である。

結果、松本智津夫を筆頭に489人の教団幹部が逮捕され、うち189人が起訴された。
裁判では被疑者中13人に死刑判決*5、5人に無期懲役判決が出された。

なお、現在も元教団員の重要容疑者3人が日本全国で指名手配を受けている。

オウム真理教と日本人の宗教観

罪状を見ても、あるいは宗教的倫理から見ても、オウム真理教が冒涜的な淫祠邪教であった事は疑いない。
しかし、「では他の宗教団体と比べてどれくらい不当なのか」と問われた場合、弁明は必ずしも容易でない。
誰かが「彼らはオウム真理教と大差ない」と公言するなら、それは裁判沙汰*6である。
一方で「彼らはオウム真理教などとは違う」と公言すれば、聴衆は癒着か洗脳を疑うだろう。
従って、宗教団体に対するどのような評価も信頼には値しない。
すなわち、オウムのような最悪の事態を想定し続ける限り、どのような宗教団体も信頼に値しない*7

オウム真理教の衝撃と恐怖を経験した90年代後半以降、そのような論理が日本人の宗教観に深く根を下ろしつつある。
宗教への偏見や悪意なども、若い世代ではもはや珍しくない。
その反動か、祖先や地縁にまつわる文化的背景を無視した「精神安定剤」として唐突に宗教を求める人々も多い。
無論、そうした人々のいくらかは「オウム真理教と大差ない連中」の被害者になったり、その一員になったりする。

かように、オウム真理教が日本人の宗教と信仰に与えた影響は甚大なものである。
しかし一方で、このような宗教観の変化は日本史上の必然であったと見る向きもある。
たまたま凶行を行ったテロリストが、悪化する世相全ての元凶として祭り上げられた感も拭えない。
オウム真理教は最悪の凶行を行った宗教団体ではあっても、世界最悪の宗教団体ではないからだ。

残念ながら、オウム真理教は世界中に林立する多数の破壊的セクトのうちの一つに過ぎない。
彼らは警察の強制捜査を受けて壊滅したが、その同類たちが今も人間社会に広く寄生し続けている。


*1 サンスクリット語で「真理」を意味する
*2 重要な資源である国土を、総合的且つ計画的に利用するために必要とされる規定をおく法律。
*3 サンスクリット語で「指導者」、「教師」、「尊敬すべき人物」などを意味する
*4 法皇官房、法皇内庁、究聖音楽院、諜報省、外務省、大蔵省、自治省、科学技術省、第一厚生省、第二厚生省、治療省、建設省、法務省、文部省、商務省、労働省、郵政省、流通監視省、車両省、防衛庁、東信徒庁、西信徒庁、新信徒庁の23の省庁。
*5 そのうちの2人は上告中。
*6 罪状が詐欺なのか名誉毀損なのかは場合によるが。
*7 「実際に信仰と深く向き合ってみればそれが偏見だとわかる」と主張する宗教家は多い。しかし、そのような主張が「洗脳されて疑いを持てなくなった結果」でないと証明するのは事実上不可能に近い。

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