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*&ruby(おうむしんりきょう){【オウム真理教】}; [#c2399f3f]
かつて日本に存在した新興宗教団体である。~
[[松本サリン事件]]や[[地下鉄サリン事件]]などの[[テロ行為>テロリズム]]のほか反社会的活動を行った団体である。

1980年代より日本に存在したカルト宗教団体。~
信者を洗脳して[[テロ行為>テロリズム]]に走らせるまで至ってしまった、極めて反社会的な宗教団体である。~
~
1996年に宗教法人としての法人格を失ったものの活動を継続。~
2000年に破産に伴い団体名を「アレフ」に改称。~
さらに分裂と改称を経て、現在は「Aleph」と称する団体、「ひかりの輪」と称する団体に分裂し、それらの団体が教義や信者の一部を引き継いでいる。現在も公安警察や公安調査庁の監視下に置かれている。
さらに分裂と改称を経て、現在は「Aleph」と称する団体、「ひかりの輪」と称する団体に分裂。~
それらの団体が教義や信者の一部を引き継いでおり、現在も公安当局の監視下に置かれている。

**オウム真理教の始まり [#d6bc3abd]
オウム真理教は1984年、麻原彰晃こと松本智頭夫が発足させたヨガサークル「オウム神仙の会」が母体となり、1987年に「オウム真理教」に改称され、発足した。~
1989年には東京都知事から宗教法人の資格を得、当時の積極的な布教活動により、最盛期には約1万人の信者を要した。~
また、教団は全国各地に活動拠点を設け、1995年3月時点では山梨県上九一色村の「サティアン」((サンスクリット語で「真理」を意味する))と称する大規模施設及び信者の居住施設群のほか、20数箇所の本部及び支部を設置した。~
さらにアメリカ、ドイツ、ロシアそしてスリランカに教団支部を開設し、オーストラリア及び台湾に関連会社を設立していった。
1984年、松本智津夫(自称、麻原彰晃)が発足させたヨガサークル「オウム神仙の会」を母体とする。~
1987年、「オウム真理教」と改称。~
1989年、東京都知事から宗教法人の資格を取得。~

**テロ組織への変貌 [#h386b74c]
教団は、「日本ジャンバラ化計画」と称して「理想郷」建設を目指し、そのために、麻原が独裁者として統治する祭政一致の専制国家体制樹立が必要であるとして、政治団体「真理党」を結成。1990年2月の衆院選に麻原代表以下25人が出馬。~
しかし当然のことながら全員落選。~
また同年5月に熊本県波野村に進出したものの、当初から地元住民による反対運動が展開され、同年10月から11月に国土利用計画法((重要な資源である国土を、総合的且つ計画的に利用するために必要とされる規定をおく法律))違反等で熊本県警による強制捜査を受け、8人が逮捕され、捜索差し押さえは32箇所にも及んだ。
1989年以降に積極的な布教活動を展開し、最盛期には約1万人の信者を擁した。~
山梨県上九一色村の「サティアン」((サンスクリット語で「真理」を意味する))と称する大規模施設を中核に、全国各地に20数箇所の支部を設置している。~
アメリカ、ドイツ、ロシア、スリランカに教団支部、オーストラリアと台湾に関連企業を有していた。

教団はこれを「国家権力による弾圧」ととらえ、教団の存続と勢力拡大のためには国家を「打倒」することが必要であるとして、[[自動小銃]]や[[化学兵器]]等の開発を計画するなど[[テロ>テロリズム]]実行準備を刻一刻と進めていった。
教団の理念・教義は既成宗教を換骨奪胎した、いわゆる「ニューエイジ系」。~
瞑想や苦行によって煩悩を捨てて悟りを開き、神秘体験を経て解脱に至る事を旨とする。~
強いて分類すればチベット仏教などに代表されるヴァジュラヤーナ仏教に近い。~
松本智津夫自身、チベットのヒマラヤ山脈で最終解脱を果たしたと詐称している。

また教団は1994年6月ごろには麻原を「神聖法皇」と称するとともに行政機関を模した約20の省庁からなる「省庁制」((法皇官房、法皇内庁、究聖音楽院、諜報省、外務省、大蔵省、自治省、科学技術省、第一厚生省、第二厚生省、治療省、建設省、法務省、文部省、商務省、労働省、郵政省、流通監視省、車両省、防衛庁、東信徒庁、西信徒庁、新信徒庁の23の省庁))を導入した。~
一種の擬似国家の体裁を執るにいたった。
なお、瞑想・苦行などの「修行」は精神の変容を目的とする性質上、必然的に精神医学上のリスクを伴う。~
神秘体験をこじらせて誇大妄想に陥るのは古今東西よくある宗教者の陥穽で、オウム真理教の行状はその典型例でもある。~
松本智津夫は独学で「修行」を考案・実践したというが、教団の修行体系が洗脳に類する危険な行為であったのは明らかだ。

また麻原は自らを「最終解脱者」として「尊師」または「グル」((サンスクリット語で「指導者」、「教師」、「尊敬すべき人物」などを意味する))と呼ばせ、信者に絶対的な帰依を求めた。
>松本智津夫は一連の事件後、獄中で重篤な心神喪失状態に陥ったとされる。~
それが詐病でないとすれば、自己流の拙い「修行」が教祖自身をも洗脳して統合失調症に陥らせていた可能性が高い。~

教団の教義は同人が既成宗教の教義を混ぜたもので、麻原の指示があれば、いわゆる「ポア」と称し、殺人さえも正当化するといういわゆる「タントラ・ヴァジラヤーナ」という教義を最も重視し、教団のテロ組織化に大きな影響を与えたのだった。
**テロ組織への変貌 [#h386b74c]
組織の拡大に伴い、オウム真理教は発展目標として「日本シャンバラ化計画」なるものを標榜。~
その手段として麻原彰晃が独裁者として統治する祭政一致の専制国家体制樹立が必要だと主張。~
この目的のために政治団体「真理党」を結成し、1990年2月の衆議院議員選挙に麻原代表以下25人が出馬した。~
結果、当然ながらというべきか、幸いにもというべきか、立候補者の全てが落選に終わった。

**テロ事件 [#o34b1038]
教団は1989年11月に、教団の活動の不正を追及し、宗教法人認証の取り消しを求める活動を続けていた坂本堤弁護士の殺害を計画した。~
横浜市内の坂本弁護士宅に押し入り、坂本弁護士と妻、そして長男の命を奪い、遺体をそれぞれ新潟、富山及び長野の山中に埋めた。(坂本堤弁護士一家殺害事件)
また、1990年5月に熊本県波野村に進出した際、地元住民による反対運動を受ける。~
同年10月、国土利用計画法違反などの容疑で強制捜査を受け、8人が逮捕、32箇所が差し押さえを受けた。

また1994年6月には、教団名を隠して取得した土地をめぐり、地主側が詐欺行為にあたるなどとして、長野地裁松本支部に提起した訴訟において、教団敗訴の可能性が高くなっていたことそして住民による進出反対運動等を受けて、かねてから研究開発と量産を進めていた[[化学兵器]]「[[サリン]]」の殺傷能力を確認すると共に、地裁松本支部の裁判官と付近住民を殺害することを企て、サリンを散布した。~
これにより住民7名が死亡、144名が負傷した。(松本サリン事件)
教団上層部はこうした経緯を「[[国家権力による弾圧>テロリズム]]」であると被害妄想的に断定。~
教団の存続と拡大のために国家を「打倒」する必要がある、と内部で主張し始めた。~
そのために[[自動小銃]]や[[化学兵器]]の開発計画など、[[テロ>テロリズム]]実行準備を刻一刻と進めていった。

さらに麻原は教団幹部等に指示し、1995年2月にいわゆる「目黒公証人役場事務長拉致監禁事件」を引き起こした。
>ただし、彼らはその運営基盤を築く初期段階から既にカルト的、反社会的、詐欺的であった。~
周辺社会との軋轢が原因で暴力的になっていったと見るのは正しくない。

しかしこの事件は教団による犯行であるという報道が連日にわたってなされ、麻原は近く警察による大規模な強制捜査が実施されるのではないかという危機感を抱いた。
また、1994年6月ごろには教団代表の麻原彰晃が「神聖法皇」「最終解脱者」を自称。~
自らを「尊師」「グル」((サンスクリット語で「指導者」、「教師」、「尊敬すべき人物」などを意味する))と呼ばせ、信者に絶対服従を求めた。~
ついには独裁を前提とする23の省庁を内部に設置し((法皇官房、法皇内庁、究聖音楽院、諜報省、外務省、大蔵省、自治省、科学技術省、第一厚生省、第二厚生省、治療省、建設省、法務省、文部省、商務省、労働省、郵政省、流通監視省、車両省、防衛庁、東信徒庁、西信徒庁、新信徒庁の23の省庁。))、一種の擬似国家の体裁を執り始めた。

このため、捜査を撹乱させるために教団幹部と共に、各行政機関が集中する地下鉄霞ヶ関駅に向かう、東京都内の地下鉄3路線((千代田線、丸の内線、日比谷線))、計5本の電車内で[[サリン]]を散布することを計画した。~
麻原から指示を受けた教団幹部が、30%の[[サリン]]混合液約5〜6ℓを生成した。
これに伴って教団で唱える教義も暴力的に変質。~
「ポア」と称して教団の指示による[[暗殺]]を正当化し、ここに至って教団は完全にテロ組織と化した。

そして1995年3月20日、実行犯5人が新聞紙で包んだ[[サリン]]入りナイロンを車内に持ち込み、午前8時ごろ、ビニール傘で袋を突き刺してサリンを発散させた。~
これにより12名が死亡し、6000人以上が負傷した。([[地下鉄サリン事件]])
**テロ事件 [#o34b1038]
1989年11月、教団は「坂本堤弁護士一家殺害事件」を実行。~
>坂本弁護士は、出家信者の母親から脱会についての相談を受けた。~
これについてオウム真理教幹部と交渉が持たれたが決裂、坂本弁護士は民事訴訟の準備に入った。~
教団はこれを教団の発展に対する障害として認識し、信徒に弁護士の[[暗殺]]を命じた。~
結果、信徒の犯人グループが坂本弁護士宅に押し入って坂本夫妻と長男を殺害。~
遺体は新潟、富山、長野の山中に遺棄された。~

**強制捜査 [#xbb6b940]
[[地下鉄サリン事件]]から2日後、警察官約2500名により、教団施設に対する一斉捜索が行われた。~
これにより教団幹部は次々と逮捕され、5月16日5時16分、麻原を逮捕するため、潜伏しているとされる第6サティアン一帯の強制捜査が行われた。~
この強制捜査で、機動隊は[[自衛隊]]から貸し出された防毒マスクなどを着用するなど、厳重な装備で行われ、今の警視庁[[SAT]]の前身にあたるSAPが出動した。
また1994年6月には「松本サリン事件」を実行。~
>教団が名義を偽って土地を取得し、地主がこれを詐偽にあたるなどとして訴訟を起こした。~
この訴訟は教団敗訴の可能性が高く、また訴訟に連動して地元住民による進出反対運動等を起こす。~
これに対して教団は裁判官と付近住民の抹殺を命じ、研究段階にあった[[サリン]]が散布された。~
これにより住民7名が死亡、144名が負傷した。

この捜査では警察はおろか[[防衛庁]]や[[自衛隊]]も「[[治安出動]]」の可能性も考慮し、[[陸自東部方面隊>東部方面隊]]に対し、第三種非常事態勤務体勢を発令するなど厳戒態勢で臨んだ。
さらに、1995年2月に「目黒公証人役場事務長拉致監禁事件」を引き起こした。
>1993年、教団は女性信者に対して約3億円相当(時価)の土地・建物を布施として譲渡するよう要求。~
女性信者はこれを拒否、身の危険を感じて逃亡し、その実兄である事件被害者に匿われた。~
教団はこの件に対する尋問目的で被害者をワゴン車で拉致、教団の「サティアン」に監禁した。~
教団は当初女性信者の行方を聞き出した後、麻酔薬で記憶を消す予定であったが、失敗。~
記憶消去が不可能である事にこの時点で初めて気付き、証拠隠滅のために殺害が決断される。~
被害者は麻酔薬で殺害された後、「教団独自の技術による焼却炉」で焼却され、湖に投棄された。

捜査開始から4時間半後の9時45分に麻原は緊急逮捕された。
こうした事件を繰り返す中、1995年には教団が一連の事件における最有力容疑者として浮上。~
連日に渡る事件報道の中、教団上層部は警察による大規模な強制捜査に対する危機感を募らせた。~
これに対する捜査撹乱を目的として「[[地下鉄サリン事件]]」を実行した。

**裁判 [#s9a92fe7]
[[地下鉄サリン事件]]以降、489人の教団幹部が逮捕され、189人が起訴された。
**強制捜査と裁判 [#xbb6b940]
[[地下鉄サリン事件]]から2日後、警察庁はオウム真理教に対する強制捜査を決断。~
約2500名の警察官が投入される厳戒態勢で、教団施設に対する一斉捜索が行われた。~
[[自衛隊]]から防毒マスクが貸与されるなど、非常な厳戒態勢の下での捜査であった。

裁判では教団幹部に対し、13人の死刑判決(そのうちの2人は上告中)、5人の無期懲役判決が出された。
>同時に、[[陸上自衛隊]]の[[東部方面隊]]にも第三種非常事態勤務体勢が発令された。~
これは「[[治安出動]]」を想定した厳戒態勢である。

しかし現在も重要容疑者である3人が全国指名手配されている。
結果、松本智津夫を筆頭に489人の教団幹部が逮捕され、うち189人が起訴された。~
裁判では被疑者中13人に死刑判決((そのうちの2人は上告中。))、5人に無期懲役判決が出された。


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