【イラン・イラク戦争】(いらん・いらくせんそう)

1980年9月22日から1988年8月20日までの約8年間、イラン?イラク?の間で行われた戦争。
1975年の「アルジェ協定」により、両国の境界線はシャトル・アル・アラブ川の中央と定められていたが、一般にイラクがここを越えて先制攻撃をしかけたとされている。 開戦当初の2年間は、イスラム革命を恐れたアラブ諸国(シリア、リビアを除く)の支援を受け、なおかつ軍備の近代化に成功していたイラク軍?が優勢に戦況を運び、多くのイラン西部の領土を占領した。しかし(秘密裏にアメリカやイスラエルの支援を受けていた)イラン軍人海戦術で反撃に出て、失われた領土の奪還に成功した。
戦況の不利を悟ったイラクは、イランに休戦を打診した。これを知ったイランは当時のイラク政府、サダム・フセイン?体制を打倒するため、休戦に応じなかった。
以降、両軍は互いの資金調達を困難にすべく、ペルシャ湾を航行するタンカーに対する攻撃を激化させた。このことから「タンカー戦争」とも呼ばれた。
また、1984年にアメリカがイランを支援していたことが発覚すると(イラン・コントラ事件)、アメリカはイラクへの支援を開始した。
開戦から7年が経過した1987年の国際連合安全保障理事会決議によって、イラクは停戦受け入れの旨を表明した。しかしイランはこれを拒否、アメリカ軍は国連の調停工作と同時に、同国に対する武力介入を開始した。

アメリカ軍によるイラン国内の石油基地に対する空爆イラン軍撃墜などを受け、停戦に合意していたイラク軍は再度イラン領内に侵攻を開始した。イラン政府は開戦前にイラン革命?を起こしたばかりであり、この革命を続けることは国是ともいえる。しかたなく停戦に合意したのは、開戦から約8年後の1988年9月であった。

関連:湾岸戦争


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