【イスラム原理主義】(いすらむげんりしゅぎ)

Islamic fundamentalism
イスラム教の経典「コーラン」に忠実であろうとする考え方のこと。
元来、原理主義(根本主義)とはプロテスタントの一部勢力が「聖書の一字一句を言葉どおりに解釈する」として排他的な宗教活動をおこなった事を指す言葉である。
これになぞらえ、イスラム教の中でもコーランに忠実であろうとする勢力を、西側諸国のマスコミなどがこう呼んだ。

概念としては比較的新しく、1970年代以降、石油利権で急速に富裕化したイランで始まったものとされる。
当時のイラン国王はオイルマネーを背景とした近代化政策を推し進めていたが、貧富の差などから国民の反発を買う。
これにより「イラン革命」が勃発、イラン王朝は崩壊。イスラム教シーア派の法学者ホメイニーを国家元首とするイラン共和国が誕生。
革命の経緯から西欧化政策は撤回され、古典的イスラム法典による政教一致政治という史上類を見ない体制が敷かれた。
この出来事はイスラム世界においては政治史上の革新と見る向きがあるが、キリスト教圏においては「時代に逆行する愚かな体制」と見られている。*1
この偏見から、イスラムの政教一致運動を「キリスト教徒における救いがたい愚か者ども」になぞらえてイスラム原理主義者と呼ぶようになった。

その語源から実態は不明瞭きわまりなく、平和的なイスラム復興運動から、イスラム教への排他的な執着、果てはイスラム教徒による宗教戦争やテロリズムまでを十羽一からげに指している。 概ねイスラム教に対する差別感情を背景に持つ言葉であり、近年ではマスコミなどでイスラム教徒の反社会的なテロリズムを指して使われる事が多い。
近年ではイスラム原理主義というレッテルに対してスパイ活動の一環としての事実捏造、キリスト教原理主義者がイスラム教徒の社会的地位を失墜させるために行った陰謀、あるいは無知ゆえの感情論で事態をさらに混迷させた愚行、などとして批判される事も少なくない。
当のイスラム諸国においても狭義の原理主義(いわゆる“過激派”)は相互互助、慈悲、寛容などといったイスラム教徒としての倫理を無視し、テロリズムによる人的・経済的被害にイスラム教徒を巻き込んでも恥じる事もない、として大多数の国民から非難の眼差しを浴びている。

また、教義や組織が破壊的特性を持つのはイスラム教に特有の現象ではなく、どんな宗教でも、あるいは企業でも互助会でも政党でも趣味のサークルでも、とにかく新興組織にはありがちな錯誤であってイスラム教徒かどうかはあまり問題ではない、という主張もある*2
第一に重要なのはテロリズムによってのみ達成し得る危険な目標を掲げるリーダーの存在、第二に実際にテロリズムを実践できる人的・経済的資源であり、第三にテロリストの動機を生み出した深刻な社会問題(あるいは存在しない正義を信じさせる方法、すなわち「洗脳」に関する人権上の問題)であって、この3つが満たされた場合はいかなる思想・教条でもテロリズムの温床となり得る。

関連:イラン革命? 9.11事件


*1 いわゆるヨーロッパ近代史は「宗教権力と原理主義者を政治思想の表舞台から抹殺していく」事で発展してきた側面がある。しかし学術的に見ればこのような異常な過程を辿ってきた文明はヨーロッパ以外になく、いわゆる西欧化を「西欧からの思想的侵略」と同一視する向きは西欧以外のどの文化圏でも見られる普遍的傾向である。
*2 有名な例を挙げればオウム真理教、ナチス、奴隷貿易、黄巾の乱、フランス革命など。同類はどの時代のどの文化にも存在する。

トップ 新規 一覧 単語検索 最終更新ヘルプ   最終更新のRSS