【しらせ】

AGB-5002 Shirase
日本の海上自衛隊が保有していた唯一の砕氷艦。
文部科学省や国内の一般メディアでは「南極観測船」と呼ばれていた。

日本政府(主管は文部科学省・国立極地研究所)が行っている、南極圏における科学的調査活動を支援するため、旧文部省の予算により発注・建造され、1982年に就役した(船舶としての運用は海上自衛隊に委託、という形式になっている)。
上記の通り「南極観測船」という通称を持っているが、実際には南極での恒久的観測拠点である「昭和基地」への物資・観測隊員の輸送が主任務であり、本艦自身は気象レーダーやラジオゾンデにより気象観測をするにとどまる。
また、本艦は日本政府が保有・運用する公船の中では唯一、固有の人名に由来する命名をされた艦でもある。
(公式な命名は「南極大陸の"白瀬氷河"から」とされているが、これ自体も、日本初の南極探検隊長を務めた白瀬矗氏に由来しているため、とされている。
ちなみに、白瀬氏が元陸軍中尉という経歴を持っていたことから、この命名にあたっては旧海軍OBの一部から「軍艦に陸軍軍人の名をつけるとは何事か」という批判があったらしい)。

船体は前任の砕氷艦である「ふじ(AGB-5001)」の2倍以上に大型化されているが、特に艦首部は最新の砕氷理論を取り入れ、水面と21度の角度をつけた独特の形状となっており、また、部材も高張力鋼を多用した堅牢なものになっている。
これにより、本艦は最大で厚さ1.5mの氷を3ノットで連続砕氷できる、極めて強力な砕氷能力を得ることが出来た。
また、南極までの航海中に暴風圏を通るため、船体内部には動揺を抑えるためのアンチローリングタンクや、砕氷航行時に船体を左右に傾けるヒーリングタンクも備えられている。

動力は潜水艦と同様に、ディーゼルエンジンで発電機を動かして作られる電力でモーターを駆動させる「ディーゼルエレクトリック方式」を取っているが、これは、砕氷航行時に低速で前進・後退を繰り返すことから、その際に素早い加減速を得るためである。
また、スクリューは3軸となっているが、これは「ふじ」が1971年に南氷洋で推進器を損傷する事故を起こして、一時行動不能になった教訓を取り入れたものである。


艦内には南極観測隊員の活動支援のため、約60名分の居住区画・1,000トン分の貨物搭載スペース・ヘリコプターS-61A及びOH-6)2機を収容する格納庫が設置され、また、氷海上での観測活動に従事できるように各種観測装置も搭載されている。
なお、以前は観測隊員も「しらせ」の乗員と一緒に日本本土から本艦に乗り込んで南極へ向かっていたが、近年は艦の出航後(例年12月頃)、本艦の往路寄港地であるオーストラリアのフリーマントルへ空路で行き、そこで本艦に乗り込むようになっている(ちなみに、帰路も寄港地のシドニーで下船し、本艦よりも先に帰国する)。

運用について

本艦は、自衛艦としての編制上では横須賀地方隊の直轄艦になっており、横須賀を母港としているが、運用スケジュールは他の自衛艦と大幅に異なっている。

例年、8月下旬〜10月初旬にかけて乗員の訓練を兼ねた日本一周航海を行い、この間、日本各地の港に寄港して一般公開を行う。
11月初旬には観測隊の物資を搭載して東京・晴海埠頭から出港、オーストラリアで本土から来た観測隊員を乗せて12月半ば〜翌年1月初旬に南極へ入り、昭和基地に観測隊員を送り込むと共に必要な物資を搬入する(昭和基地への補給は例年、この1回のみとなっている)。
翌年2月まで氷海上で観測支援を行いつつ過ごした後、前年度に派遣された越冬隊員や越冬しない隊員(夏隊)、調査研究のために日本本土へ持ち帰る資料や基地で排出された廃棄物等を積んで南極を離れる。
その後、オーストラリアで帰国する観測隊員を先に下船させ、4月初旬に東京へ帰港。ここで南極から持ち帰った物資(研究資料や廃棄物等)を降ろした後、横須賀へ入渠して艦体の整備を行い、秋からの南極行きに備えるのである。

退役と新砕氷艦の建造

本艦は、南極観測を行っている各国が運用する砕氷船(艦)の中でも極めて優秀な能力を持つ大型砕氷艦であるが、建造から20年以上経っていることから老朽化・陳腐化をきたしており、延命のための大改修、もしくは後継艦の建造が望まれていた。
しかし、文部科学省は(折からの国家財政の悪化もあって)新砕氷艦の建造に必要な予算拠出に消極的な態度を長く取りつづけており、また、本艦を運用する防衛省も種々の事情から、改修に要する費用をなかなか拠出できなかったため、改修・新船建造のどちらも進められず、「オゾンホールの発見」などの優れた成果を上げつづけてきた日本の南極観測活動が、本艦の退役によって継続不可能になってしまうことが危惧されてきた。

各界からの呼びかけが功を奏し、2005年にようやく文部科学省が新砕氷艦の建造予算を拠出したが、この一連のスケジュール遅延により、新砕氷艦*1の就役は2009年になってしまった。
(このため、2008年度に派遣される予定の第50次観測隊の輸送は、文部科学省がオーストラリアの砕氷船「オーロラ・オーストラリス」*2を借り受けて行うこととしている)

2008年4月、第49次観測隊の輸送支援を終えて日本へ帰還したのを最後に任務を解かれ、同年7月30日、自衛艦旗を返納して正式に退役となった。

退役後の処遇について

これまで南極観測隊の輸送に使われてきた海上保安庁の巡視船「宗谷」、海自の砕氷艦「ふじ」は、退役後それぞれ保存*3されているが、本艦は退役後の処遇が長らく決まっていなかった。
これに対し、「宗谷」「ふじ」と同様に展示保存すべく、いくつかの民間企業・公益団体から購入のオファーがあり、政府・防衛省・文部科学省も検討を重ねたものの、結局(後述のような理由から)展示保存は一度断念され、一般の退役自衛艦と同様にスクラップとして処分される事となった。

その理由としては、

  • 「宗谷」「ふじ」と比べて船体が非常に大きいため、これらと同様に保存・維持するには改修に10億円とされる多額のコストがかかってしまい、購入を希望した企業・団体の資金繰りの問題から、長期にわたってそれを負担し続けることが難しいと判断された。
  • そもそも海自が運用していたことから「兵器」と同一とみなされており、武器輸出三原則等との関連から外国へ売却することも困難だった。

などがあげられる。

当初の予定では、スクリューやいかり、艦名看板など少なくとも17の部品を保存し、2009年秋以降に海上自衛隊佐世保史料館で一般展示することになっていたが、解体の方針が決まった直後にくず鉄価格が暴落したこともあって再度白紙撤回され、展示保存に向けた売却先を改めて公募することになった。

スペックデータ

基準排水量11500トン
乗員数170名(他に観測隊員約60名)
主機ディーゼル機関+電動モーター6基・3軸
出力30000PS
主な装備洋上観測装置一式
搭載機ヘリコプター2機
最大速力19ノット
同型艦なし

*1 この艦にも「しらせ」の艦名が引き継がれる予定である
*2 オーストラリア南極局が運用している砕氷船、全長 94.80m、全幅 20.30m、基準排水量 7880トン 乗組員 24名(他に観測隊員約57名(定員109名)搭載機 S-76 2機またはAS350 3機。
*3 「宗谷」は東京・お台場の「船の科学館」、「ふじ」は名古屋港ガーデン埠頭にて繋留保存

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