【えひめ丸事件】(えひめまるじけん)

2001年2月10日8時45分頃(日本時刻)、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島沖で発生した、日本船籍の漁業練習船とアメリカ海軍潜水艦との衝突事故。

愛媛県立宇和島水産高等学校が運用する「えひめ丸」(排水量499トン)が、急速浮上してきたアメリカ海軍原子力潜水艦グリーンビル(SSN-772)」に衝突されてエンジン部分を損傷、同船は約5分後に沈没した。
この事故で、えひめ丸に乗船していた乗員(船員・教員及び実習生)35名のうち、船内に取り残された9名が死亡*1、衝突の際に海上へ投げ出された26名は救助されたが、12名が重軽傷を負った*2

事故の直前、海中にあった「グリーンビル」はソナーでえひめ丸の存在を感知していたものの、民間人16名が便乗していたこともあって確認作業が疎かになっていたことと、事故後に積極的な救難活動を行わなかった点が問題となった。
また、日本側でも政府首脳の危機管理意識が問題となった*3

その後、2002年11月に被害者35名のうち33名とその家族に対し、アメリカ海軍から総額約1390万ドル(当時の円換算で約16億8000万円)の補償金が支払われて和解。
残る2名も、2003年1月に「グリーンビル」元艦長からの直接の謝罪を受けて他の家族と同水準の補償金を支払われて和解となり、事件は収束した。

関連:なだしお事件 ジョージ・ワシントン


*1 うち8名の遺体は、同年8月、(「愛媛県知事からの災害派遣要請」名目で出動した)海上自衛隊の潜水艦救難艦「ちはや」(ASR-403)により回収された。
*2 また、生存者のうち9名は後にPTSD(心的外傷後ストレス症候群)に罹患したと診断される。
*3 事故発生時、当時の首相は休暇を取ってゴルフをプレーしていたが、マスコミ報道で「事故の一報を受けた後もプレーを続けていた」としてスキャンダルとなり、結局退陣に追い込まれた。

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