*&ruby(にほんこうくうひゃくにじゅうさんびんついらくじこ){【日本航空123便墜落事故】}; [#s724ac9b]
1985年(昭和60年)8月12日夕刻、日本で発生した[[旅客機]]の[[墜落]]事故。~
[[墜落]]したのは[[日本航空]]の[[B747SR-46>B747SR]]型[[旅客機]]。[[登録番号>機体記号]]はJA8119。

**事故の経緯 [#tdb31480]
同機は大阪・[[伊丹空港]]行きJAL123便として[[羽田空港>東京国際空港]]から離陸した((この[[フライト]]は、同機にとって当日5回目のフライトであり、伊丹到着後、折り返し羽田行き最終の130便としてフライトを終える予定であった。&br;  そのため、燃料は3時間15分程度の飛行が可能な量が搭載されていた。))が、フライト中に本来の飛行コースを外れ、群馬県多野郡上野村の&ruby(たかまがはらやま){高天原山};の山中に[[墜落]]、乗客・乗員計524人中520人が死亡した。~
これは現在、単独の[[航空機]]による事故としては世界最多の犠牲者数である。~
犠牲者には当時の国民的歌手・プロ野球チーム運営会社社長など、複数の著名人が含まれていた。~
~
また、この事故は発生時に関係諸機関が混乱状態に陥った事でも知られる。~
-生存者の捜索開始当初、[[墜落]]現場が群馬県と長野県のどちらの所轄なのか判然としなかった。
-防衛庁((現・[[防衛省]]。))の発表やNHKの報道が二転三転した。
-それらの誤報や悪戯に惑わされた各機関が独自の憶測で行動し、連携を維持できなかった。
-現場が[[放射能]]汚染されている危険性が指摘された((積み荷として、医療用の[[放射性物質]]が積み込まれていた。また、動翼の部品([[マスバランス]])として劣化[[ウラン]]が使われていた。))。

などの理由から現場の発見が大きく遅れたとされる。

**事故原因 [#ncb37a4b]
> 当該事故機は以前に伊丹空港で着陸に失敗した経緯がある。~
この時、[[滑走路]]に機体後部が接触する『[[しりもち事故>テイルストライク]]』が発生し((原因は[[パイロット>エビエーター]]の操作ミス。この事故で3名が負傷している。))、客室周囲の圧力隔壁を損傷。~
修理を担当した[[ボーイング]]社は隔壁の下半分を交換したが、その修理内容にミスがあった。~
結果、通常運航で蓄積した金属疲労によって[[垂直尾翼]]や油圧操縦システムなどが破損。~
飛行中に操縦不能状態に陥り、そのまま[[墜落]]に至った。

以上が、公式に発表された事故の原因である。~
しかし、これに対して異論を唱える声が当時からあり、それに関する書物もいくつか発表されている。

-[[自衛隊]](事故発生時に太平洋上で訓練中((直接の事故原因である「圧力隔壁の破壊」が起きた時、現場直下の相模灘で[[海自>海上自衛隊]]の[[護衛艦]]「[[まつゆき>はつゆき]]」(DD-130)が公試運転中で、機体から脱落した部品の一部が同艦に回収されていた。))だった)や[[在日米軍>在日アメリカ軍]]の関与((訓練中の[[戦闘機]]や[[地対空ミサイル]]・艦対空ミサイルの[[不時発射>誤射]]、[[無人機]]の空中衝突などの説があげられていた。))を疑う声もある。
-「[[ボーイング]]社の工作によって事故原因が捏造された」という陰謀論もある。~
曰く、自社の主力商品である[[B747]]が持つ構造的欠陥((圧力漏れがあったときに働くはずの弁が作動していなかった可能性が指摘されていた。&br;  事実、[[-400型>B747-400]]の開発時にはこの部分に改良が施されていた。))が発覚し、飛行停止になることを恐れていた((「[[コメット1>コメット]]」や[[L-188「エレクトラ」>L-188]]のように、機体の構造上の欠陥を原因とする重大事故は、一度起きれば航空機メーカーにとって信用と販路の喪失や会社そのものの存廃にまで至りうる重要な問題である。))、という。

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