*&ruby(ちんじゅふ){【鎮守府】}; [#l1057787]
[[旧帝国海軍>日本軍]]にあった組織のひとつで、[[艦隊]]の[[後方支援>兵站]]を行うために恒久的な根拠地を運営すること任務とした機関。~
後述の通り、神奈川県・横須賀、広島県・呉、長崎県・佐世保、京都府・舞鶴及び遼東半島の旅順に設置されていた。~
また、鎮守府の下部組織として「要港部」という組織も置かれていた。~
~
鎮守府の主な業務は次の通りとされていた。~
-「海軍区」と呼ばれる日本列島周辺の地域・海面の防衛警備~
鎮守府には、このために固有の艦艇が配備され、「警備戦隊」「防備戦隊」という[[艦隊]]([[戦隊]])を組織していた。
-所属[[艦艇]]の統率・整備・補給・出動準備
-[[兵員の徴募>徴兵令]](([[徴兵>徴兵制]]による兵員の採用は陸軍に委託されていた。))・訓練・人事管理~
このために「[[海兵団>海兵隊]]」と呼ばれる陸上部隊が組織され、必要に応じて「[[特別陸戦隊>海兵隊]]」を編成したうえで、上陸作戦や地上施設の防衛戦闘にも投入されていた。
-軍港・[[航空基地>飛行場]]・工廠・病院など海軍施設の運営・監督~

>帝国海軍において、全ての艦艇は鎮守府に属する軍港のいずれかを母港とし、その鎮守府に属する兵員が乗り組むことになっていた。~
そして特務士官・准士官・下士官及び兵卒は、その本籍地を所轄する鎮守府に籍を置いていた((なお、[[軍楽兵>軍楽隊]]については、例外的に出身地に関係なく横須賀鎮守府に籍を置いていた(特技教育が横須賀でしか行えなかったため)。))。~
この関係について一例を挙げると、東京に本籍のある海軍兵は横須賀鎮守府に属し、横須賀を母港とする艦にのみ乗り組むことになっていたのである。

関連:[[徴兵令]] [[連隊区司令部]]

**沿革 [#u86a1b0b]
鎮守府の興りは、海軍創設後間もない1875(明治8)年に、日本周辺海域を東西に分けてそれぞれの指揮官に管轄させることとしたのに端を発する。~
1876(明治9)年に東海・西海の両鎮守府が設置されることになり、「東海鎮守府」を横浜に仮設した((西海鎮守府は結局設置されなかった。))。~
東海鎮守府は1884(明治17)年に横須賀へ移転、「横須賀鎮守府」と改称された。~
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1886(明治19)年4月に公布された「海軍条例」により、日本沿岸・海面を5つの海軍区に分け、各海軍区に軍港・鎮守府が設置されることになった。~
1889(明治23)年に広島県・呉に「呉鎮守府」、長崎県・佐世保に「佐世保鎮守府」が置かれ、1901(明治35)年には、京都府・舞鶴に「舞鶴鎮守府」が開庁された。~
>なお、5番目の海軍区は北海道・室蘭に置かれる予定だったが、1903年に中止となり、第5海軍区に予定されていた地域は横須賀鎮守府の管轄とされた。

その後、[[日露戦争]]後の1905年には旅順にも鎮守府が設置されたが、1914年に「要港部」へ縮小改編されている((1940年に「旅順警備府」へ改編され、対米開戦後の1942年1月に実質上廃止。))。~
また、舞鶴鎮守府も[[ワシントン海軍軍縮条約]]の発効に伴って要港部へ縮小改編((親補職であったため、司令官は[[中将]]のままだった。))されたが、対米開戦前の1939年に復活した。~
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[[大東亜戦争]]([[太平洋戦争]])の終結に伴う軍の解体、及び海軍省の「第二復員省」への改編((その後、復員庁第二復員局→総理府第二復員局→厚生省復員局を経て、旧海軍に関する残務処理は(陸軍と同様に)厚生労働省社会・援護局に引き継がれている。))により、1945(昭和20)年11月に鎮守府は廃止されたが、1954(昭和29)年に発足した[[海上自衛隊]]では、かつての海軍区・鎮守府または警備府に相当するものとして、「地方総監部」を設置している。((現在、大湊(青森)、横須賀(神奈川)、舞鶴(京都)、呉(広島)、佐世保(長崎)に地方総監部が設置されている。))~

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