*&ruby(きゅうろくしきりくじょうこうげきき){【九六式陸上攻撃機】}; [#x2330680]
三菱 G3M.~
支那事変時に登場した、[[日本海軍>日本軍]]の[[陸上攻撃機]](大型[[雷撃機]])。~
[[連合国軍>連合国(第二次世界大戦)]]でのコードネームは"Nell"。~
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1920年代〜1930年代に締結された「[[ワシントン海軍軍縮条約]]」及び「[[ロンドン海軍軍縮条約]]」により、主力艦船([[戦艦]]・[[巡洋艦]])の保有数に制約をかけられた日本海軍は、その対応策として、陸上基地から展開する長距離爆・雷撃機の配備を進めることとした。~
そこで1934年、海軍は[[三菱>三菱重工業]]に陸上攻撃機の試作を指示。~
1935年に「九試中型陸上攻撃機」として試作機が完成し、試験の結果、1936年に正式採用された。~
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[[双発>双発機]]、双尾翼の特徴的な外観をしており、[[爆弾倉>ウェポンベイ]]は持たず、直接胴体に[[魚雷>航空魚雷]]、または[[爆弾]]を懸架する方式を採用している。~
速度、[[航続距離]]等、デビュー当時は世界水準を大きく抜いており、「[[戦闘機不要論]]」まで出たほどだった。~
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支那事変ではその航続距離を買われ、「渡洋爆撃」と呼ばれる世界最初の[[戦略爆撃]]を敢行し、また後継機である[[一式陸上攻撃機]]と共に[[マレー沖海戦]]に参加、イギリス東洋艦隊の[[戦艦]]「プリンス・オブ・ウェールズ」及び[[巡洋戦艦]]「レパルス」を撃沈するという戦果を上げた事は有名であったが、徐々に旧式化して一線を退き、その後は対潜哨戒や輸送などの任務で終戦まで使用された。~
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なお、本機には武装を完全撤去した[[輸送機]]型もあった(民間向けとしても少数作られた)が、このうち1機は東京日日新聞社(後の毎日新聞社)によって「ニッポン号」と命名され、1939年に日本製[[航空機]]としては初の世界一周飛行を達成した。~
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**性能諸元[#i1551c0d]
|形式|CENTER:八試特殊偵察機&br;(エンジン換装前)|CENTER:九六式陸攻一一型|CENTER:九六式陸攻二一型|CENTER:九六式陸攻二三型|
|機体略号|CENTER:G1M1|CENTER:G3M1|CENTER:G3M2|CENTER:G3M3|
|乗員|>|CENTER:5名|>|CENTER:7名|
|全長|CENTER:15.83m|>|>|CENTER:16.45m|
|全高&br;(水平)|CENTER:4.532m|>|>|CENTER:3.685m|
|全幅|>|>|>|CENTER:25.00m|
|自重|CENTER:4,775kg|CENTER:4,770kg|CENTER:4,965kg|CENTER:5,243kg|
|全備重量|CENTER:7,003kg|CENTER:7,642kg|CENTER:7,778kg|CENTER:8,000kg|
|[[プロペラ]]|>|>|>|CENTER:ハミルトン定速3翅|
|[[発動機>エンジン]]|CENTER:九一式[[水冷>液冷エンジン]]W型12気筒&br;(離昇650馬力)|CENTER:金星三型&br;[[空冷>空冷エンジン]]複列星形14気筒&br;(離昇910馬力)|CENTER:金星四二型&br;(離昇1,075馬力)|CENTER:金星五一型&br;(離昇1,300馬力)|
|最高速度|CENTER:265.6km/h&br;(高度不明)|CENTER:348km/h&br;(高度2,000m)|CENTER:373.2km/h&br;(高度4,180m)|CENTER:416km/h&br;(高度5,900m)|
|[[航続距離]]|CENTER:2,346km&br;4,408km(過荷重)|CENTER:2,854km(爆撃)&br;4,550km(過荷重)|CENTER:4,379km|CENTER:6,228km|
|[[実用上昇限度>上昇限度]]|CENTER:4,600m|CENTER:7,480m|CENTER:9,130m|CENTER:10,280m|
|固定武装|CENTER:九二式7.7mm旋回機銃×2挺&br;(機首・後方・八試中攻時)|CENTER:九二式7.7mm旋回機銃×3挺&br;(前後上方・後ろ下方)|>|CENTER:7.7mm旋回機銃×3挺&br;(胴体中央部上方・側方)&br;20mm旋回機銃×1挺&br;(胴体後部上面)|
|爆装|CENTER:なし|>|>|CENTER:60kg爆弾×12発、250kg爆弾×2発&br;500kg又は800kg爆弾×1発|
|雷装|~|>|>|CENTER:800kg魚雷×1発|
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**派生型(カッコ内は生産機数)[#rda41b8a]
-八試特偵(G1M1)(1機):~
原型機。~
[[発動機>エンジン]]は海軍広工廠「九一式」[[水冷>液冷エンジン]]W型12気筒(500馬力)を搭載。~
初の自動操縦装置と引き込み脚を装備。~
後に、発動機を三菱「震天(ハ-6)」[[空冷>空冷エンジン]]14気筒(950馬力)に換装し最高速度が向上(266km/h→293km/h)している。~
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-九試中型陸上攻撃機(甲案型)(6機):~
八試特偵を基に改良が行われた陸攻型。~
尾翼胴体を再設計し操縦席が正副並列式に改められ、銃座と魚雷・爆弾搭載装置が搭載された。~
[[偵察]]員席が操縦席後方にある。~
[[発動機>エンジン]]は1.2.5.6号機は九一式水冷W型12気筒(600馬力)を装備し、3.4号機は三菱「金星」二型(680馬力)を装備している。~
~
-九試中型陸上攻撃機(丙案型)(15機):~
[[偵察]]員席が操縦席より前に配置され、機首に透明銃座を設けた。~
甲案に比べ機首が短縮され、操縦席の風防は盛り上がった形になっている。~
7〜10号機・12〜21号機の発動機は「金星」二型もしくは三型を装備。~
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-九六式陸上攻撃機一一型(G3M2a)(34機) :~
初期生産型で九試中攻の甲案型をもとに量産化した型。~
発動機は金星三型(910馬力)を搭載し、カウルフラップを追加。~
三翅可変ピッチプロペラ、引き込み式銃座を装備。~
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-九六式陸上攻撃機二一型(G3M2b)(343機):~
発動機を金星四二型(離昇1,075馬力)に換装しプロペラ直径を3.20mに変更した型。~
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-九六式陸上攻撃機二二型(238機) :~
戦訓を取り入れた武装強化型。~
胴体上面の後方銃座をブリスター型銃座の20mm旋回砲1門に改め、胴体側面に7.7mm旋回銃各一丁を装備したブリスター型銃座が新設された。~
胴体下方の垂下筒は廃止され、411号機以降は胴体下面の段がなくなり、胴体下面に下方銃の支基が設けられた。~
武装強化に伴い乗員が7名に増えている。後期生産型の79機は金星四五型を装備している。~
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-九六式陸上攻撃機二三型(G3M3)(412機):~
金星五一型(離昇1,300馬力)装備の最終生産型で、全機[[中島飛行機>SUBARU]]で生産された。~
機体は二二型に準ずる。~
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***輸送機型 [#efb62249]
-九六式陸上輸送機一一型(L3Y1):~
九六式陸上攻撃機一一型及び二一型から改造。発動機は金星四二型ないし四五型を標準とした。~
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-九六式陸上輸送機二一型(L3Y2):~
[[空挺部隊]]輸送用の機体。~
[[貨物室>キャビン]]内部を[[空挺部隊]]輸送用に改造し、胴体下面には装備品の梱包を搭載可能とした。~
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-三菱式双発輸送機:~
武装を全廃、軍用型から一部の艤装を変更して乗客定員4〜8人の[[旅客機]]、もしくは貨物輸送機とした型。~
東京日日新聞社が導入した「ニッポン号」はこのモデルであった。~
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