*&ruby(きゅーばきき){【キューバ危機】}; [#bd3ca53d]
1962年10月、キューバで[[核兵器]]が発見された事を発端として発生した世界規模の危機的状況。~
[[相互確証破壊]]戦略の政治的限界を露呈させ、全世界を[[全面核戦争>核戦争]]勃発寸前の恐怖へ陥れる歴史的事件となった。

**概要 [#h20e5184]
:1959年|キューバのバティスタ政権が内戦で崩壊。[[フィデル・カストロ]]を首班とする共産主義政権が成立。~
アメリカはこれを敵視し、キューバに対し米州機構からの除名・経済封鎖などの制裁措置を執った。~
[[カストロ>フィデル・カストロ]]政権は親米勢力との[[紛争]]に備えてソ連に接近していった。
:1962年|キューバからの兵器供与要請に対し、ソ連は大量の武器供与による[[紛争]]発生を忌避。~
一方で[[相互確証破壊]]による[[抑止力]]を狙い、通常兵器ではなく[[核兵器]]の配備を提案。~
[[カストロ>フィデル・カストロ]]政権もこれに同意し、キューバにソ連の[[弾道ミサイル]]が配備され始めた。
:1962年10月14日|[[アメリカ空軍>USAF]]の[[U-2]][[偵察機]]により、キューバに配備された[[弾道ミサイル]]の存在が発覚。
:1962年10月22日|アメリカ政府はキューバで[[ソ連軍]]のミサイル基地が建設されている事実を公表。~
ソ連に対して[[弾道ミサイル]]の撤去が要求されるも、ソ連は事実無根と主張してこの要求を拒否。~
[[ペンタゴン>アメリカ国防総省]]は「[[デフコン]]2」を発令し、準戦時体制へ移行。~
[[アメリカ海軍]]大西洋艦隊がミサイル搬入阻止のためにキューバを[[海上封鎖>拿捕]]、戦争寸前の危機的状況に至る。~
:1962年10月25日|[[国連安全保障理事会>国際連合安全保障理事会]]の緊急会合で、キューバ情勢について討議が行われた。~
キューバに核ミサイルが存在するか否かが会議の焦点となるも、合意を得ず。~
:1962年10月26日|ソ連側が、キューバへの軍事的干渉を行わない事を条件に核ミサイルの撤去を提案。~
:1962年10月27日|ソ連側が追加条件として、トルコに配備された米軍の[[PGM-19「ジュピター」>PGM-19]][[中距離弾道ミサイル>弾道ミサイル]]の撤去を要求。~
同時期、キューバ上空でアメリカの[[U-2]][[偵察機]]がソ連軍の[[S-75>SA-2]][[地対空ミサイル]]に[[撃墜]]された。~
ここに至って交渉決裂はほぼ確実となり、全世界が第三次世界大戦の勃発を覚悟した。
:同日|急転直下、ソ連のフルシチョフ首相がキューバからの[[撤退]]を表明。~
ソ連政府はアメリカ側の条件を呑み、アメリカ側もキューバへの軍事的非干渉と[[PGM-19]]の撤去に合意。~
全面[[核戦争]]の危機は回避された。

**その後 [#f4eafc31]
この事件により、アメリカ・ソ連は共に[[核戦争]]のリスクを周知し、直接対決を忌避するようになる。~
この後の[[冷戦]]はもっぱら技術開発競争と[[代理戦争]]に終始する事となった。~
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また、この事件を境に数年間、キューバとソ連の外交関係は如実に悪化した。~
キューバは当事国であり、また自国が存亡の危機にあったにも関わらず、一切の交渉から閉め出されていた((もちろん、世界情勢を左右する重要な交渉に「暴力的に政権を奪取した若い革命家」を出席させるなど暴挙以外の何物でもなかったのではあるが。))。~
ソ連側もキューバの稚拙な反応に辟易し、事件以後は各国の共産革命政権と距離を置くようになったという。

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