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*&ruby(おおいたくうこう){【大分空港】}; [#rf647aad]
大分県北東部・国東半島沿いの別府湾沿岸((敷地は行政上、国東市に属している。))に位置する[[空港]]。~
また、後述の通り[[人工衛星]]の打ち上げ拠点「宇宙港」ともなっている。~
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[[宮崎空港]]と同様、[[第二次大戦>第二次世界大戦]]前に旧海軍航空隊の飛行場として、現在の大分市内に開設された。~
終戦後に第二種空港(当時)として同地に再開されたが、[[滑走路]]の両端を川で挟まれていて延伸が困難だったことや周辺の市街地化、また、大分市の「新産業都市」指定の条件として移転が求められたため、1971年に現在地へ移転。((現在、旧空港の跡地は「大洲総合運動公園」および「新大分球場」となっている。))~
[[宮崎空港]]と同様、[[第二次大戦>第二次世界大戦]]前に[[旧海軍航空隊>日本軍]]の[[飛行場]]として、現在の大分市内に開設された。~
終戦後に[[第二種空港]](当時)として同地に再開されたが、[[滑走路]]の両端を川で挟まれていて延伸が困難だったことや周辺の市街地化、また、大分市の「新産業都市」指定の条件として移転が求められたため、1971年に現在地へ移転((現在、旧空港の跡地は「大洲総合運動公園」および「新大分球場」となっている。))。~
このため、一時期は市内へのアクセスとして[[ホバークラフト>エアクッション艇]]も就航していた(詳細は後述)。~
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また、かつては日本エアシステムの乗員訓練所があったこともあり、[[JAL>日本航空]]グループをはじめとする各社による[[タッチ・アンド・ゴー]]や、[[宮崎空港]]に併設された航空大学校による飛行訓練がここで行われている。~
また、かつては[[日本エアシステム]]の乗員訓練所があったこともあり、[[JAL>日本航空]]グループをはじめとする各社による[[タッチ・アンド・ゴー]]訓練や、[[宮崎空港]]に併設された[[航空大学校]]による飛行訓練がここで行われている。~
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2020年4月、大分県はヴァージン・オービット社とパートナーシップを締結し、大分空港を、[[航空機]]を利用した[[小型人工衛星>人工衛星]]を打ち上げる水平型の「宇宙港」として利用するための準備を進めることを発表した。~

**空港情報 [#w9466a06]
|種別|拠点空港(国管理・旧[[第二種>第二種空港]])|
|[[滑走路]]|2,999m×46m(01/19)|
|3レターコード|OIT|
|4レターコード|RJFO|
|[[ILS>計器着陸装置]]|あり|
|設置・管理者|日本国政府(国土交通省)|

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**主な就航便 [#n1d8e8dc]
|>|CENTER:''国内線''|
|>|CENTER:航空会社が2社以上の場合、最前の航空会社の機材・乗務員で運航する[[コードシェア便>コードシェア]]。|
|[[日本航空(JAL)>日本航空]](([[ジェイエア]]の機材・乗務員で運航する便もあり。))|[[東京国際空港]]&br;[[大阪国際空港>伊丹空港]]|
|[[全日本空輸(ANA)>全日本空輸]](([[ANAウイングス]]の機材・乗務員で運行する便もあり。))|東京国際空港&br;大阪国際空港|
|[[ソラシドエア(SNA)>ソラシドエア]]・全日本空輸(ANA)|東京国際空港|
|[[アイベックスエアラインズ]](IBX)・全日本空輸(ANA)|[[中部国際空港]]&br;大阪国際空港|
|[[ジェットスター・ジャパン]](JJP)・日本航空(JAL)&br;(JAL国際線との乗り継ぎ時のみ)|[[成田国際空港>成田空港]]|
|[[ピーチ・アビエーション]](APJ)|成田国際空港|
|>|CENTER:''国際線''|
|大韓航空(KE)・日本航空(JL)・[[デルタ航空(DL)>デルタ航空]]|仁川国際空港(ソウル)((1月〜3月の期間限定運航。))|
|ティーウェイ航空(TW)|仁川国際空港(ソウル)|
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**所在の官公庁航空組織 [#d5091074]
-大分県警察本部生活安全部地域課
--大分県警察航空隊([[A109E>AW109]]を装備)
--大分県警察航空隊([[A109E>AW109]](愛称「ぶんご」)を装備)

**空港連絡ホバークラフト [#n9e9e559]
前述のように、本空港の特徴の一つだったのが「空港連絡ホバークラフト」だった。~
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本空港は1971年に現在地へ移転したが、当時、道路網はまだ充分ではなく、市内から陸路で向かうには別府湾に沿って大きく迂回せねばならなかった。~
そこで、別府湾を横断することで時間を短縮するため、「大分ホーバーフェリー」社がホバークラフトを就航させた。~
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空港敷地と大分市内(旧空港跡地の一部)に専用の乗り場を設け、空港〜大分市内を約30分で結んでいた。~
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この路線は長らく空港アクセスや観光の目玉として親しまれ、特に、1988年にJR四国の宇高航路急行便が廃止されてからは、日本唯一のホバークラフト商業運航路線となったことで「体験乗船」する旅客も多かった。~
この路線は長らく空港アクセスや観光の目玉として親しまれ、特に、1988年に瀬戸大橋の開業によってJR四国の宇高航路急行便が廃止されてからは、日本唯一のホバークラフト商業運航路線となったことで「体験乗船」する旅客も多かった。~
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しかし、21世紀に入ってから、道路網の整備で大分市内からの陸上アクセスが便利になったことや燃料費高騰などによる経費拡大、空港自体の利用客減少などによって赤字が累積。~
また、ホバークラフトを建造した[[三井造船]]が交換部品の供給を打ち切る方針を固めたことで経営の継続が困難になり、2009年10月、大分ホーバーフェリーは会社更生法の適用を申請、事業を休止してしまった((最終的に、2011年に会社は解散となり、同社が使用していた運航施設はすべて解体・撤去され、船体や予備部品もすべて中国へと売却されてしまった。))((その後、2012年に売却された4隻のうち3隻が八代港へと戻され、しばらく放置されていたが2015年に解体された。))((帰国時は各艇とも汚損破損が見られ、特にドリームアクアマリンは火災によりキャビン部が焼損し、船体上部と右舷窓部は完全に焼失した状態だった。))。~
また、ホバークラフトを建造した三井造船が交換部品の供給を打ち切る方針を固めたことで経営の継続が困難になり、2009年10月、大分ホーバーフェリーは会社更生法の適用を申請、事業を休止してしまった。~
>最終的に、2011年に会社は解散となり、同社が使用していた運航施設はすべて解体・撤去され、船体や予備部品もすべて中国へと売却されてしまった。~
その後、2012年に売却された4隻のうち3隻が八代港へと戻され、しばらく放置されていたが2015年に解体された((帰国時は各艇とも雑な塗装の上塗りがあったり、船体のへこみやゆがみが見られた。))((特に「ドリームアクアマリン」は火災によりキャビン部が焼損し、船体上部と右舷窓部は完全に焼失した状態だった。))。~

そしてこれにより、日本国内におけるホバークラフトの商業運航路線はすべて消滅となった。~
>なお、大分県では2023年度からホバークラフトの運航を復活させることを計画している。

***使用艇 [#b327fb77]
-運用終了時の使用艇(いずれも三井造船製MV-PP10が使用された。)
--ドリームアクアマリン(旧ドリーム1号)※1990年3月就航
--ドリームエメラルド(旧ドリーム2号)※1991年3月就航
--ドリームルビー(旧ドリーム3号)※1995年10月就航
--ドリームサファイア ※2002年4月就航
|>|運用終了時の使用艇(いずれも三井造船製MV-PP10が使用された)|
|船名|就航日|
|ドリームアクアマリン&br;(旧ドリーム1号)|1990年3月|
|ドリームエメラルド&br;(旧ドリーム2号)|1991年3月|
|ドリームルビー&br;(旧ドリーム3号)|1995年10月|
|ドリームサファイア((バリアフリーへの対応と推進[[エンジン]]の換装(メルセデスベンツ製の[[水冷式>液冷エンジン]])によりエンジン室が大きくなったため、乗船定員が他の艇より少ない100名となっている。))|2002年4月|
~
-過去の使用艇(三井造船製MV-PP5→MV-PP5 Mk.2(船体延長型))
--ほびー1号(1971年6月〜1991年(1983年8月にMk.2へ改造))
--ほびー2号(1971年7月〜1976年に砂利運搬船との衝突事故で廃船)
--ほびー3号(1971年9月〜1990年(1978年12月にMk.2へ改造))
--はくちょう3号(1976年〜1995年(1980年2月にMk.2へ改造))
---ほびー2号の事故廃船の穴埋めとして三井造船から借り受け。1979年11月に購入。~
--エンゼル2号(1978年〜1988年)
--エンゼル5号(1982年〜2002年(1982年2月にMk.2へ改造))
--ほびー6号(1987年〜2003年(1987年10月にMk.2へ改造))
---元は日本ホーバーラインの大阪〜徳島間(廃止)で使われていた「赤とんぼ51号」で、僚船の「赤とんぼ52号」と共に1983年に中古購入された。
--ほびー7号
---元は日本ホーバーライン「赤とんぼ52号」。~
船籍登録されたが運航に使用されることなく、他艇維持の部品取り用となった。~
|>|>|>|CENTER:過去の使用艇(三井造船製MV-PP5→MV-PP5 Mk.2(船体延長型))|
|船名|就航期間|Mk.2への改造日|備考|
|ほびー1号|1971年6月〜1991年|1983年8月||
|ほびー2号|1971年7月〜1976年|-|砂利運搬船との衝突事故で廃船|
|ほびー3号|1971年9月〜1990年|1978年12月||
|はくちょう3号|1976年〜1995年|1980年2月|ほびー2号の事故廃船の穴埋めとして&br;三井造船から借り受け。&br;1979年11月に購入。|
|エンゼル2号|1978年〜1988年|-|元空港ホバークラフト所属|
|エンゼル5号|1982年〜2002年|1982年2月|~|
|ほびー6号|1987年〜2003年|1987年10月|最後まで残ったMV-PP5。&br;元は日本ホーバーラインの「赤とんぼ51号」で、&br;大阪〜徳島間(廃止)で使用されていた。&br;僚船の「赤とんぼ52号」と共に1983年に中古購入。|
|ほびー7号|||元は日本ホーバーライン「赤とんぼ52号」。&br;船籍登録されたが運航に使用されることなく、&br;他艇維持の部品取り用として使用。|
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