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*&ruby(げんすい){【元帥】}; [#hd12e18e]
軍人の階級、もしくは称号のひとつ。~
「階級」とされた場合は将官の上位に位置づけられ、職業軍人の最高位階級となるのが一般的だが、国・時代によってその位置付けはバラバラである。~
また、国家・軍に対して特に大きな功績のあった将官や国家元首への「名誉称号」として与えられる国や、そもそもその制度自体がない国家及び軍隊([[自衛隊]]など)もある。~
(Field)Marshal([[陸軍]])/Admiral of the fleet([[海軍]])/Marshal of the air force([[空軍]])~
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軍人の[[階級]]、もしくは称号のひとつ。~
[[NATO>北大西洋条約機構]]が定めた[[階級符号>NATO階級符号]]は「OF-10」である。~
中国、台湾ではMarshal、Grand AdmiralないしAdmiral of the fleetを元帥、General of the army(air force)、Fleet Admiralを五星上将と表現を区別している。~
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「階級」とされた場合は[[将官]]の上位に位置づけられ、職業軍人([[士官]])の最高位階級となるのが一般的だが、国・時代によってその位置付けはバラバラである。~
また、国家・軍に対して特に大きな功績のあった[[将官]]や国家元首への「名誉称号」として与えられる国や、そもそもその制度自体がない国家及び軍隊([[自衛隊]]など)もある。~
>なお、陸軍元帥を意味する「Marshal」の本来の意味は「式部官」という官職である。~
従って、Field marshalとは直訳では「野戦を取り仕切る式部官」になる。~
また、日本語における元帥の呼称の語源は「&ruby(だいげんすいみょうおう){大元帥明王};」という仏界の神仏の名から取ったものである。
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**日本における「元帥」 [#o0cc5847]
[[日本軍]]においては明治初期の建軍時、階級のひとつとして設置され、西郷隆盛(薩摩藩)が最初の「陸軍元帥」に任官されたが、間もなく階級自体が廃止される(この時、西郷は陸軍大将になった)。~
その後、明治31年(1898年)に制定された「元帥府条例」により、陸海軍大将のうちで特に大きな功績を残した者に「称号」として与えられることになり、この称号を贈られた者は~
「元帥陸軍大将勲一等[[功一級>金鵄勲章]] 山田太郎」~
「元帥海軍大将勲一等功一級 田中次郎」~
[[日本軍]]においては明治初期の建軍時、階級のひとつとして設置され、西郷隆盛(元薩摩藩士)が最初の「[[陸軍]]元帥」に任官されたが、間もなく階級自体が廃止される(この時、西郷は陸軍[[大将]]になった)。~
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その後、明治31年(1898年)に制定された「元帥府条例」により、陸海軍[[大将]]のうちで特に大きな功績を残した者に「''称号''」として与えられることになり、この称号を贈られた者は~
「元帥[[陸軍]]大将[[勲一等>勲章]][[功一級>金鵄勲章]] 山田太郎」~
「元帥[[海軍]]大将勲一等功一級 田中次郎」~
などというように公式書類では表記された。~
また、元帥は天皇の[[最高軍事顧問集団>参謀]]である「元帥府」を構成したほか、第5位の宮中席次を与えられていた((ちなみに、元帥でない[[大将]]の宮中席次は第10位とされていた。))。~
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一般に、軍人はその階級に定められた一定の年齢が来ると[[予備役・後備役>予備役]]へ退くが、日本においては元帥号を受けた者のみ「終身現役」と定められており、また、[[第二次世界大戦]]までは部隊指揮官の職から退いた大将に与えられるのが慣例となっていたことから、海軍の東郷平八郎(日露戦時の[[連合艦隊]]司令長官)や伏見宮博恭王(皇族出身。1930年代の軍令部総長)のように、「軍最先任将校」としてその発言が大きな影響を及ぼすこともあった。((中将→大将への昇進の際、その者より先任および同期の中将は全員[[予備役]]へ強制編入されるため。))~
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ちなみに、旧大日本帝国憲法下で在位した三人の天皇(明治天皇・大正天皇及び1945年までの昭和天皇)は、同憲法の規定で[[統帥権]]を持ち、全軍の最高指揮官と位置付けられていたことから「大元帥陛下」と呼ばれることもあった。((なお、軍人としての階級は「陸軍大将兼海軍大将」となっていた。))
一般に、軍人はその階級に定められた一定の年齢が来ると[[予備役・後備役>予備役]]へ退くが、日本においては元帥号を受けた者のみ「終身現役」と定められており、また、[[第二次世界大戦]]までは[[部隊]]指揮官の職から退いた大将に与えられるのが慣例となっていたことから、海軍の[[東郷平八郎]]([[日露戦>日露戦争]]時の[[連合艦隊]]司令長官)や伏見宮博恭王(皇族((当時、皇族の男性は西欧貴族社会の「ノブレス・オブリージュ」という思想にのっとり、成年に達すると[[陸海軍>日本軍]]に[[士官]]として入隊するのが常であった。))。昭和初期〜[[大東亜戦争]]直前まで軍令部(総)長を務めた)のように、「軍の最先任[[士官]]」としてその発言が大きな影響を及ぼすこともあった((ある[[士官]]が[[中将]]から[[大将]]へ昇進する際、その者より先任および同期の[[中将]]は全員[[予備役]]へ強制編入されるため。))。~
>ちなみに、旧大日本帝国憲法下で在位した三人の天皇(明治天皇・大正天皇及び1945年までの昭和天皇)は、同憲法の規定で[[統帥権]]を持ち、「(元帥号を持つ)陸軍大将兼海軍大将」という軍人としての階級も持ち、全軍の最高指揮官と位置付けられていたことから「大元帥陛下」と呼ばれることもあった((また、大正天皇および昭和天皇は英国陸軍からも「元帥」の''階級''を贈られていた。))。~

>なお、当時、天皇の直系の子息である皇太子及び皇太孫は、将来皇位を継いで「元帥陸軍大将兼元帥海軍大将」になることから、「皇族身位令」によって満10歳になると[[陸軍少尉兼海軍少尉>尉官]]に任官され((その後の軍人としての昇進も、一般の[[士官]]とは別の扱いになっていた。))、[[近衛歩兵>歩兵]][[第1連隊>連隊]]([[近衛師団]](後に[[近衛第1師団>近衛師団]])隷下)及び[[第1艦隊>艦隊]](([[戦艦]]を中心として編制されていた[[艦隊]]。&br;  なお、[[連合艦隊]]は大正時代半ば頃まで、戦時または大演習の際に臨時編成される非常設の組織であった。))司令部に配属されることになっていた。~
(ちなみに、現在の明仁上皇も[[大東亜戦争]]中の皇太子時代に少尉任官される年齢を迎えていたが、父・昭和天皇の意向により軍籍は与えられなかった)

1945年の[[大東亜戦争]]終結と、それによる軍の解体により元帥府は廃止され、元帥の制度も廃止された((この時点で存命であった元帥は陸軍が3名(梨本宮守正王、寺内寿一及び畑俊六)、海軍が2名(伏見宮博恭王及び永野修身)、及び(元帥陸軍大将兼元帥海軍大将の階級を持っていた)昭和天皇の計6名だった。))。


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