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*&ruby(あがの){【阿賀野】}; [#e8ef85f7]
新潟県などを流れる河川「阿賀野川」(原義)。~
[[日本海軍>日本軍]]及び[[海上自衛隊]]の艦船名として幾度か用いられている。~

旧日本海軍が1940年代に就役させた[[軽巡洋艦]]。~
姉妹艦に「&ruby(のしろ){能代};」「&ruby(やはぎ){矢矧};」「&ruby(さかわ){酒匂};」の3隻がある。~
**二等(軽)巡洋艦 [#tde969ae]
[[旧日本海軍>日本軍]]が1940年代に就役させた[[二等(軽)巡洋艦>軽巡洋艦]]。~
姉妹艦に「&ruby(のしろ){能代};」「&ruby(やはぎ){矢矧};」「&ruby(さかわ){酒匂};」の3隻があった。~
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本艦は当初、大正時代に建造された(通称「[[5500トン級]]」と呼ばれる)旧式軽巡洋艦の老朽代替として開発された。~
これら旧式軽巡洋艦は、[[八八艦隊]]計画に伴って建造されたため、短期間に14隻と多数が就役して所要数が満たされていたこともあって、日本海軍はその後十数年間、軽巡洋艦の戦力整備を積極的に行わなかった。~
>とはいえ、この間何もしなかったわけではなく、「夕張」、「最上」級(6隻((5・6番艦(「[[利根]]」「筑摩」)は設計変更を受け、最初から[[重巡洋艦]]として竣工した。)))といった艦の建造は行われていた。~
しかし、「夕張」は艦体小型化のテストベッド的な性格が強い、事実上「大型(嚮導)駆逐艦」というべき艦であった。~
一方の「最上」型は、[[ロンドン海軍軍縮条約]]で決められた[[重巡洋艦]]の保有制限に対処すべく、重巡洋艦と同じ船体に15.5サンチ砲を載せて「軽巡洋艦」の体裁にしたものであった((後に20.3サンチ砲に載せ替え、名実共に重巡洋艦となった。))。
本艦は当初、大正時代に建造された(通称「[[5500トン級]]」と呼ばれる)旧式[[軽巡洋艦]]の老朽代替として開発された。~
これら旧式軽巡洋艦は、[[八八艦隊]]計画に伴って建造されたため、短期間に14隻と多数が就役して所要数が満たされていたこともあって、日本海軍はその後十数年間、[[軽巡洋艦]]の戦力整備を積極的に行わなかった。~
>とはいえ、この間何もしなかったわけではなく、「[[夕張]]」、[[「最上」級>最上]](6隻((このうち軽巡洋艦として完成したのは4隻で、5・6番艦(「[[利根]]」「筑摩」)は設計変更を受け、最初から[[重巡洋艦]]として竣工した。)))といった艦の建造は行われていた。~
しかし、「[[夕張]]」は艦体小型化のテストベッド的な性格が強い、事実上「[[大型(嚮導)駆逐艦>駆逐艦]]」というべき艦であった。~
一方の「最上」型は、[[ロンドン海軍軍縮条約]]で決められた[[一等(重)巡洋艦>重巡洋艦]]の保有制限に対処すべく、重巡洋艦と同じ船体に15.5サンチ砲を載せて「軽巡洋艦」の体裁にしたものであった((このようなことが可能だったのは、軍縮条約で定められた[[巡洋艦]]の種別分けが「主砲の口径」と「[[(基準)排水量>基準排水量]]」で定められていたためである。&br;  そのため、軍縮条約失効後に20.3サンチ砲に載せ替え、名実共に重巡洋艦となった。))。

日本海軍における軽巡洋艦の二大任務であった「[[水雷戦隊>戦隊]][[旗艦]]」「[[潜水戦隊>戦隊]]旗艦」は、5500トン級各艦が随時交代しつつ務めていたが、1930年代後半になってこれらの艦の老朽化・陳腐化が進んだため、海軍はその代替として、これら二つの任務のいずれかに特化した艦を発注することにした。~
このうち、前者の「水雷戦隊旗艦」用として開発されたのが本艦である((後者は「[[大淀]]」級として開発され、2隻が発注されたが、就役したのはネームシップの「大淀」だけだった(姉妹艦の「仁淀」はキャンセルされた)。))。~
[[日本海軍>日本軍]]における[[軽巡洋艦]]の二大任務であった「[[水雷戦隊>戦隊]][[旗艦]]」「[[潜水戦隊>戦隊]]旗艦」は、5500トン級各艦が随時交代しつつ務めていたが、1930年代後半になってこれらの艦の老朽化・陳腐化が進んだため、[[海軍]]はその代替として、これら二つの任務のいずれかに特化した艦を発注することにした。~
このうち、前者の「[[水雷]][[戦隊]][[旗艦]]」用として開発されたのが本艦である((後者は「[[大淀]]」級として開発され、2隻が発注されたが、就役したのはネームシップの「大淀」だけだった(姉妹艦の「仁淀」はキャンセルされた)。))。~
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本艦の設計に当たっては、「水雷戦隊旗艦」に求められた「[[戦隊]]に属する十数隻の[[駆逐艦]]を率い、先陣を切って敵の主力[[艦隊]]に突入、自らも敵艦に[[魚雷]]を叩き込む」という任務への対応が最優先された。~
そのため、魚雷兵装は4連装発射管2基を艦の中心線上に置き、一度に片舷8本の[[酸素魚雷]]が撃てるようにした。~
また、水雷戦隊の主任務であった「夜間肉薄雷撃」に対応すべく、「夕張」の建造で得られた経験を生かして艦体もコンパクト化が図られていた。~
また、水雷戦隊の主任務であった「夜間肉薄雷撃」に対応すべく、「[[夕張]]」の建造で得られた経験を生かして艦体もコンパクト化が図られていた。~
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しかし、その反面で[[主砲>艦載砲]]は、軽巡共通の15.5サンチではなく15.2サンチ砲((しかも「軽量化のため」として弾薬装填も人力式だった。))とされ、[[高角砲>高射砲]]も連装2基のみとされるなど、1940年代の大型水上戦闘艦艇としては大幅に能力バランスの悪い艦になってしまった。~
しかし、その反面で[[主砲>艦載砲]]は、軽巡共通の15.5サンチではなく15.2サンチ砲((しかも「軽量化のため」として弾薬装填も人力式だった。))とされ、[[高角砲>高射砲]]も連装2基のみとされるなど、1940年代の大型[[水上戦闘艦艇>水上艦]]としては大幅に能力バランスの悪い艦になってしまった。~
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本艦型は、日米開戦翌年となる1942年より相次いで就役したが、[[航空主兵主義]]という[[戦術思想>ドクトリン]]が支配した太平洋の戦場では、いずれの艦も、期待された能力を発揮する機会に恵まれず生涯を終えていった((特に「酒匂」にいたっては、就役した時に既に[[連合艦隊]]の水上艦戦力が壊滅し、組織的戦闘を行える状態でなくなっていた。))。~
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**スペックデータ [#t1a103c0]
本艦型は、日米開戦翌年となる1942年より相次いで就役したが、[[航空主兵主義]]という[[戦術思想>ドクトリン]]が支配した太平洋の戦場では、いずれの艦も、期待された能力を発揮する機会に恵まれず生涯を終えていった((特に「酒匂」にいたっては、就役した時に既に[[連合艦隊]]の[[水上艦]]戦力が壊滅し、組織的戦闘を行える状態でなくなっていた。))。~

***スペックデータ [#t1a103c0]
|[[排水量]]&br;([[基準>基準排水量]]/[[公試>公試排水量]]/[[満載>満載排水量]])|6,652t/7,710t/8,338t|
|全長|174.50m|
|水線長|172m|
|垂線間長|162m|
|全幅|15.20m|
|深さ|10.17m|
|吃水|5.63m(公試平均)|
|[[喫水]]|5.63m(公試平均)|
|主缶|ロ号艦本式罐・重油焚×6基|
|主機|艦本式オールギヤードタービン×4基|
|~|推進器×4軸|
|主機|艦本式オールギヤードタービン×4基&br;推進器×4軸|
|機関出力|100,000hp|
|燃料搭載量|重油:1,420t|
|最大速力|35.0[[kt>ノット]]|
|[[航続距離]]|6,000[[海里]]/18kt|
|乗員|726名(計画乗員)|
|兵装|四十一式50口径15.2mm連装砲×3基&br;九八式60口径7.6cm連装[[高角砲>高射砲]]×2基&br;九六式60口径25mm機銃×3連装2基&br;(酒匂は3連装10基+単装18基、矢引は3連装10基+連装4基)&br;九二式四型4連装61cm魚雷発射管×2基(九三式一型改一魚雷×16本)&br;九五式[[爆雷]]×18個|
|兵装|四十一式50口径15.2cm連装砲×3基&br;九八式60口径7.6cm連装[[高角砲>高射砲]]×2基&br;九六式60口径25mm機銃×3連装2基&br;(酒匂は3連装10基+単装18基、矢引は3連装10基+連装4基)&br;九二式四型4連装61cm魚雷発射管×2基(九三式一型改一魚雷×16本)&br;九五式[[爆雷]]×18個|
|[[装甲]]|21〜57mm(水線部主装甲)&br;20mm(主甲板)&br;25mm(主[[砲塔]]最厚部)&br;25mm(主砲バーベット)|
|搭載機|[[水上偵察機>偵察機]]×2機|
|搭載艇|11m[[内火艇]]×1隻&br;9m内火艇×1隻&br;12m内火ランチ×1隻&br;9m救助艇×2隻&br;9mカッター×1隻(煙突左舷、「阿賀野」と「能代」が一時的に搭載)|
|搭載機|[[水上>水上機]][[偵察機]]×2機|
|搭載艇|11m[[内火艇]]×1隻&br;9m内火艇×1隻&br;12m内火ランチ×1隻&br;9m救助艇×2隻&br;9m[[カッター>カッターボート]]×1隻(煙突左舷、「阿賀野」と「能代」が一時的に搭載)|
|装備|呉式二号[[射出機>カタパルト]]五型または一式二号射出機一一型×1基|
|[[電探>レーダー]]|21号電探×1基(竣工時)&br;22号電探×2基(1944年7月以降)&br;13号電探×1基(1944年7月以降)|
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**同型艦 [#w552f012]
***同型艦 [#w552f012]
|艦名|主造船所|起工|進水|就役|除籍|備考|
|阿賀野|佐世保工廠|1940.6.18|1941.10.22|1942.10.31|1944.3.31|1944.2.17&br;トラック島沖にて戦没(([[バラオ級>バラオ]]潜水艦「スケート(SS-305)」の雷撃による。))|
|能代|横須賀工廠|1941.9.4|1942.7.19|1943.6.30|1944.12.20|1944.10.26&br;ミンドロ島南方にて戦没((米軍機の空襲による。))|
|矢矧|佐世保工廠|1941.11.11|1942.10.25|1943.12.29|1945.6.20|1945.4.7&br;九州南西海上にて戦没((坊ノ岬沖海戦にて米軍機の空襲による。))|
|酒匂|~|1942.11.21|1944.4.9|1944.11.30|1945.10.5|終戦時残存&br;1946.7.2&br;ビキニ環礁にて沈没((「クロスロード」作戦([[原爆>原子爆弾]]実験)の標的艦として使用。))|
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**多機能護衛艦(FFM-6) [#t7fd19cb]
JS Agano(FFM-6).~
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[[海上自衛隊]]が2010年代末から整備を進めている「[[もがみ>最上]]」級[[多機能護衛艦>護衛艦]]([[フリゲート]])の6番艦。~
2021年6月に起工、2022年12月に進水、「あがの」と命名された。~
今後、艤装と公試運転を受けたのち、2024年3月に就役予定となっている。


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