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*&ruby(どいつさいしゅうきていじょうやく){【ドイツ最終規定条約】}; [#i72723ba]
[[第二次世界大戦]]で敗れたドイツと、戦勝国であったアメリカ・イギリス・フランス・ソ連との間で締結された多国間条約。~
[[第二次世界大戦]]の対ドイツ戦後処理の一環である「対ドイツ平和条約」に代わるものとして、1990年9月12日にモスクワで締結、翌1991年3月15日に発効した。~
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[[第二次世界大戦]]で敗戦国となったドイツは、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の4カ国によって分割占領された。~
しかし、終戦直後から[[冷戦]]が勃発してドイツはその最前線となり、米英仏の占領地域とソ連の占領地域とで国土が分割される((前者が「ドイツ連邦共和国(西ドイツ)」となり、後者が「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」となった。&br;  また、首都のベルリンも「共同管理区域」としてこの4カ国が分割支配していた。))ことになったため、平和条約が長らく結ばれないままとなっていた。~
しかし、終戦直後から[[冷戦]]が勃発してドイツはその最前線となり、米英仏の占領地域とソ連の占領地域とで国土が分割される((前者が「ドイツ連邦共和国(西ドイツ)」となり、後者が「ドイツ民主共和国(東ドイツ)」となった。&br;  また、(周囲をソ連占領地域に囲まれていた)首都のベルリンも「連合国共同管理区域」としてこの4カ国が分割支配しており、米英仏の占領区域が「西ベルリン」、ソ連の占領区域が「東ベルリン」と呼ばれていた。))ことになった上、それまでドイツを統治していたナチ(国家社会主義ドイツ労働者党)政権が[[連合国>連合国(第二次世界大戦)]]に[[降伏]]して解体された後、その主権を継承する組織が未定となっていたため、正式な講和条約が長らく結ばれないままとなっていた。~
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その後、1980年代後半からの東欧諸国の民主化の流れを受けて東西ドイツが再統一されることとなり、それまでドイツに対する権益を持っていた米英仏ソの4カ国と統一されるドイツとの関係を定める必要があった。~
その後、1980年代後半からの東欧諸国の民主化の流れを受けて東西ドイツが再統一((ドイツの国内法上では、旧東ドイツの[[領土]]にあった5つの州と都市州ベルリンがドイツ連邦共和国に「加盟した」という形をとっていた。))されることとなり、それまでドイツに対する権益を持っていた米英仏ソの4カ国と統一されるドイツとの関係を定める必要があった。~
本条約は、別々の国家であった東西ドイツによって調印され((そのため「4プラス2条約」とも呼ばれた。))、ドイツ統一政府によって批准された。

**内容 [#i87dc6ff]
本条約によって以下の事が定められた。~
-米英仏ソは、[[第二次世界大戦]]の結果としてドイツに対して保有していた全ての権益を放棄する。~
これにより、統一ドイツは主権を完全回復した。~
これにより、統一ドイツは主権を完全回復し、ドイツにおける戦争状態は正式に終結した。~
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-統一ドイツ軍は、兵力を37万人以下に削減する。~
-統一ドイツ軍は、兵力を37万人以下に削減する((これにより、東ドイツ軍(ドイツ国家人民軍)の将兵の多くが失職した。))。~
そのうち、[[陸軍]]及び[[空軍>ルフトバッフェ]]の兵力は、合わせて34万5000人以下とされた。~
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-統一ドイツは[[大量破壊兵器]]の所有・管理・製造を放棄する。~
核拡散防止条約の統一ドイツへの継続適用が確認された。~
また、旧東ドイツ地域における外国軍隊の駐留((同地に駐留していた[[ソ連軍]]→[[ロシア軍]]は1994年までに[[撤退]]を完了した。))、[[核兵器]]の配備・運搬が禁じられ、非核地帯となった。~
また、旧東ドイツ地域における外国軍隊の駐留(([[ソ連軍]]時代から同地に駐留し、統一後も駐留していた[[ロシア軍]]は、1994年までに[[撤退]]を完了した。))、[[核兵器]]の配備・運搬が禁じられ、非核地帯となった。~
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-ドイツは、1945年以後にポーランド領とされた東プロイセン((北部はソ連に編入され、現在はロシアとリトアニアの統治下にある。))やシュレジエンなどに対する[[領土]]請求権を放棄する。~
これによって、ドイツとポーランドとの現在の国境線が確定した。


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