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*&ruby(いるまきち){【入間基地】}; [#y1032c66]
JASDF Iruma Airbase.~
~
埼玉県狭山市・入間市域に所在する、[[防衛省]]([[航空自衛隊]])管理の軍用[[飛行場]]。~
[[中部航空方面隊>航空方面隊]]司令部を筆頭に、後述する様々な部隊が置かれ、首都防空の要として約4,300人の[[隊員>自衛隊員]]を擁している。~
>ただし、地元との協定で[[アフターバーナー]]を装備する機体を運用できないため、[[戦闘機]][[部隊]]は[[百里基地>百里飛行場]]に配備されている。

JASDF Iruma Airbase

埼玉県狭山市・入間市域にまたがる[[航空自衛隊]]の基地。~
[[中部航空方面隊]]司令部や飛行隊、航空救難団、飛行点検隊だけでなく、[[パトリオット>MIM-104]]防空システムを備えた「[[第1高射群]]」本部などが配置され、首都防空の要として18個の部隊約4,300人の隊員を擁する。~
また空輸や補給の一大拠点としての役割も果たし、全国航空輸送網の中枢ターミナルとして、航空輸送人員約85,000人、航空輸送貨物年間約2,500t扱っている。~
これは航空自衛隊で第一の規模となる。
また、[[自衛隊]]における[[兵站]]の一大拠点としての役割も果たしており、全国航空輸送網の中枢ターミナルとして、航空輸送人員約85,000人、航空輸送貨物年間約2,500トンを扱っている他、埼玉県警察航空隊の運航基地も本基地に隣接して置かれている。~
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この入間基地がある場所は昭和13(1938)年に[[旧帝国陸軍>日本軍]]の陸軍士官学校が開設された場所である。~
終戦後、[[アメリカ軍]]に接収され、「ジョンソン基地」と名づけられた。~
昭和33(1954)年に[[航空自衛隊]]が創設され、昭和33(1958)年に中部航空方面隊司令部が設置され、「入間基地」が誕生した。~
昭和53(1978)年にジョンソン基地は全面返還され、その後は航空自衛隊の主要基地として現在に至る。
本基地のルーツは、昭和13(1938)年に設置された[[旧帝国陸軍>日本軍]]の航空士官学校である。~
終戦後、同地は[[アメリカ空軍]]に接収され、「ジョンソン基地」と名づけられた。~
昭和33(1954)年、用地の一部がアメリカから返還されて[[航空自衛隊]]が使用することになり、昭和33(1958)年に中部航空方面隊司令部が設置され、「入間基地」が誕生した。~
その後、[[アメリカ空軍]]の管理地は徐々に縮小されていき、昭和53(1978)年には日本に全面返還、航空自衛隊の主要基地として現在に至る。

**空港情報 [#j6aaf246]
種別:軍用~
[[滑走路]]:2,000×45(17/35)~
3レターコード:none~
4レターコード:RJTJ~

**自衛隊の配備部隊 [#gb427b0e]
-[[航空総隊]]直轄
-[[航空総隊]]隷下
--[[中部航空方面隊>航空方面隊]]司令部
---中部航空警戒管制団司令部(司令官は本基地司令を兼任)~
・中部防空管制群~
・整備補給群~
・基地業務群~
---第1高射群本部([[MIM-104]]を装備)
---[[中部航空施設隊>工兵]]~
・第1作業隊
--航空救難団司令部
---入間ヘリコプター空輸隊
---入間ヘリコプター空輸隊([[CH-47J>CH-47]]を装備)
--プログラム管理隊
--航空総隊司令部飛行隊
---電子戦支援隊
---電子飛行測定隊
---支援飛行隊([[T-4]]及びU-4を装備)
---電子戦支援隊([[YS-11EA>YS-11]]及び[[EC-1>C-1]]を装備)
---電子飛行測定隊([[YS-11EB>YS-11]]を装備)
-航空支援集団隷下
--第2輸送航空隊
--第2輸送航空隊([[C-1]]及びU-4を装備)
--航空保安管制群
--航空気象群 入間気象隊
--飛行点検隊
---飛行管理隊
--航空気象群
---入間気象隊
--[[飛行点検隊]]([[U-125]]及び[[YS-11FC>YS-11]]を装備)
-航空開発実験集団隷下
--航空開発実験集団司令部
---電子開発実験群
---航空医学実験隊
-防衛大臣直轄部隊
--[[航空警務隊>憲兵]]入間地方警務隊
-航空自衛隊補給本部隷下
--第3補給処
--第4補給処

**その他の官公庁航空組織 [#z6593d8a]
-埼玉県警察本部地域部地域課
--埼玉県警察航空隊([[EC135P2>EC135]]、[[BK117C-1>BK117]]及び[[A109]]を装備)


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