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*&ruby(きえふ(こうくうぼかん)){【キエフ(航空母艦)】}; [#c91b30f6]
1970年代に就役した、ソビエト海軍初の[[固定翼機]]搭載[[航空母艦]]([[軽空母]])。~
同型艦に「ミンスク」「ノボロシスク」「バクー((1990年「アドミラル・ゴルシコフ」に改名。))」の3隻があった((1979年に5隻目の建造が予定されていたが、取り消された。))。~
先に就役していた[[モスクワ級ヘリコプター巡洋艦>モスクワ]]を代替する目的で建造された。~
~
本艦には[[Ka-25「ホーモン」>Ka-25]][[対潜ヘリコプター]]、及び平行して開発中であった[[Yak-36「フリーハンド」>Yak-36]][[VTOL]][[戦闘攻撃機]]の搭載が予定されており、強力な対潜・航空打撃力を持つ、艦隊の中心艦としての役割を担うことを目的とした。~
また、[[艦隊戦>艦隊決戦]]に備えるべく対艦・対潜・対空兵器を多数備えた、いわゆる「[[航空巡洋艦]]」として「防空統制艦プロジェクト1143『クリェーチェト((Кречет:ロシア語で隼の意味。))』」の名で計画が立てられ、1番艦「キエフ」は1968年、黒海に面するニコライエフ(現ウクライナ)のチェルノモルスキー造船所において建造に着手、1975年に竣工した。~

**建造の意義 [#g669f369]
ソ連は、1917年の「十月革命」による建国後、数十年にわたって貧弱な海軍戦力しか持てなかった((これは帝政ロシア時代、[[日露戦争]]で大日本帝国海軍[[連合艦隊]]と交戦して壊滅的な打撃を蒙ったことと、ソヴィエト革命後のスターリンによる大量粛清の影響で多数の人材を失ったためでもある。))が、[[第二次世界大戦]]以後、それまでの沿岸海軍から外洋海軍への変革を目指して戦力整備を進めてきた。~
その結果、1960年代末には[[潜水艦]]・[[戦闘艦]]の分野で米国に匹敵するまで成長した同国海軍は、次の目標として「外洋航空戦力を持つ」完全な外洋海軍化への発展を掲げた。~
その点で本艦は、ソビエト海軍における本格的[[航空母艦]]のテストベッドとして重要な役割を持っていた。~
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しかし、本艦はあくまで本格的な[[航空母艦]]を運用するためのテストベッドであり、主に対潜哨戒及び敵側[[哨戒機]]の掃討を目的とした。~
そのため、ソ連海軍は当初キエフ級を「対潜巡洋艦」と呼び、後に[[航空巡洋艦]]と称した。~
なお「航空母艦」ではなく「航空巡洋艦」とした理由は、1936年に結ばれたモントルー条約にある。~
同条約では、黒海と地中海を結ぶボスポラス海峡・ダータネルス海峡を航空母艦が通過することを禁じていた。~
また、ソビエトには黒海沿岸以外に[[戦闘艦]]を造船できる施設がほぼ皆無であり、これらのことから、純粋な[[航空母艦]]を持つことが出来なかった。~

**特徴――重武装空母として [#a5f0b7f9]
本級の最大の特徴は、[[航空母艦]]には似つかわしくない重武装の[[ミサイル]]類であった。~
主な兵装として、長距離[[艦対艦ミサイル]][[SS-N-12「サンドボックス」>SS-N-12]](ソ連での形式名称はP-500「バザーリト((Базальт:ロシア語で玄武岩の意味。))」。以下同じ)連装発射機4基計8門、[[艦対空ミサイル]][[SA-N-3「ゴブレット」>SA-6]](4K60 M-11「シュトルム」)連装発射機1基計2門、[[艦対空ミサイル]][[SA-N-4「ゲッコー」>SA-8]](9K33M「オサーM」)連装発射機1基計2門、[[RBU-6000「スメルチ-2」>RBU-6000]][[対潜ロケット弾>ロケット弾]]12連装発射機2基、[[RPK-1「ヴィフリ」>SUW-N-1]][[対潜ミサイル]]連装発射機、AK-726 76.2mm連装[[艦載砲]]2基、[[AK-630]] 65口径6連装30mm[[CIWS]]8基を持ち、[[航空母艦]]でありながら並みの[[駆逐艦]]以上の攻撃力を誇った。~
これこそが[[航空巡洋艦]]と呼ばれる所以であろう。~
~
これらの兵装は艦首部に集中して配置されているが、[[飛行甲板]]に乱気流を発生させてしまうため、[[航空機]]の離着艦に影響を及ぼす結果となってしまった。~
そのため、後に[[SA-N-4>SA-8]]ランチャーが前方に移されたほか、キエフは飛行甲板に整流柵を設置し、ミンスクは左舷前部の[[AK-630]] 30mm[[CIWS]]のスポンソンの形を変えたが、完全な解決には至らなかった模様である。~
~
これら武装の中で、[[SS-N-12]]「サンドボックス」[[艦対艦ミサイル]]は射程500kmと極めて長大である。~
射程の長い[[ミサイル]]を「装備する」ことだけは簡単だが、真に困難なことは500km先の目標をいかにして発見し識別するかにある。~
艦の[[レーダー]]では地平線下の500km先の艦船を探知することは出来ないし、[[偵察衛星>軍事衛星]]では1日に1〜2度のチャンスしか無いため実用的ではない。~
[[Ka-25B「ホーモン」>Ka-25]]や[[Ka-27B「へリックス」>Ka-27]]警戒型により、水上索敵及びミサイルの[[中間誘導]]を行うともいわれていたが、[[ヘリコプター]]の機上搭載レーダーでは探知できる距離が限られてしまう上、同機の[[戦闘行動半径]]もおよそ150km程度しかなかったため、どれほどの意味があったのかは疑問である。~

**航空兵装 [#yd51a4c0]
当然ではあるが、本艦も[[航空母艦]]である以上、最大の目的は[[航空機]]を運用することにある。~
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本級は189m×20.7mの全通式[[アングルドデッキ>斜め飛行甲板]]を持っていた。~
[[アングルドデッキ>斜め飛行甲板]]は、通常、艦載機の発着艦を同時に行うために採用されているものであるが、本級では、[[巡洋艦]]としての能力を併設するための措置として採用されていた。~
[[艦載機]]は前述の[[Ka-25]]「ホーモン」警戒ヘリ及び[[Ka-27]]「へリックス」[[対潜哨戒ヘリ>対潜ヘリコプター]]の[[回転翼機]]が21機、[[Yak-38]]フォージャー[[VTOL]][[戦闘攻撃機]]を12機搭載した。~
なお、当初予定されていた[[Yak-36]]フリーハンドは性能不足のため生産には至らなかった。~
~
***艦載機の問題点 [#e5ac47f4]
上記のように、[[VTOL]][[戦闘攻撃機]]と[[対潜ヘリコプター]]を搭載することになった本級であったが、同時に、この[[艦載機]]の構成が本級最大の弱点となってしまった。~
[[Ka-25「ホーモン」>Ka-25]]・[[Ka-27「へリックス」>Ka-27]]といった[[対潜ヘリコプター]]は、それなりの能力を持っていたため有効に機能しえただろう。~
しかし、肝心の[[戦闘機]]である[[Yak-38「フォージャー」>Yak-38]]が問題であった。~
~
フォージャーは、英国が開発した世界初の実用VSTOL戦闘機「[[ハリアー]]」のソ連海軍版として設計されたが、垂直上昇に[[リフトエンジン>リフトジェット]]を採用したため、[[兵装搭載量>ペイロード]]が極めて小さくなってしまい、[[対潜ヘリコプター]]の周辺護衛([[戦闘空中哨戒]])をしようにも、敵の[[戦闘機]]と交戦できるだけの能力がなく、空対艦/空対地攻撃を実施するにも攻撃力は明らかに不足であった。~
また、[[戦闘行動半径]]も極めて小さい((母艦の周囲100km〜200km程度しか飛行できなかったという。))ため、そもそも攻撃を行うことすら不可能だった。~
同機ができた事と言えば、本艦の周囲100km圏内で[[HAVCAP>戦闘空中哨戒]]を行い、接近してくる[[哨戒機]]や[[ヘリコプター]]を迎撃すること程度であっただろう。~
~
このようなことから、本級に搭載できる飛行隊は当時の[[仮想敵国]]であった[[アメリカ海軍]]・[[空軍>アメリカ空軍]]に対する[[攻勢対航空作戦]]をこなせる能力に欠けており、[[航空優勢]]の確保が必要な場合には陸上の航空部隊の支援が不可欠だった。~
だが、これは「アメリカの[[攻撃原潜>攻撃潜水艦]]を掃討し、ソビエトの[[戦略原潜>戦略潜水艦]]艦隊を護衛する」という当初の目的だけではなく、「外洋艦隊の中枢となる[[航空母艦]]」としての本級の存在価値すらゼロにしかねないありさまだった。~
[[艦載機]]の能力不足を、艦自身の搭載兵装で辛うじてカバーしていたと言える。~
~
しかし、幸いにして冷戦期では[[艦載機]]の性能不足が敵対する西側に察知されにくく、本級は強力な水上航空戦力として認識されていた。~
実際のところ、[[Yak-38]]が「大した事が無い」と知られるようになったのは1970年代後半ごろであるが、それでも、依然として「洋上を[[機動]]し、航空戦力によって打撃を与えうる空母[[機動部隊]]を持つ」という事実は[[抑止力]]として機能していた。~
~
事実、1979年以降に極東(太平洋)艦隊に配備され、たびたび対馬海峡などを航行する姿が報道された2番艦「ミンスク」、3番艦「ノボロシスク」の存在は、当時、わが国の国防政策上重大な脅威と認識されていた。~
実際に失敗作の[[戦闘機]]であっても、[[哨戒機]]を飛ばす立場からすれば~
「その戦闘機の迎撃によって任務を妨害される恐れが出てくるし、しかも基地が自由に海上を移動できるので、いつどこに出現するかがわからない」~
ということになり((また、これらの艦載機が、有事にはわが国と他国との海上交通路を攻撃する[[通商破壊戦]]や、わが国[[領土]]へ[[ソ連軍]]地上部隊が着上陸侵攻した際の[[近接航空支援]]にも投入可能と考えられていた。))、今までに存在しない脅威が誕生したことに変わりは無かった。~

**その後 [#e142cde9]
その後、本級にはYak-38よりも飛躍的に能力が向上した[[Yak-141「フリースタイル」>Yak-141]][[VTOL]][[戦闘機]]の搭載が予定されていた。~
もし、[[Yak-141]]が実戦配備されて本級に搭載されていれば、ソ連海軍は「フォージャー(まがい物)」ではない真の航空戦力を保持し得たであろう。~
しかし、その頃にはソビエト連邦の統制経済は既に破綻しており、時代は本級を要求していなかった。~
連邦の崩壊に伴い本級の役割は終わりを告げ、各艦とも悲惨な運命を辿っている。~
~
**スペックデータ [#h5cda14b]
|CENTER:タイプ|CENTER:1143型&br;(キエフ・ミンスク)|CENTER:1143.3型&br;(ノヴォロシースク)|CENTER:1143.4型&br;(バクー)|
|CENTER:[[排水量]]&br;([[基準>基準排水量]]/[[満載>満載排水量]])|CENTER:30,535t/41,380t|CENTER:31,900t/43,220t|CENTER:33,440t/44,490t|
|CENTER:全長|CENTER:273m|>|CENTER:273.1m|
|CENTER:水線長|CENTER:236m|>|CENTER:243m|
|CENTER:最大幅|CENTER:49.2m|CENTER:51.3m|CENTER:52.9m|
|CENTER:[[飛行甲板]]幅|>|CENTER:50m|CENTER:51m|
|CENTER:最大喫水|CENTER:11.04m|CENTER:11.5m|CENTER:11.52m|
|CENTER:[[機関>エンジン]]|>|>|CENTER:KVN-98/64型重油専焼式ボイラー×8缶&br;TV-12-3型[[蒸気タービン]]×4基(機関出力:各45,000hp)&br;スクリュープロペラ×4軸推進|
|CENTER:最大速力|>|>|CENTER:32.5[[ノット]]|
|CENTER:[[航続距離]]|CENTER:8,590[[海里]]&br;(18kt巡航時)|CENTER:7,160海里&br;(18kt巡航時)|CENTER:7,590海里&br;(18kt巡航時)|
|CENTER:乗員|CENTER:1,435名|CENTER:1,607名|CENTER:1,615名|
|CENTER:航空要員|>|>|CENTER:430名|
|CENTER:主砲・[[CIWS]]|>|CENTER:AK-726 76.2mm連装砲×2基|[[AK-100 100mm単装速射砲>AK-100]]×2基|
|~|>|>|CENTER:[[AK-630/630M 30mmCIWS>AK-630]]×6基((AK-630は1番艦のみ。他はAK-630Mを搭載。))|
|[[SAM>艦対空ミサイル]]|>|CENTER:B-189 [[SAM>艦対空ミサイル]]連装発射機×2基&br;(M-11「シュトルム-M」(SA-N-3「ゴブレット」)を搭載。)&br;(V-611ミサイル×48発)|CENTER:-|
|~|CENTER:ZiF-122 短SAM連装発射機×2基&br;([[4K33「オサーM」>SA-8]]を搭載)&br;(9M33ミサイル×20発)|CENTER:-|CENTER:[[3K95「キンジャール」>SA-15]]短SAM&br;8連装[[VLS>垂直発射システム]]&br;×16セル24基|
|[[SSM>艦対艦ミサイル]]|>|CENTER:SM-241「ウラガーン-1143」SSM連装発射筒×4基&br;([[P-500>SS-N-12]]ミサイル)|CENTER:SM-241「ウラガーン-1143」&br;SSM連装発射筒×6基&br;(P-500ミサイル)|
|対潜ロケット・&br;対潜ミサイル|>|CENTER:RBU-6000「スメルチ-2」&br;12連装対潜ロケット砲×2基|CENTER:RBU-12000「ウダフ-1」&br;10連装対潜ロケット砲×2基|
|~|>|CENTER:[[RPK-1「ヴィフリ」>SUW-N-1]] [[SUM>対潜ミサイル]]連装発射機×1基|CENTER:-|
|[[魚雷]]|CENTER:PTA-53-1143&br;5連装533mm魚雷発射管×2基&br;(SET-53またはSET-65魚雷を搭載)|>|CENTER:-|
|CENTER:[[艦載機]]|CENTER:[[Yak-38]][[V/STOL]][[軽襲撃機>シュトルモビク]]&br;ないし&br;[[Ka-25]]/[[27>Ka-27]][[哨戒ヘリコプター]]×20機|>|CENTER:[[Yak-38]][[V/STOL]][[軽襲撃機>シュトルモビク]]&br;ないし&br;[[Ka-25]]/[[27>Ka-27]][[哨戒ヘリコプター]]×30機|
|CENTER:[[C4Iシステム>C4I]]|CENTER:アレッヤ2型|CENTER:アレッヤ2K型|CENTER:レゾルブ434型|
|CENTER:[[レーダー]]|>|CENTER:MR-600「ヴォスホード」3次元式レーダー&br;MR-700「フレガート」3次元式レーダー|CENTER:マルス・パッサート 3次元式レーダー&br;MR-710M「フレガートM」3次元式レーダー|
|CENTER:[[ソナー]]|>|>|CENTER:MR-342「オリオン」艦首装備式ソナー×1基&br;MG-335「プラーチナ」可変深度式ソナー×1基|
~
**同型艦 [#z258c82d]
|艦名|主造船所|起工|進水|就役|除籍|所属|
|キエフ&br;(Киев)|チェルノモルスキー|1970.7.21|1972.12.27|1975.1.3|1993.6.30|北方艦隊|
|ミンスク&br;(Минск)|~|1972.12.29|1975.9.30|1978.9.28|1992.5.30|太平洋艦隊|
|ノボロシスク&br;(Новороссийск)|~|1975.9.30|1978.12.24|1982.12.9|1993.1.|太平洋艦隊|
|バクー&br;(Баку)|~|1978.12.|1982.4.|1987.1.|1997.|北方艦隊|
~
**艦暦[#lfceec27]
-キエフ(Киев)~
1番艦。北方艦隊に所属。~
ソ連崩壊時には[[予備役]]。~
1990年ムルマンスクで改修中、予算不足のため工事を中断。~
1993年6月30日に除籍され、4番艦アドミラル・ゴルシコフの部品取りにまわされた。~
その後、2000年に中国にスクラップとして売却され、上海(シャンハイ)の造船所で修復されたのち、天津市に回航されて軍事テーマパークとして展示されている。~
同艦の外観は完全に修復され、[[強撃5]]や[[Yak-28]]ほか、[[Su-27]]のレプリカなどが展示されている。~
~
-ミンスク(Минск)~
2番艦。太平洋艦隊に所属。~
1979年にウラジオストックへ回航され、主に日本海、オホーツク海で活動していた。~
1989年に機関故障による火災事故を起こしウラジオストックに係留されつづけ(その後、ソヴィエツカヤ・ガヴァニに係留)、1995年、スクラップとして韓国に売却され釜山港に回航。~
韓国でも全焼火災を起こして1997年に中国に転売、広州・深川にて「ミンスク・ワールド([[明思克航母世界]])」という軍事遊園地として展示された。~
しかし経営難に陥り運営会社が破産、閉鎖された後、2006年に競売に掛けられ、別の企業に落札された。~
~
-ノボロシスク(Новороссийск)~
3番艦。太平洋艦隊に所属。当初艦名を「ハリコフ」と西側に誤認されていた。~
1979年、ミンスクと同時期にウラジオストックを母港として日本海、オホーツク海で活動。~
また、同艦はハワイ沖へのクルーズを実施するなど示威行動を盛んに行い、本級の中でもっとも頻繁に活動していた。~
しかし、1991年に[[予備役]]になった後、1993年1月に火災事故により除籍。~
その後、ウラジオストックに10年間係留され続けた。~
1994年にスクラップとして韓国に売却され、1997年に解体された。~
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-バクー(Баку)~
4番艦、北方艦隊に所属。~
艦名は1990年10月に「アドミラル・オブ・ザ・フリート・オブ・ザ・ソビエト・ユニオン・セルゲイ・ゲオルギエビッチ・ゴルシコフ((Admiral of the Fleet of the Soviet Union Sergei Georgievich Gorshkov:和訳すると「ソヴィエト連邦海軍[[元帥]]セルゲイ・ゲオルギエビッチ・ゴルシコフ」となる。))」に変更された。~
本艦は、他の姉妹艦とは異なる武装や電子機器類の装備を搭載したため「改キエフ級」と呼ばれることもある。~
1〜3番艦が相次いで行動不能に陥る中、ソビエト連邦の崩壊後も唯一現役にとどまり、[[Yak-141]]フリースタイルの試験や、建造中のアドミラル・クズネツォフ級に採用される予定だった各種実験が行われた。~
火災事故など災難に遭うことが多く、1991年には艦内に置いてあった生活ゴミからの出火で、補助区画に通じるケーブルが損傷したほか、同年にはYak-141が着艦に失敗して爆発火災事故を起こし、また、1994年にはボイラー爆発による火災事故により行動不能になったが((この時、火災がタービン室にも延焼して8時間に渡って燃え続けた。))、「キエフ」から部品を調達し1995年に復旧。~
しかし、1995年7月からムルマンスクで[[予備役]]艦として係留され続け、まともな運用は行われていなかった。~
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その後、インドに売却され全通甲板を持つ空母へと改修され「ヴィクラマーディティヤ」として就役する予定である。~
詳しくは[[ヴィクラマーディティヤ]]の項を参照。~
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