【日本航空123便墜落事故】(にほんこうくうひゃくにじゅうさんびんついらくじこ)

1985年(昭和60年)8月12日夕刻、羽田空港伊丹空港行き123便として飛行していた日本航空B747SR旅客機シリアルナンバーJA8119・乗客/乗員計524人)が、本来の飛行コースを外れて群馬県上野村の山中に墜落、520人が死亡した大事故。
単体の航空機による事故としては世界最大規模の事故であり、また、複数の著名人が搭乗していて犠牲になったこともあり、当時の社会に重大な衝撃を与えた事件ともなった。

事故の原因は
「以前に当該事故機が伊丹空港で着陸に失敗した際に機体後部の圧力隔壁が損傷。
この修理が不完全に行われたため、通常の運航で離着陸を繰り返しているうちに蓄積された金属疲労が限界点を越えて破損し、それにより機体の操縦系統が破壊されて操縦不能になったもの」
と発表されたが、これに対して異論を唱える声が当時からあり、それに関する書物もいくつか発表されている。
(これらの異論の中には、自衛隊在日米軍の関与*1をほのめかしているものもある)


*1 訓練中の戦闘機地対空ミサイルによる不時発射無人機の空中衝突などの説があげられていた

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