【日独伊三国軍事同盟】(にちどくいさんごくぐんじどうめい)

1940年9月27日にドイツ、ベルリンで調印された日独伊間の軍事同盟。

当初、1937年に結ばれた「日独伊三国防共協定」を強化すべく、第一次近衛内閣末期に交渉が始まったが、1939年8月に独ソ不可侵条約が突然締結された*1ことにより、交渉は一時中断された。

しかし、その後に対米英関係の悪化や欧州における独軍の圧倒的優勢を背景にし、交渉再開の機運が台頭。
1940年9月に交渉は再開され、9月24日にドイツのスターマー大使と時の外相松岡洋右との間で全面的合意を見ることとなった。

その後、1943年にイタリアが降伏して連合国側陣営として再参戦。
これを受けて、同盟にはドイツの傀儡政権「イタリア社会共和国」が加えられたが、1945年4月にはイタリア社会共和国が解体、翌5月にはドイツも降伏して、この同盟関係は崩壊することになった。

条約の内容

前文
大日本帝国政府、独逸国政府及伊太利国政府ハ万邦ヲシテ各其ノ所ヲ得シムルヲ以テ恒久平和ノ先決要件ナリト認メタルニ依リ大東亜及欧州ノ地域ニ於テ各其ノ地域ニ於ケル当該民族ノ共存共栄ノ実ヲ挙ケルニ足ルヘキ新秩序ヲ建設シ且之ヲ維持センコトヲ根本義卜為シ右地域ニ於テ此ノ趣旨ニ拠ル努力ニ付相互ニ提携シ且協力スルコトニ決意セリ而シテ三国政府ハ更ニ世界到ル所ニ於テ同様ノ努力ヲ為サントスル諸国ニ対シ協力ヲ吝マサルモノニシテ斯クシテ世界平和ニ対スル三国終局ノ抱負ヲ実現セソコトヲ欲ス依テ日本国政府独逸国政府及伊太利国政府ハ左ノ通協定セリ
第1条
日本国ハ独逸国及伊太利国ノ欧州ニ於ケル新秩序建設ニ関シ指導的地位ヲ認メ且之ヲ尊重ス
第2条
独逸国及伊太利国ハ日本国ノ大東亜ニ於ケル新秩序建設ニ関シ指導的地位ヲ認メ且之ヲ尊重ス
第3条
日本国、独逸国及伊太利国ハ前記ノ方針ニ基ク努力ニ付相互ニ協力スへキコトヲ約ス更ニ締結中何レカノ一国カ現ニ欧州戦争又ハ日支紛争ニ参入シ居ラサル一国ニ依テ攻撃セラレタルトキハ三国ハ有ラユル政治的、経済的及軍事的方法ニ依り相互ニ援助スヘキコトヲ約ス
第4条
本条約実施ノ為各日本国政府、独逸国政府及伊太利国政府ニ依り任命セラルヘキ委員ヨリ成ル混合専門委員会ハ遅滞ナク開催セラルへキモノトス
第5条
日本国、独逸国及伊太利国ハ前記諸条項力三締約国ノ各ト「ソヴィエト」聯邦トノ間ニ現存スル政治的状態ニ何等ノ影響ヲモ及ホササルモノナルコトヲ確認ス
第6条
本条約ハ署名卜同時ニ実施セラルヘク実施ノ日ヨリ十年間有効トス右期間満了前適当ナル時期ニ於テ締結国中ノ一国ノ要求ニ基キ締約国ハ本条約ノ更新ニ関シ協議スヘシ

上記のとおり、内容は欧州及びアジアにおける「新秩序建設」に関しては独伊及び日本は「指導的地位」を認め合うこと、また日中戦争支那事変?)およびヨーロッパにおける戦争に参加していない第三国の攻撃に対しては、あらゆる政治的、経済的及び軍事的方法によって相互に援助をすることを誓約する、純然たる軍事同盟だった。


*1 この直後、ドイツはポーランドへ侵攻を開始、第二次世界大戦の開幕となった。

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