【島風】(しまかぜ)

  1. 大日本帝国海軍・一等駆逐艦「島風(初代)」。
    大正時代の「八四艦隊計画」で計画・建造された「峯風」級駆逐艦の4番艦として1920年に竣工した。
    この時の公試運転で、日本製の駆逐艦としては最速の40.8ノットを記録した。

    大東亜戦争開戦直前の1940年、武装の一部を撤去して哨戒艇*1に改装され「第一号哨戒艇」として船団護衛や揚陸戦に活躍したが、1943年、カビエン沖合でアメリカ海軍潜水艦ガードフィッシュ」の雷撃を受けて戦没した。

  2. 大日本帝国海軍・一等駆逐艦「島風(二代目)」。
    大東亜戦争開戦直前の「マル五計画(第五次補充計画)」で設計・建造された試作型高速駆逐艦。

    本艦が計画された理由は、仮想敵であったアメリカ海軍の艦艇が、1930年代以後高速化の傾向を辿っていたことにある。
    当時、アメリカの最新型駆逐艦は37ノット以上の快速を誇り、戦艦でさえ30ノット前後をマークしていたが、その一方で、日本の当時の主力駆逐艦は35ノット前後の速力に抑えられ*2、戦艦に至っては、元・巡洋戦艦だった金剛級以外は24〜25ノット程度と低速*3であった。
    こうした彼我の速度差を改善すべく、当時建造中だった「夕雲」級となる予定だった1隻を設計変更し、次世代型高速駆逐艦のテストベッドとしたのが本艦であった。

    本艦は「夕雲」級をベースとしていたが、高速を発揮するために、船体は造波抵抗の少ない細長いシルエットになり、船首も従来のダブルカーペチャー・バウからクリッパー・バウに改められた。
    それ以外の上部構造物や主砲などの装備は従来の「夕雲」級とほぼ同じであったが、魚雷兵装には帝国海軍でも初めてとなる5連装式発射管が搭載され、強力な雷撃力を発揮できるようになっていた。

    本艦は竣工後、公試運転で先代の1.と同様に40ノットをマークし、一応の成功を収めた*4
    これを受けて、1942年策定の「マル六計画(第六次補充計画)」で同型艦16隻の建造が計画されたが、当時の日本海軍における駆逐艦*5としてはオーバースペック*6であったことから、続いて策定された「改マル六計画」では全艦がキャンセルされ、「夕雲」級の建造計画に振り替えられてしまった。
    また、本艦自体も、航空主兵主義が支配する太平洋の戦場では期待された本来のスペックを発揮する機会を得られないまま、1944年にフィリピン近海で戦没してしまった。

  3. 海上自衛隊・ミサイル護衛艦「しまかぜ(JMSDF Shimakaze DDG-172)」。
    1980年代に計画された「はたかぜ」級ミサイル護衛艦の2番艦として、1988年に竣工した大型護衛艦。
    艦の詳細ははたかぜの項を参照のこと。

    イージスシステムを搭載した「こんごう」級の建造が決まったため、従来型ミサイル護衛艦の調達は本艦を最後に打ち切られた。

*1 実質上は揚陸艦であり、約200名分の陸戦隊居住区が設置され、また大型発動艇(大発)が2隻搭載されていた。
*2 大正〜昭和初期に建造された艦は37〜39ノットと高速であったのだが。
*3 後の大和級ですら27ノットしか出せなかった。
*4 ただしこれは、燃料・弾薬・食糧・真水などの消耗品を定数の半分のみ搭載し、負荷を軽減する形で計測した記録だった。
 (当時、艦船の速力計測は消耗品を定数の2/3だけ搭載した状態で測るのが普通だった)

*5 当時、日本海軍において駆逐艦は「軍艦」と位置づけられていなかったため、1隻のみでは戦術単位としてみなされず、数隻集まった「駆逐隊」をもって戦術単位としていた。
*6 特に、高速を発揮するために作られた大出力エンジンの製造コストが、戦艦に搭載するものとほぼ同じ、という金の壁が問題視された。

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