【長沼ナイキ事件】(ながぬまないきじけん)

1969年(昭和44年)、北海道夕張郡長沼町を舞台に発生した、自衛隊の基地建設を巡る行政訴訟事件。
「自衛隊の合憲性」が問われた事件であった。
別名「長沼事件」「長沼ナイキ訴訟」「長沼訴訟」とも。

1969年、当時の防衛庁航空自衛隊千歳基地及び札幌市街の防空のため、ナイキJの発射基地を長沼町に新設することを決定した。
これにあたり、基地の建設予定地が水害防止のための「保安林」に指定されていたため、農林大臣(現在の農林水産大臣)は森林法の規定に基づき、基地建設予定地に含まれる地域の保安林指定解除を決定、これを北海道知事に通知した。
これに対し、地元住民の一部が「自衛隊は違憲の存在」「洪水の危険性がある」ことを理由に「基地建設に公益性はない」として、保安林指定の解除処分取消を求めて訴訟を提起。
また、(当時は米ソ冷戦の真っ只中であり、ベトナム戦争や沖縄諸島の返還問題、日米安全保障条約の延長などを巡って学生運動・労働運動・市民運動が盛んだった情勢もあって)革新政党や傘下の市民団体もこれを積極的に支援した。

裁判の経過

一審の札幌地方裁判所は1973年、
「基地が建設された場合、有事に敵国軍の攻撃目標とされることになり、日本国憲法前文にある『平和のうちに生存する権利』が脅かされる危険がある」
として住民側の請求を認める判決を下した。
これに対して国が上告、二審の札幌高等裁判所は1976年
「洪水の危険は、防衛施設庁が代替施設として建設するダムにより回避される」
として住民側の請求を棄却。また、一審判決でうたわれた自衛隊の合憲性については
「高度に政治性のある行為であり、明白に違憲無効とされない限りは司法審査の範囲外」
とした。
そして審議は最高裁判所に持ち込まれたが、最高裁は1982年、行政処分の取消についてのみ住民側の訴えを退けて決着となった。(自衛隊の合憲性については判断回避となった)


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