【大韓航空007便撃墜事件】(だいかんこうくうぜろぜろななびんげきついじけん)

1983年9月1日、宗谷海峡上空で大韓民国(韓国)のフラッグキャリア・大韓航空のB747-230*1旅客機*2ソ連防空軍戦闘機によって撃墜された事件。

被害機は当日、ニューヨーク発・アンカレッジ経由ソウル行きの007便として飛行していた。
しかし出発の際、乗員が慣性航法装置の設定を誤ったため*3、所定の航路を逸脱してソ連領空へ侵入してしまった。
これを察知したソ連当局は、同機をアメリカ空軍威力偵察?のために飛行させた偵察機と判断し、排除すべく防空軍へ対領空侵犯措置スクランブル)の実施を発令した。

スクランブル出動した戦闘機Su-7/Su-15/MiG-23)のパイロットは「領空侵犯した」同機に追いつき視認するも、深夜であったため詳細の判断ができなかった。
それでも辛うじて旅客機特有の特徴(航法灯?衝突防止灯が点灯している事など)をいくつか見て取ったものの、欺瞞工作を施された偵察機であると判断し、Su-15は無警告*4空対空ミサイルにより攻撃。
Su-15はR-98AAM2発(赤外線誘導型とレーダー誘導型)を発射し、赤外線誘導型が007便の尾翼に命中。
機体は油圧系統の4分の3を損傷*5し、操縦不能状態で海上に墜落して爆散、乗客240名・乗員29名*6全員が死亡した。

この事件を契機に国際民間航空条約(シカゴ条約)が改定され、領空侵犯した民間機の撃墜が明示的に禁じられた*7


*1 同機はもともと、1972年にコンドル航空(ルフトハンザドイツ航空(当時)の子会社。現在はトーマス・クック・グループ傘下)向け(ドイツでの登録記号はD-ABYH)として製造され、1979年に大韓航空に売却されたものである。
  そのため、カスタマーコードは大韓航空の「B5」ではなく、ルフトハンザ航空の「30」となっていた。

*2 登録記号HL7442。
*3 この他にも「起動手続きのミス」「飛行中の操作ミス」といった説もあるが、証言できる者が全員死亡してしまったため真相の究明は不可能となっている。
*4 直前に、MiG-23戦闘機機関砲による警告射撃を行ったものの、光跡の見える曳光弾が積まれておらず、旅客機からは射撃が見えなかった。
*5 ICAOの最終報告書による推測。
*6 うち6名はアンカレッジからデッドヘッドとして便乗していた非番の社員だった。
*7 事件当時、国際民間航空機関(ICAO)理事会では「民間機の要撃は避けることが望ましく、『最後の手段』としてのみ用いること」「いかなる場合も武器の使用は慎むこと」を勧告していた。

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