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【対応防御】 †
自らが搭載・保持する兵装による攻撃を受けても貫通しない装甲を保持する事。
艦艇、戦車、歩兵用ボディアーマーなどの設計思想の一つ。
時代を経るに従って兵装の破壊力は増していくので、必然的に性能要求も厳しくなっていく。
基本的には全周を十分な装甲で覆う事が最善とされるが、それが不可能な場合は、司令区画・エンジン・砲塔・弾薬庫などのバイタルパートに装甲を集中させる集中防御方式*1などを用いる。
集中防御すら困難な場合は機動力とアウトレンジ、ステルス技術などによって被弾率自体を下げる機動防御が設計の主流となる。
歩兵の対応防御 †
対応防御はそもそも中世までの鎧の設計思想であり、初期には投石や投げ槍を無視して白兵戦に専念できる装甲が一つの目標であった。
長弓・機械弓などの新兵器が登場する度に、それに対応して鎧も硬く重く進化していった。
中世ヨーロッパでは、この思想が極限まで進み、ついには騎手のみならず馬の全身すらも鎧で覆った重騎兵が登場するに至った。
しかし中世後期には生物の筋力と製造コストが限界に達したため、まず騎兵が、次いで歩兵も、胴体や頭など生物の急所を重点的に守る集中防御方式に移行した。
近代のライフリングされた銃に対しては集中防御も不可能になったため、狙撃されたら必ず死ぬという前提での機動防御に移行するようになった*2。
近代以降でも歩兵は集中防御方式の装甲(ヘルメット・ボディアーマー・防弾チョッキなど)を着用しているが、これは間接砲撃の破片・拳銃弾・暴発事故などの偶発的な危険を想定したものであり、古代の戦争のような正面突撃に耐えられるものではない。
艦艇の対応防御 †
人間の鎧とは逆に、艦艇は火器が発達するまでほとんど装甲化されていなかった。
巨大な鋼鉄の塊を船として用いるのはいくつかの理由から実用的ではなく、船の発明から数千年に渡ってどの文化圏でも木造船が主流だった。
- 漕ぎ手、帆、生身の船員などのバイタルパートがどうしても剥き出しになってしまう。
- どれほど頑丈でも拿捕に対しては無意味である。
- 帆船や人力船を装甲化すると重量増加によって速度が落ち、食料備蓄*3などの問題から航海に支障が出る。
- 港のない場所で補修する必要に迫られた場合、木材は容易に入手できるが金属材は入手できない。
艦載砲が発達して拿捕の機会が激減し、航法の発達によって遭難の危険を避けられるようになり、高出力の蒸気機関による動力船が発達する事によって初めて艦艇の装甲化が実現した。
その後は艦隊決戦思想から装甲と艦載砲の技術競争に終始していたが、徐々に戦艦の主砲を想定した集中防御方式が主流になっていた。
その後、第二次世界大戦などの戦訓から魚雷・水雷・対艦ミサイルへの対応防御が不可能と目されたため、空母艦載機による先制攻撃とイージス艦による迎撃を主とする機動防御方式へと移行していった。
*1 一例として、旧日本帝国海軍の戦艦大和は、自らの搭載する46cm砲弾を所定砲戦距離(20,000〜30,000m)から受けても貫通しない装甲をバイタルパートに施していた。
*2 散兵戦、塹壕戦、CQBなど。これらは全て、敵に視認される前に機先を制して撃つ事だけが歩兵の生還を可能にする、という思想で構築されている。
*3 かつては港から数日離れるだけで船内の食糧が腐り始める時代だった。