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【九七式飛行艇】 †
川西 H6K.
1930年代、川西航空機が開発・生産した大型飛行艇。
「九七(式)大艇」とも呼ばれ、純国産機としては最初の実用四発機でもあった。
連合国軍においては「Mavis」というコードネームで呼ばれた。
本機が開発された当時、世界はワシントン・ロンドンの軍縮条約によるネイバル・ホリデーのさなかにあり、日本海軍は艦隊戦力の劣勢を航空兵力で補おうとしていた。
第一次世界大戦終結後に日本が統治を任された南洋諸島には軍事施設を置くことが禁じられていたが、日本海軍は飛行艇を活用することでアメリカ艦隊に対抗しようとしていた。
そこで、当時民間旅客機として活用されていたシコルスキーS-42飛行艇やアメリカ海軍のP2Y-1飛行艇を上回る性能を持つ飛行艇として開発されたのが本機である。
本機は改良を加えられながらも1942年までに179機が生産されたが、当初の目的であった雷撃や爆撃では速力の低さもあって成功せず、以後は航続距離の長さを活かした偵察や対潜哨戒に終始した。
だが、大戦中期以降は防弾装備の弱さから被害が続出し、前線任務を後継の二式飛行艇に譲って後方での連絡・輸送に従事した。