【九七式戦闘機】(きゅうななしきせんとうき)

中島・キ27。

日本陸軍が1930年代後半に採用した単発レシプロ戦闘機
陸軍での型式呼称は「キ-27」、米軍によるコードネームは"Nate(ネイト)"であった。
「九七戦」や「九七式戦」とも呼ばれた。

1937年、従来の九五式戦闘機に代わる新型戦闘機として中島川崎(キ-28)、三菱(キ-33)の3社に競争試作が命じられ、結果、運動性に優れた中島飛行機製のキ-27が1938年、九七式戦闘機として採用された。

徹底した軽量化、そして空力を洗練した格闘戦重視の機体であり、同時代の戦闘機の中では桁外れの運動性を発揮、その運動性を活かしてノモンハン事変?では格闘戦でソ連軍I-153?I-16?を圧倒し、大戦果を収めた。

もっとも事変終盤はソ連軍が格闘に乗ってこず、一撃離脱戦法に切り替えたほか、スペイン内戦に従軍していたベテランパイロットを投入してきたため、それなりの被害も被った。

風防天蓋の違いで前期型(ファストバック型)のキ27甲型と中・後期型(涙滴型)のキ27乙型に分類される。

だが、7.7mm機関銃2挺と言う武装はあまりに貧弱で、防御の優れた敵機に命中しても撃墜出来ず、またあまりに本機が戦果を上げたため、陸軍内に極端な格闘戦偏重主義を招いてしまった。
そのため、本機の後継機として開発された一式戦闘機「隼」は、「九七式と同等の運動性」を要求されて開発が遅延してしまった。
また、格闘戦偏重主義は、大戦中期以降、連合国軍航空部隊が速度と高度を活かした一撃離脱戦法に切り替えるとたちまち被害が増え、苦戦を強いられるという皮肉な結果にもなった。

第一線から退いた後は、優れた操縦性・安定性から訓練用の九七式練習戦闘機および二式高等練習機として、また短い未整地滑走路で運用できるため連絡用途、内地や満州の防空戦隊といった後方の二線級部隊*1などで用いられた。

性能諸元

乗員1名
全長7.53m
全高3.25m
全幅11.31m
自重1,110kg
全備重量1,547kg(燃料満載時)
発動機中島 ハ1乙型(海軍名称:寿?空冷星型9気筒×1基
出力610HP/2400r.p.m(地上正規)
710HP/2600r.p.m(地上最大)
最大速度460km/h
航続距離627km
上昇時間5分22秒/5,000m
実用上昇限度12,250m
武装7.7mm機銃(八九式固定機関銃?)×2挺(胴体内・携行弾数各500発)
爆弾25kg爆弾×4発



*1 本土空襲が始まった大戦中後期にはこの部隊にも新鋭機が配備され、特攻機に転用された機体もあった。

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