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【ブラック・シーの戦い】
1993年10月3日から4日にかけ、ソマリア首都モガディシュにおいてアメリカ軍の特殊部隊が遭遇した熾烈な銃撃戦。
当初ソマリアにおけるPKO?では平和的支援が目指されていたが、部族間抗争が非常に激しく、困難を極めた。
このため第2次国連ソマリア活動(UNOSOM2)においてはアメリカ軍を中心として、最大勢力であるアイディド派を武力制圧することが目標とされた。
通常部隊による任務の達成は非常に困難で、パキスタン兵がアイディド派に惨殺されたり、逆に米軍のAH-1がアイディド派内の穏健派に対して突如ミサイル攻撃をおこなうなどの事件が問題視され、以後は特殊部隊によるアイディド派幹部の拉致が主な作戦となった。
作戦には陸軍デルタフォース?、第75レンジャー連隊、第160特殊作戦航空連隊(ナイトストーカーズ)、海軍SEALs、空軍パラジャンパーなど多数の特殊部隊が投入された。
政情の不安定なモガディシュでは情報が錯綜していたが、1993年10月3日、バカラ・マーケットにおいてアイディド派幹部の会合が開かれるという情報を得たアメリカ軍はヘリコプターとHMMWVやトラックからなる強襲部隊を出動させた。
アイディド派幹部2名を含む捕虜の確保には成功したが、民兵のRPG7によって2機のMH-60が撃墜されたことにより、多数のアメリカ兵が足止めを食らい、民兵に包囲されることによって篭城戦を強いられた。
翌朝、第10山岳師団のAPCによって救出されるまでに18名が死亡、多数が負傷した。いっぽうソマリア民兵の死傷者は500名とも1000名ともいわれる。
(アメリカ側の死者が19名とされる場合があるが、これは作戦の3日後に基地への迫撃砲攻撃によって死亡した1名を含む)
この戦いは、ベトナム戦争以降にアメリカ軍が体験した、もっとも激しい銃撃戦といわれている。
また、撃墜されたパイロットの遺体が引きずり回される映像が報道されたこともあいまって、世論に大きな衝撃を与えた。
このため、作戦が所期の目的を達成したにもかかわらず、クリントン大統領はソマリアからの撤兵を決断する。
以後アメリカ政府は、直接国益に適わない派兵はおこなわないようになり、翌年のルワンダ大虐殺?においても国連の要請に反し、兵を動かさなかった。
この作戦に投入された航空機は下記のとおりである。
AH-6 リトルバード 攻撃ヘリ 4機 MH-6 リトルバード 輸送ヘリ 4機 MH-60 ブラックホーク 8機(C2[指揮統制] 1機、デルタ輸送 2機、レインジャー輸送 4機、CSAR[戦闘捜索救難] 1機) OH-58 カイオワ 観測ヘリ 3機 P-3 オライオン 哨戒機 1機 (早川書房 『ブラックホークダウン』 マーク・ボウデン著 伏見威蕃訳 より引用)