【キエフ(航空母艦)】(きえふ(こうくうぼかん))

1970年代に就役した、ソビエト海軍初の固定翼機搭載航空母艦
国際的常識に鑑みると軽空母に分類されるが、ソ連/ロシア海軍での公称は「航空巡洋艦」となっている。

「防空統制艦プロジェクト1143『クリェーチェト*1』」の名で計画開始。
1番艦「キエフ」は黒海に面するニコライエフ(現ウクライナ)のチェルノモルスキー造船所で1968年に建造着手、1975年に竣工。
同型艦に「ミンスク」「ノヴォロシースク」「バクー*2」の3隻があった。

先に就役していたモスクワ級ヘリコプター巡洋艦を代替する目的で建造された。
建造時に想定されていた艦載機Ka-25「ホーモン」対潜ヘリコプターおよびYak-36「フリーハンド」?VTOL戦闘攻撃機
正規空母に近い強力な対潜・航空打撃力を持って艦隊の中核となる事を目的としている。

建造の意義

ソ連海軍は1917年の「十月革命」による建国以降、数十年にわたって貧弱な状態にあった。
これは帝政ロシア時代の日露戦争における壊滅的打撃と、スターリン書記長の常軌を逸した大粛正による人材枯渇に因る。

第二次世界大戦以後、ソビエトは本格的な海軍整備を推進。
1960年代末には潜水艦戦闘艦の分野でアメリカに匹敵する規模まで拡張を遂げる。
その次の目標として、外洋での海戦に対応した艦隊ドクトリンの構築に着手。

そのために、航空母艦運用の経験を積むためのテストベッドが必要とされ、それを担ったのがこのキエフ級である。
実務上は対潜哨戒および敵性哨戒機の排除を目的としている。
冷戦時代の核戦争を想定した設計で、戦略潜水艦を敵性航空機から護衛する任務が想定されていた。

ソ連海軍は当初本級を「対潜巡洋艦」と呼び、後に航空巡洋艦と称した。

「航空母艦」ではなく「航空巡洋艦」とした理由は、1936年に結ばれたモントルー条約にある。
同条約では、黒海と地中海を結ぶボスポラス海峡・ダータネルス海峡を航空母艦が通過する事を禁じていた。
ソビエト軍の造船施設は黒海沿岸に集中しているため、これは事実上、「航空母艦」を運航できない事を意味していた。

特徴

本級の最大の特徴は、航空母艦には似つかわしくない重武装である。
艦対艦ミサイル艦対空ミサイル対潜ミサイル?ロケット弾速射砲CIWSと、同世代駆逐艦を凌駕する武装が施された。

飛行甲板を備えるため、これらの兵装は艦首部に集中配置された。
しかし飛行甲板に乱気流を発生させてしまうため、航空機の離着艦に甚大な悪影響があった。
後期の改修ではこの点に対する各種の対策が採られたが、完全な解決には至らなかった模様である。

なお、武装の中で最も長射程であるSS-N-12「サンドボックス」艦対艦ミサイル有効射程500kmに達する。
しかし、本級がその射程を最大限に活かせるか、実際に500km先の目標に命中させる事ができるかは非常に疑わしい。
艦載レーダーの有効識別距離は当然500kmに満たないし、艦載機戦闘行動半径ですら150km程度である。
軍事衛星で捕捉する事も考えられるが、衛星がある地点を偵察できる機会は1日に1〜2度しか巡ってこない。

航空兵装

本級は189m×20.7mの全通式斜め飛行甲板を持っていた。
通常、斜め飛行甲板艦載機の発艦・着艦を同時に行うための設計だが、本級ではそれは実行不可能である。
実際には、艦首部の重武装を搭載しつつ航空母艦としての機能を維持するための措置であった。

艦載機Ka-25「ホーモン」警戒ヘリ及びKa-27「へリックス」対潜哨戒ヘリコプターを21機、Yak-38フォージャーVTOL戦闘攻撃機を12機搭載した。
なお、当初予定されていたYak-36?フリーハンドは性能不足のため生産には至らなかった。

ただし、Yak-38「フォージャー」戦闘機の運用には甚大な問題点があった。
フォージャーはVTOLとしてはおよそ失敗作といってよく、ペイロード戦闘行動半径共に明らかな能力不足であった。
母艦の周囲100km圏内で戦闘空中哨戒を行う程度が限界で、積極的な攻勢対航空作戦など望み得るものではなかった。
この欠陥は相当長く隠蔽されたが、1970年代後半には公然の事実と化し、その時点で本級は航空母艦としての戦略的価値を喪失した。

とはいえ、ミサイル艦護衛空母を兼ねている、という事実だけでも仮想敵国にとって十分な脅威ではあった。
本級の存在は、アメリカ海軍海上自衛隊を始め、旧西側諸国の海軍に対して大きな抑止力を発揮し続けた。

その後

その後、本級にはYak-38よりも飛躍的に能力が向上したYak-141「フリースタイル」VTOL戦闘機の搭載が予定されていた。
もし、Yak-141が実戦配備されて本級に搭載されていれば、ソ連海軍は「フォージャー(まがい物)」ではない真の航空戦力を保持し得たであろう。
しかし、その頃にはソビエト連邦の統制経済は既に破綻しており、時代は本級を要求していなかった。
連邦の崩壊に伴い本級の役割は終わりを告げ、各艦とも悲惨な運命を辿っている。

スペックデータ

タイプ1143型
(キエフ・ミンスク)
1143.3型
(ノヴォロシースク)
1143.4型
(バクー)
排水量
基準/満載
30,535t/41,380t31,900t/43,220t33,440t/44,490t
全長273m273.1m
水線長236m243m
最大幅49.2m51.3m52.9m
飛行甲板50m51m
最大喫水11.04m11.5m11.52m
機関KVN-98/64型重油専焼式ボイラー×8缶
TV-12-3型蒸気タービン×4基(機関出力:各45,000hp)
スクリュープロペラ×4軸推進
最大速力32.5ノット
航続距離8,590海里
(18kt巡航時)
7,160海里
(18kt巡航時)
7,590海里
(18kt巡航時)
乗員1,435名1,607名1,615名
航空要員430名
主砲・CIWSAK-726 76.2mm連装砲×2基AK-100 100mm単装速射砲?×2基
AK-630/630M 30mmCIWS×6基*3
SAMB-189 SAM連装発射機×2基
(M-11「シュトルム-M」(SA-N-3「ゴブレット」)を搭載。)
(V-611ミサイル×48発)
-
ZiF-122 短SAM連装発射機×2基
4K33「オサーM」を搭載)
(9M33ミサイル×20発)
-3K95「キンジャール」短SAM
8連装VLS
×16セル24基
SSMSM-241「ウラガーン-1143」SSM連装発射筒×4基
P-500ミサイル)
SM-241「ウラガーン-1143」
SSM連装発射筒×6基
(P-500ミサイル)
対潜ロケット・
対潜ミサイル
RBU-6000「スメルチ-2」
12連装対潜ロケット砲×2基
RBU-12000「ウダフ-1」
10連装対潜ロケット砲×2基
RPK-1「ヴィフリ」 SUM?連装発射機×1基-
魚雷PTA-53-1143
5連装533mm魚雷発射管×2基
(SET-53またはSET-65魚雷を搭載)
-
艦載機Yak-38V/STOL軽襲撃機
ないし
Ka-25/27哨戒ヘリコプター?×20機
Yak-38V/STOL軽襲撃機
ないし
Ka-25/27哨戒ヘリコプター?×30機
C4Iシステムアレッヤ2型アレッヤ2K型レゾルブ434型
レーダーMR-600「ヴォスホード」3次元式レーダー
MR-700「フレガート」3次元式レーダー
マルス・パッサート 3次元式レーダー

MR-710M「フレガートM」3次元式レーダー
MR-350「ポドカット」低空警戒・対水上捜索レーダー
ソナーMR-342「オリオン」艦首装備式ソナー×1基
MG-335「プラーチナ」可変深度式ソナー×1基


同型艦

艦名主造船所起工進水就役除籍所属
キエフ
(Киев)
チェルノモルスキー1970.7.211972.12.271975.1.31993.6.30北方艦隊
ミンスク
(Минск)
1972.12.291975.9.301978.9.281992.5.30太平洋艦隊
ノヴォロシースク
(Новороссийск)
1975.9.301978.12.241982.12.91993.1.太平洋艦隊
バクー
(Баку)
1978.12.1982.4.1987.1.1997.北方艦隊


艦歴

  • キエフ(Киев)
    1番艦。北方艦隊に所属。
    ソ連崩壊時には予備役
    1990年ムルマンスクで改修中、予算不足のため工事を中断。
    1993年6月30日に除籍され、4番艦アドミラル・ゴルシコフの部品取りにまわされた。
    その後、2000年に中国にスクラップとして売却され、上海(シャンハイ)の造船所で修復されたのち、天津市に回航されて軍事テーマパークとして展示されている。
    同艦の外観は完全に修復され、強撃5Yak-28のほか、Su-27のレプリカなどが展示されている。
    2012年に世界初の空母ホテル「天津航母酒店」に改装された。

  • ミンスク(Минск)
    2番艦。太平洋艦隊に所属。
    1979年にウラジオストックへ回航され、主に日本海、オホーツク海で活動していた。
    1989年に機関故障による火災事故を起こしウラジオストックに係留されつづけ(その後、ソヴィエツカヤ・ガヴァニに係留)、1995年、スクラップとして韓国に売却され釜山港に回航。
    韓国でも全焼火災を起こして1997年に中国に転売、広州・深川にて「ミンスク・ワールド(明思克航母世界)」という軍事テーマパークとして展示された。
    しかし経営難に陥り運営会社が破産、閉鎖された後、船体は2006年に競売に掛けられ、別の企業に落札された。

  • ノヴォロシースク(Новороссийск)
    3番艦。太平洋艦隊に所属。当初艦名を「ハリコフ」と西側に誤認されていた。
    1979年、ミンスクと同時期にウラジオストックを母港として日本海、オホーツク海で活動。
    また、同艦はハワイ沖へのクルーズを実施するなど示威行動を盛んに行い、本級の中でもっとも頻繁に活動していた。
    しかし、1991年に予備役になった後、1993年1月に火災事故により除籍。
    その後、ウラジオストックに10年間係留され続けた。
    1994年にスクラップとして韓国に売却され、1997年に解体された。

  • バクー(Баку)
    4番艦、北方艦隊に所属。
    艦名は1990年10月に「アドミラル・オブ・ザ・フリート・オブ・ザ・ソビエト・ユニオン・セルゲイ・ゲオルギエビッチ・ゴルシコフ*4」に変更された。
    本艦は、他の姉妹艦とは異なる武装や電子機器類の装備を搭載したため「改キエフ級」と呼ばれることもある。
    1〜3番艦が相次いで行動不能に陥る中、ソビエト連邦の崩壊後も唯一現役にとどまり、Yak-141フリースタイルの試験や、建造中のアドミラル・クズネツォフ級に採用される予定だった各種実験が行われた。
    火災事故など災難に遭うことが多く、1991年には艦内に置いてあった生活ゴミからの出火で、補助区画に通じるケーブルが損傷したほか、同年にはYak-141が着艦に失敗して爆発火災事故を起こし、また、1994年にはボイラー爆発による火災事故により行動不能になったが*5、「キエフ」から部品を調達し1995年に復旧。
    しかし、1995年7月からムルマンスクで予備役艦として係留され続け、まともな運用は行われていなかった。

    その後、インドに売却され全通甲板を持つ空母へと改修され「ヴィクラマーディティヤ」として就役する予定である。
    詳しくはヴィクラマーディティヤの項を参照。

*1 Кречет:ロシア語で隼の意味。
*2 1990年「アドミラル・ゴルシコフ」に改名。
*3 AK-630は1番艦のみ。他はAK-630Mを搭載。
*4 Admiral of the Fleet of the Soviet Union Sergei Georgievich Gorshkov:和訳すると「ソヴィエト連邦海軍元帥セルゲイ・ゲオルギエビッチ・ゴルシコフ」となる。
*5 この時、火災がタービン室にも延焼して8時間に渡って燃え続けた。

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