【エルンスト・ウーデット】(えるんすと・うーでっと)

Ernst Udet(1896年生〜1941年没).

20世紀前半に活躍したドイツ空軍戦闘機パイロット

第一次世界大戦におけるドイツ空軍エースパイロットのひとりであり、彼の乗機フォッカーD.VII?エレベーターには、大きく「撃たないで!!」(Du doch nicht!!)と描かれていた。

フランス軍のトップエース、ジョルジョ・ギンヌメール?との一騎打ちは、空中戦に騎士道精神が有った頃の逸話として世に名高い。

フランス上空に於いてフォッカーD.VII?(アルバトロスD.III?か?)に乗るウーデットとスパッドS13?を駆るギンヌメールは会敵し、1on1のドッグファイトになった。
序盤戦は実績に勝るギンヌメールが優勢で、ウーデット機は多数の機銃弾を受けつつもかろうじて被撃墜を免れていた。
ようやくウーデットはギンヌメールを捕捉する事に成功したものの、機銃の故障により引き金を引いても弾丸は発射されなかった。
機銃を金槌で叩き*1なんとか修理しようと試みるが、そうこうしているうちにギンヌメールに背後を取られてしまう。
ウーデットは死を覚悟したが、機銃の故障を察知したギンヌメールは、機を側面に寄せウーデットに敬礼し、離脱していった。

なおギンヌメールは3ヵ月後に戦死(総撃墜数52機)したが、ウーデットはこの後40機以上の英仏軍機を撃墜。
これにより総撃墜数を62機とし、レッドバロンに次ぎドイツ軍No.2のエースパイロットとなった。

戦後、ウーデットは実業家やアクロバット飛行士、俳優などを経て1934年にドイツ航空省へ入省。
入省後は上級大将まで累進し、航空機総監などの要職を歴任したが、国家最高指導者であったアドルフ・ヒトラーとの意見の相違から1941年に自殺してしまう。

戦時中であったため「新兵器の開発中の事故に巻き込まれて死亡した」として処理され、国葬で送られた。


*1 機銃の故障は日常茶飯事で、操縦席には文字通り「叩き直す」為の金槌が装備されていた。

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