Last-modified: 2016-12-03 (土) 18:00:18 (317d)

【東京大空襲】(とうきょうだいくうしゅう)

太平洋戦争大東亜戦争)中、アメリカ軍が東京に対して実施した、一連の計画的且つ大規模な戦略爆撃
東京は1944年11月14日以降、計104回の爆撃を受けたが、その中でも1945年3月10日、4月13日、15日、5月25日に大規模な空襲を受けた。
特に3月10日の空襲は一連の空襲の中でも大規模なもので、死者は約9万人、負傷者は約4万人、被災者は100万人を超えた。

3月10日の空襲

この日の空襲はそれまでの爆撃とは異なり、低高度、夜間、焼夷弾攻撃だった。
その目的は、市民の生活の場である木造家屋が密集する下町の市街地を、そこに散在する町工場もろとも焼くことにあった。
この攻撃についてアメリカ軍は、日本の中小企業が軍需産業の生産拠点となっていると理由付けをした。
アメリカ軍の爆撃部隊は第73、第313、第314航空団の計325機ものB-29で構成されていた。

まず、3月9日22時30分に2機のB-29が東京上空に飛来し、これにより警戒警報が発令された。
まもなくこの機は房総沖へ飛び去ったため、一旦警報は解除された。
これで東京市民が安心した10日0時7分、深川地区に第一弾が投下され、それから約二時間半にわたって絨毯爆撃が行われた。
爆撃による火災の煙は高度15,000mの成層圏まで達し、100m/秒という竜巻並みの暴風が吹き荒れた。*1
この爆撃のために、各機には通常の2倍もの搭載量である6tの高性能焼夷弾が搭載され、結局、制御投下弾量は381,300発、重量は1,783tにものぼった。

2時37分に米軍の爆撃隊は退去したが、この空襲で一夜にして東京市街地の東半分、約41km²が焼失し、当時の警視庁の調査では、死者83,793人、負傷者40,918人、被災者1,008,005人、被災家屋268,358戸となった。
しかし人的被害はこれよりも多く、民間団体や新聞社の調査では死者・行方不明者は10万人以上といわれる。

なお、この爆撃においてM69焼夷弾を中心とする油脂焼夷弾黄燐焼夷弾エレクトロン焼夷弾のほか、ナパーム弾も使われた。


*1 各所で火災旋風が発生し、避難しながらも焼死した人々や炎により酸素を奪われ窒息死した人々も多かった。

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