【第12旅団】 †
JGSDF 12th Brigade.
陸上自衛隊における戦略級部隊単位である「旅団」の一つ。
本旅団のルーツは、1962年に創設された「第12師団(JGSDF 12th Division)」である。
同師団は、陸自で「師団」制度が発足したのを契機に、従来の第1管区隊(現在の第1師団)の警備担当区域を分割し、北関東及び信越地方の防衛を担当すべく発足した軽歩兵師団であった。
その後、2001年に旅団(総合近代化旅団)へ規模縮小され、同時に空中機動部隊へ改編された。
2023年3月16日には第12偵察隊の偵察戦闘大隊への改編、第12特科隊を東部方面隊隷下の東部方面特科連隊へ第2大隊改編の後移管、第12対戦車中隊の廃止といった部隊改編が行われた。
現在の本旅団は、司令部を群馬県・相馬原駐屯地に置き、3個普通科(歩兵)連隊を基幹とする約4,000名の兵員*1を擁し、関東北部(群馬・栃木)及び信越地方の防衛警備・災害派遣・民生協力、または国際貢献活動などを任務にしている。
部隊編制 †
- 司令部(相馬原駐屯地 以下地名)および司令部付部隊
空中機動旅団への改編 †
前述の通り、本旅団はかつて「第12師団」という名前の軽歩兵師団であり、他の師団と同様に3個普通科連隊・1個特科連隊・1個戦車大隊を基幹とした編制*4を採る部隊であった。
しかし、1990年代末期からの軍事情勢変化に伴う現代的な脅威に対応すべく、部隊規模のスリム化と地域の特性に合わせた改編が行われることになり、この中で、旧第12師団は山岳地の多い警備担当区域*5の特長を活かすべく「隷下の戦車大隊を廃止」「特科・施設科・通信科の各部隊を縮小」「航空隊を増強して『ヘリコプター隊』とする」といった大幅な改編のメスが入った。
これにより、本旅団には陸自の他の師団・旅団*6隷下航空部隊には装備されていないUH-60JAやCH-47JAが配備されることになり、同地の防衛警備や災害派遣への対処力向上*7のみならず、他地方への能動的な支援が可能となった。
しかしながら、現在でも旅団の航空兵力は隷下部隊をヘリボーン機動させるのに充分な数を持っているとは言えず、また、予算との兼ね合いから陸自全体でもヘリコプターの増強がままならない*8ため、部隊の機動は依然として車両主体となっていることが難点である*9。
また、特科隊に配備されているFH70が旧式化しつつあり、その後継に19式装輪自走155mm榴弾砲*10が取り沙汰されているが、UH-1/UH-60での吊り下げ空輸が可能な軽量砲であるM777?の方が良いのではとの声がある。
*1 兵力規模は列国の基準に照らせば「連隊戦闘群」程度だという。
*2 UH-60JA及びCH-47JAを配備。
*3 首都圏の陸海空自衛隊の音楽隊が対応できない広報を最終的に受け持つ部隊。
また、同隊の隊員は、音楽に関するスキルの他にリペリングのスキルも持っている。
*4 当時は実兵力約7,000名の「乙編制」師団であった。
*5 特に、長野県・松本駐屯地所在の第13普通科連隊は日本アルプスの防衛を担当することから「山岳連隊」とも呼ばれる。
このため、かつて同連隊では陸自唯一の山岳レンジャー訓練も行われていたが、旅団化されてからは「旅団レンジャー集合訓練」に集約されている。
*6 第8師団及び第15旅団を除く。
*7 実際、2004年の新潟県中越地震における災害派遣出動では、本旅団のヘリコプター兵力がフル活用された。
*8 UH-60が年間1機、輸送ヘリコプター全てをあわせても年間5〜6機程度しか調達されず、運用寿命が尽きて用途廃棄になった機体を補充するのがやっとだという。
*9 それでも、他の師団・旅団に比べれば空地共同訓練は充実しているという。
*10 戦闘重量が30t前後になる可能性が高い。