Last-modified: 2024-02-11 (日) 16:34:03 (68d)

【第11空挺師団】(だいじゅういちくうていしだん)

概要
創設1943年
解散(1回目)1958年
再創設1963年(「第11空中強襲師団」として)
解散(2回目)1965年
再々創設2022年
所属国アメリカ合衆国
部隊編制単位師団
兵種、任務、特性空挺
上級部隊アラスカ軍
所在地エルメンドルフ・リチャードソン統合基地(アラスカ州)


U.S.Army 11th Airborne Division.

アメリカ陸軍師団のひとつ。空挺師団
2022年6月、在アラスカ米陸軍を基幹として創設された。

本師団の創設に伴い、それまで在アラスカ米陸軍の指揮下にあった第25歩兵師団の「第1旅団戦闘団」「第4旅団戦闘団」が本師団の「第1旅団戦闘団」「第2旅団戦闘団」へ改編された。

本師団のルーツは、第二次世界大戦時の1943年に編成された空挺部隊に始まる。
この戦争で、ドイツ軍が空挺部隊を増強したことに対抗して創設された5個の空挺師団のひとつであった。
当時の編制は「第511空挺歩兵連隊」「第187グライダー歩兵連隊」「第188グライダー歩兵連隊」を基幹とする8,321名の編制で、これは当時の一般的な歩兵師団の約半数の兵員数であった。

1944年のフィリピンでの戦いで初めて実戦投入されたが、当初は空挺部隊としてではなく、一般の歩兵部隊として用いられた。
1945年に日本が降伏すると、日本占領のための部隊に選ばれ、8月末に厚木飛行場へ上陸、横浜を占領したのち北日本に移動し、本州と北海道の海岸に野営地を設置した。

1950年の朝鮮戦争では第187グライダー歩兵連隊が師団の指揮下から分離され「第187連隊戦闘団」として活動した*1
その後、師団本体は(西)ドイツに移動し、1958年に解散した。

1963年にはジョージア州フォート・ベニングスで「第11空中強襲師団」として再編成
ヘリコプター戦略的運用に関する研究に従事したのち、1965年に本格的な戦略ヘリボーン部隊として編制された「第1騎兵師団」に人員と装備を引き継いで解散した*2

以後、本師団の番号は欠番となっていたが、前述のとおり、2022年6月に在アラスカ米陸軍を基幹として再々編制されて現在に至っている。

編制

  • 司令部および司令部大隊
  • 司令部および司令部中隊
  • 通信・情報・維持中隊
  • 第9陸軍軍楽隊
  • 北部戦争訓練センター
  • 第1歩兵旅団戦闘団 "Arctic Wolves"(フォート・ウェインライト(アラスカ州))
    • 司令部および司令部中隊 "Dire Wolves"
    • 第1騎兵連隊第5大隊 偵察、戦場監視、標的補足(RSTA) "Blackhawk"
    • 第5歩兵連隊第1大隊 "Bobcat"
    • 第21歩兵連隊第3大隊 "Gimlet"
    • 第24歩兵連隊第1大隊 "Legion"
    • 第8野戦砲兵連隊第2大隊 "Automatic"
    • 第70旅団工兵大隊 "Kodiak"
    • 第25旅団支援大隊 "Opahey"
  • 第2歩兵旅団戦闘団 "Spartans"(エルメンドルフ・リチャードソン統合基地(アラスカ州))
    • 司令部および司令部中隊
    • 第40騎兵連隊第1大隊 "Denali"
    • 第501歩兵連隊第1大隊
    • 第509歩兵連隊第3大隊
    • 第377野戦砲兵連隊第2大隊
    • 第6旅団工兵大隊 "Oak"
    • 第725旅団支援大隊 "Centurion"
  • 第11空挺師団砲兵
    • 司令部及び司令部中隊
  • 戦闘航空旅団
    • 司令部及び司令部中隊
    • 第52航空連隊第1大隊(全般支援)
    • 第25航空連隊第1大隊(攻撃偵察)
    • 第25航空連隊D中隊(MQ-1Cを装備)
  • 維持旅団
    • 司令部及び司令部中隊
    • 第17戦闘維持支援大隊


*1 後に第101空挺師団の隷下に組み込まれる。
*2 この時の第1騎兵師団には本師団の他、第2歩兵師団からも兵力が抽出されている。

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