Last-modified: 2017-09-21 (木) 17:48:07 (29d)

【大韓航空007便撃墜事件】(だいかんこうくうぜろぜろななびんげきついじけん)

1983年9月1日、大韓民国(韓国)のフラッグキャリア・大韓航空の旅客機ソ連防空軍戦闘機によって撃墜された事件。

被害機はB747-230旅客機登録記号HL7442。
事件発生当日にニューヨーク発・アンカレッジ経由ソウル行きの007便として飛行していたが、航路を逸脱してソ連領空へ侵入。

証言可能な生存者がいないため、航路を逸脱した原因は不明。
慣性航法装置の故障、ないしパイロットの人為的ミスであったと推定されている。

ソ連当局は同機をアメリカ空軍偵察機と判断し、対領空侵犯措置を発令。
Su-7/Su-15/MiG-23など戦闘機スクランブル発進し、ほどなく領空侵犯機を目視内射程に捕捉。
機関砲による警告射撃が行われたが、反応がなかった*1ため空対空ミサイルが発射され、被害機の尾翼に命中。
被害機は操縦不能状態に陥り、海上に墜落して爆発四散。乗客240名・乗員23名・デッドヘッド6名の全員が死亡した。

事件発覚後、当該機が旅客機であったと主張するアメリカと、スパイと断じるソ連との宣伝戦めいた様相を呈した。
最終的には9月6日にソ連側も被害機が民間旅客機であった事を認めたが、領空侵犯機の撃墜は正当であるとし、謝罪や賠償には応じていない。

なお、大韓民国は当時ソ連と国交がなく、国連にも加入していなかったためその主張を黙殺された。

この事件を契機に国際民間航空条約(シカゴ条約)が改定され、領空侵犯した民間機の撃墜が明示的に禁じられた。
事件以前から被撃墜のリスクは航空運輸業における重大な懸念であったが、一方で偵察機による領空侵犯も当時の現実である。
冷戦下における航空運輸の自由化は防諜上のリスクと表裏一体であり、それは社会統制を必要とするソ連には受け入れがたいものだった。
一連の事件によって民間航空の自由が保護される結果になった事は、冷戦末期におけるソ連の退潮を示すものでもある。

また、同様の事態を防ぐため、軍用技術であったGPSが民間にも開放される事となった。


*1 当該機の機関砲曳光弾が装填されていなかったため、旅客機パイロットが夜間の銃撃に気付かなかったとしても無理はない。

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