Last-modified: 2016-11-06 (日) 21:18:17 (350d)

【松】(まつ)

大日本帝国海軍一等駆逐艦護衛駆逐艦*1「松」。
大東亜戦争後期、戦時量産型簡易駆逐艦として設計・建造された。
同型艦は19隻(準同型の「橘」型を含めると33隻)あった。

開発の経緯

大東亜戦争太平洋戦争)が起きる以前、日本海軍における駆逐艦は、主な任務として「艦隊決戦における敵艦隊の漸減戦闘」や「戦闘終了後の残敵掃討」などが割り当てられており、そのために敵の主力艦(戦艦)を上回る速力や強力な魚雷兵装が求められてきた。
ところが、大東亜戦争においては航空主兵主義が海軍戦略戦術の主流となった*2ことから、当初想定されていたような「戦艦同士の砲撃戦」という状況はなかなか発生せず、そればかりか「想定外の使われ方」である離島への人員・資材強行輸送*3にすらしばしば投入され、特に1942年〜1943年のガダルカナル島の支配権を巡る一連の戦いでは、優秀な駆逐艦が多数失われることになった。
そしてその補充は、当時最新鋭であった「夕雲」型?「秋月」型といった艦隊型駆逐艦の建造ペースでは到底間に合わなかった。

その一方で、太平洋でのバトルプルーフから、駆逐艦の性格が従来の「水雷戦闘に特化された大型雷撃艦」から、「輸送船団護衛や航路警戒、人員・資材の強行輸送までこなせる多目的艦」に変化していったため、必ずしも高速である必要性はなくなっていた。

こうして、不足する駆逐艦戦力を短期に補充するため、急造に適した簡易型駆逐艦として計画・設計されたのが本艦型である。

特徴

本艦型の船体は、工期の短縮を図るために(日本海軍艦艇の特徴であった)曲線構造を止め、平面構造を多用したデザインで構成され、部材も従来の特殊鋼ではなく入手の容易な高張力鋼を採用している。
また、船体の建造には第四艦隊事件?以降殆ど取り止められていた溶接を多用している。

機関は「(おおとり)」型水雷艇に搭載されていたのと同型の製造が容易なものを採用していたが、その配置法は、帝国海軍では初となる「シフト配置」となった。

従来の艦艇では、ボイラー室と機関室が1ヶ所にまとめて置かれていた「全缶全機配置」であったが、この配置では、艦のスペースを有効活用できる代わりに、故障や敵の攻撃でどちらか一方が損傷すると推進力を失って行動不能になってしまう欠点があった。
そこでボイラーとタービンを2つに分割し、かつ交互に置くことで、船体の全幅を貫通されるような攻撃を食らって右舷側・左舷側のどちらかの機関が破壊されても航行を継続できるようにしたのである*4*5
こちらはこちらで「推進系統や船体構造が左右非対称となり、建造や保守・整備に手間がかかる」という欠点があったが、これにより、従来の艦隊型駆逐艦に比べて「打たれ強い」艦になった。

備砲には40口径12.7サンチ高角砲を載せ、(秋月型には劣るものの)従来型駆逐艦よりも強力な防空力を得た。
一方で、本級では艦隊決戦における敵主力艦隊への水雷戦参加を想定されておらず、魚雷兵装は4連装発射管1門のみとされ、自衛用の申し訳程度になった。
また、人員・資材輸送のために運貨船2隻を搭載していた。

本艦型は、(量産のために工事を単純化したにもかかわらず)護衛駆逐艦として申し分ない能力を備えており、現場での評判も上々だった。
樹木の名前に由来する艦名がつけられていた*6ことから「雑木林」ともあだ名されたが、重要性の高かった輸送船団護衛や航路警戒、人員・資材輸送などで幅広く活躍した。

スペックデータ

排水量
基準/公試
1,262t/1,530t
全長100m
全幅9.35m
喫水3.3m
主缶ロ号艦本式罐・重油焚×2基
主機艦本式タービン×2基 2軸推進(出力19,000shp)
燃料搭載量重油 370t
速力27.8kt
航続距離3,500浬/18kt
乗員211名
兵装八九式40口径12.7cm連装高角砲×1基
八九式40口径12.7mm単装高角砲×1基
九六式25mm連装機銃×4基
九六式25mm単装機銃×12基
九二式4連装61cm魚雷発射管×1基4門
九四式爆雷投射機×2基
爆雷投下軌条×2基(二式爆雷×36発)
回天?用架台(一部の艦。改修工事が行われたが実戦では使用されず)
電探二号二型電探(対水上用)
一号三型電探(対空用)
水測装置九三式探信儀
九三式聴音機


同型艦

艦名主造船所起工進水就役除籍備考

(まつ)
舞鶴海軍工廠1943.8.81944.2.31944.4.281944.10.101944.8.4
父島沖で戦没

(たけ)
横須賀海軍工廠1943.10.151944.3.281944.6.161945.10.25終戦時残存。
1947.7.16
戦時賠償艦としてイギリスに
引き渡し。
(解体)

(うめ)
藤永田造船所1944.1.251944.4.241944.6.281945.3.101945.1.31
台湾南方で戦没*7

(もも)
舞鶴海軍工廠1943.11.51944.3.251944.6.101945.2.101944.12.15
リンガエン湾西方で戦没*8

(くわ)
藤永田造船所1943.12.201944.5.251944.7.251945.2.101944.12.3
オルモック湾にて戦没

(きり)
横須賀海軍工廠1944.2.11944.5.271944.8.141945.10.5終戦時残存。
1947.7.29
戦後賠償艦としてソ連に引き渡し。
艦名を「ヴォズロジュジョーンヌイ*9
に改称。
1949.3. 艦種変更(標的艦)
1949.7.17
艦名を「TsL-25*10」に改称。
1957.3.艦種変更(工作艦)
1957.10.3
艦名を「PM-65*11に改称。
1969.12.20 除籍・解体

(すぎ)
藤永田造船所1944.2.11944.7.31944.8.251945.10.5終戦時残存。
1947.7.31
戦後賠償艦として中華民国(台湾)に
引き渡し。
艦名を「恵陽(フェイヤン)」に改称。
1951.除籍

(まき)
舞鶴海軍工廠1944.2.191944.6.101944.8.101945.10.51947.8.14
戦後賠償艦としてイギリスに引渡し。
(解体)

(もみ)
横須賀海軍工廠1944.2.11944.6.161944.9.31945.3.101945.1.5
マニラ沖で戦没*12

(かし)
藤永田造船所1944.5.51944.8.131944.9.31945.10.51947.8.7
戦後賠償艦としてアメリカに引渡し。
1947.10.27〜1948.3.20
笠戸ドックにて解体

(かや)
舞鶴海軍工廠1944.4.101944.7.301944.9.301945.10.5終戦時残存。
1947.7.5
戦後賠償艦としてソ連に引渡し。
艦名を「ヴォレヴォーイ*13」に改称。
1947.7.7
艦隊水雷艇として第5艦隊へ編入。
1949.2.14 予備役
1949.6.17 除籍・種別変更(標的艦)
艦名を「TsL-23*14」に改称。
1953.4.23 太平洋艦隊に編入。
1958.6.10 種別変更(暖房船)
艦名を「OT-61」に改称。
1959.8.1 退役
1959.9.2 除籍

(なら)
藤永田造船所1944.6.101944.10.121944.11.261945.11.30終戦時残存も、
艦尾損傷で航行不能状態。
1948.5.解体開始
1948.7.1解体完了

(さくら)
横須賀海軍工廠1944.6.21944.9.61944.11.251945.8.101945.7.11 戦没*15

(やなぎ)
藤永田造船所1944.8.201944.11.251945.1.181945.11.201945.7.14
米軍機の空襲により大破・擱座
1946.10.〜1947.5.解体
椿
(つばき)
舞鶴海軍工廠1944.6.201944.9.301944.11.301945.11.30終戦時、呉で中破状態で残存
1948.7.1
播磨造船呉ドックで解体開始
1948.7.28 解体完了

(ひのき)
横須賀海軍工廠1944.3.41944.7.41944.9.301945.4.101945.1.7
マニラ沖で戦没

(かえで)
横須賀海軍工廠1944.3.41944.7.251944.10.301945.10.51947.7.6
戦時賠償艦として中華民国(台湾)に
引渡し。
艦名を「衡陽(ホン・ヤン)」に改称。
1949.10.1
練習艦となりに訓練艦隊に編入。
1960.除籍・解体

(けやき)
横須賀海軍工廠1944.6.221944.9.301944.12.151945.10.5終戦時残存。
1947.7.5
戦後賠償艦としてアメリカに
引き渡し。
1947.10.29
標的として海没処分

「橘」型

簡易駆逐艦として建造された「松」型は、戦況の更なる悪化に伴って19隻で建造が打ち切られ、以後は更に工事の簡素化を図った「橘」型に移行した。
この型は、部内では「改丁型」と呼ばれ、工期を3ヶ月に短縮することを目指して建造されたが、目的を達成できた艦はなかった。
しかし、それでも終戦までに14隻が完成している。

ちなみにこの型の一艦「梨」は、1945年7月に瀬戸内海で敵機の攻撃により沈没したが、戦後、引き揚げられて修復の上、海上自衛隊に編入。
編入後は護衛艦「わかば(DE-261)」と名を改め、1970年まで使われていた。

スペックデータ

橘型(改丁型)
排水量
(基準/公試)
1,350t/1,580t
全長100m
全幅9.35m
吃水3.37m
主缶ロ号艦本式罐・重油焚×2基
主機艦本式タービン×2基 2軸推進(出力19,000shp)
燃料搭載量重油 370t
最大速力27.8kt
航続距離3,500浬/18kt
乗員211名
武装八九式40口径12.7cm連装高角砲×1基
八九式40口径12.7cm単装高角砲×1基
九六式25mm三連装機銃×4基
九六式25mm単装機銃×12基
九二式4連装61cm魚雷発射管×1基4門
九四式爆雷投射機×2基
爆雷投下軌条×2基(二式爆雷×36発)
電探二号二型電探(対水上用)
一号三型電探(対空用)
水測装置九三式探信儀
九三式聴音機


DE-261「わかば」
排水量
基準/満載
1,250t/1,560t
全長100m
全幅9.35m
吃水3.28m
主缶艦本式三号乙ロ号×2基
主機艦本式三号丙型蒸気タービン×2基(出力15,000ps)
推進器×2軸
燃料搭載量重油:395t
最大速力25.5kt
航続距離4,680海里/16kt
乗員175名
武装第2次改装時:
68式50口径3インチ連装砲×1基
54式対潜弾(ヘッジホッグ)発射機×1基
54式爆雷投射機×4基
54式爆雷投下軌条×2条
第5次改装時:
65式連装533mm魚雷発射管×1基
C4IシステムMk.63射撃指揮装置(第2次改装)
レーダー第2次改装
US SPS-12対空レーダー
Mk.34射撃指揮レーダー
US S0対水上レーダー
SPS-5B対水上レーダー
第3次改装(第6次改装時に撤去)
SPS-8B高角測定レーダー
ソナー第3次改装
SQS-11A捜索ソナー
SQR-4/SQA-4攻撃ソナー
第4次改装
T-3国産試作ソナー


同型艦

艦名主造船所起工進水就役除籍備考

(たちばな)
横須賀海軍工廠1944.7.81944.10.141945.1.201945.8.101945.7.14
函館港内にて戦没*16
八重櫻
(やえざくら)
-1945.3.17-1945.6.23 工事中止
矢竹
(やだけ)
1945.1.2-1945.4.17 工事中止

(くず)
1945.3.20

(かき)
1944.10.51944.12.111945.3.51945.10.5終戦時残存。
1947.7.4
戦後賠償艦として米国へ
引き渡し。
1947.8.19
標的艦として処分

(かば)
藤永田造船所1944.10.151945.2.271945.5.291945.10.5終戦時残存。
1947.8.4
戦後賠償艦として米国へ
引き渡し。
1947.10.8〜1948.3.1
三井造船玉野造船所で解体

(かつら)
-1945.6.23-1945.6.23 工事中止
若櫻
(わかざくら)
1945.1.15-1945.5.11 工事中止

(つた)
横須賀海軍工廠1944.7.311944.11.21945.2.81945.10.5終戦時残存。
1947.7.31
戦後賠償艦として
中華民国(台湾)へ引き渡し。
艦名を「華陽(ファヤン)」に改称。
1950.退役・解体*17

(はぎ)
1944.9.111944.11.271945.3.31945.10.5終戦時残存。
1947.7.16
戦後賠償艦としてイギリスへ
引き渡し。

(すみれ)
1944.10.211944.12.171945.3.261945.10.5終戦時残存。
1947.8.20
戦後賠償艦としてイギリスへ
引き渡し。
1947.標的艦として海没処分。

(くすのき)
1944.11.91945.1.81945.4.281945.10.5終戦時残存。
1947.7.16
戦後賠償艦としてイギリスへ
引き渡し。
初櫻
(はつざくら)
1944.12.141945.2.101945.5.281945.9.151947.7.29
戦後賠償艦としてソ連へ
引き渡し。
艦名を「ヴェートレンヌイ*18
に改称。
1947.10.22
艦名を「ヴィラジーテリヌィイ*19」に
改称。
1949.3.種別変更(標的艦)
艦名を「TsL-26*20」に改称。
1959.2.19 退役・解体

(にれ)
舞鶴海軍工廠1944.8.141944.11.251945.1.311945.10.151948.1.
播磨造船呉ドックにて
解体開始
1948.4.20
解体完了

(なし)
川崎・神戸1944.9.11945.1.171945.3.151971.3.311945.7.18
山口県平郡島北岸沖にて戦没*21
1954.9.21 船体引き上げ
1956.5.31
DE-261「わかば」として
海上自衛隊に編入
1971.3.31除籍
1975.5.古沢鋼材に売却・解体

(しい)
舞鶴海軍工廠1944.9.181945.1.131945.3.131945.10.51947.7.5
戦後賠償艦としてソ連へ
引き渡し
艦名を「ヴォーリヌイ*22
に改称。
1947.8.太平洋艦隊に編入
1949.3.種別変更(標的艦)
艦名を「TsL-24*23」に改称。
1959.11.除籍・解体

(えのき)
1944.10.141945.1.271945.3.311945.9.30終戦時大破・擱座状態
(触雷による)
1948.6.〜1948.7.1
三菱七尾造船所にて解体

(あずさ)
横須賀海軍工廠1944.12.29-1945.4.17 工事中止
雄竹
(おだけ)
舞鶴海軍工廠1944.11.51945.3.101945.5.151945.10.51947.7.4
戦後賠償艦として米国へ
引き渡し
1947.9.18 標的艦として処分
初梅
(はつうめ)
1944.12.81945.4.251945.6.181945.10.51947.7.6
戦後賠償艦として
中華民国(台湾)へ引き渡し
艦名を「信陽(シンヤン)」に改称。
再武装後、中華民国海軍海防
第一艦隊に編入。
1961.12.1除籍・解体

(とち)
-1945.5.28*24-1945.5.18 工事中止

(ひし)
1945.2.101945.4.17 工事中止

(さかき)
横須賀海軍工廠1944.12.29
  • 未成艦
    • 早梅(はやうめ)
    • 飛梅(とびうめ)
    • 藤(ふじ)
    • 山桜(やまざくら)
    • 葦(あし)
    • 篠竹(しのだけ)
    • 蓬(よもぎ)
    • 葵(あおい)
    • 白梅(しらうめ)
    • 菊(きく)
    • 柏(かしわ)
    • 黄菊(きぎく)
    • 初菊(はつぎく)
    • 茜(あかね)
    • 白菊(しらぎく)
    • 千草(ちぐさ)
    • 若草(わかくさ)
    • 夏草(なつくさ)
    • 秋草(あきくさ)
    • 薄(すすき)
    • 野菊(のぎく)
    • 4821号艦〜4832号艦

*1 本艦は二等駆逐艦と同様に護衛を主任務とし、艦名も二等駆逐艦に用いられていた植物名が付けられているが、艦隊型駆逐艦としても最低限の性能を持ち合わせるものとして一等駆逐艦に類別された。
*2 その先鞭をつけたのも、他ならぬ日本海軍であった。
*3 アメリカ軍はこれを「東京急行」と呼んでいた。
*4 実際、「竹」では機械室被弾も片舷の軸系が生き残り、航行不能とならずに済んだ戦訓がある。
*5 ちなみに、現代の戦闘艦艇のほとんどはこのシフトエンジン方式を採用している。
*6 本来は、基準排水量が1,000t以下の二等駆逐艦に付けられる名前だった。
*7 米軍機の空襲により大破・航行不能となり、「汐風」?の砲撃によって処分された。
*8 米潜水艦「ホークビル(USS Hawkbill,SS-366)」の雷撃による。
*9 Возрожденный:ロシア語で「復活した」という意味を指す。
*10 ЦЛ-25:「第25号標的艦」といった意味。
*11 ПМ-65:「第65号工作艦」といった意味。
*12 米軍艦載機の攻撃による。
*13 Волевой:ロシア語で「屹然たる、意志の固い」という意味。
*14 ЦЛ-23:「第23標的艦」という意味。
*15 友ヶ島へ向け航行中に触雷。
*16 米軍機の空襲による。
*17 流用可能な部品は、同型艦の「信陽(シンヤン)」(元「初梅」)に使用された。
*18 Ветреный:ロシア語で「風のある、軽薄な」という意味。
*19 Выразительный:ロシア語で「表情豊かな、意味深長な」という意味。
*20 ЦЛ-26:「第26標的艦」という意味。
*21 米軍機の攻撃による。
*22 Вольный
*23 ЦЛ-24:「第24号標的艦」という意味。
*24 船台を空けるため、船体が未完成のまま進水。

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