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【秋津島】 †
日本列島のひとつを構成する「本州島」の古名。「秋津洲」とも。(原義)
明治以後、日本の戦闘艦艇・巡視船の名前として幾度か使われた。
- 大日本帝国海軍・防護巡洋艦「秋津洲」。
明治22年度(1889)計画で建造された防護巡洋艦。
日本で初めて一貫して国内で設計・建造された近代戦闘艦艇であった。
なお、建造に当たってはアメリカの防護巡洋艦「ボルチモア」をタイプシップとしている。
日清戦争?・日露戦争の各作戦や第一次世界大戦の青島攻略戦*1に参加した後、1921年に特務艦(潜水艦母艇)に艦種変更、昭和のはじめに除籍され、横須賀で解体された。
性能諸元 艦種 防護巡洋艦(→二等海防艦→潜水艦母艇) 起工 1890.3.15 進水 1892.7.7 就役 1894.3.31 除籍 1927.1.10 備考 1927.7.29に売却、解体 主建造所 横須賀造船部 常備排水量 3,189t(計画)
3,150t(1894年6月時)全長 91.7m 水線長 92.02m 垂線間長 91.7m(計画)
91.69mまたは91.85m全幅 13.1m(計画)
13.13mまたは13.11m
13.14m(最大幅、二等海防艦時)深さ 8.9m 喫水 5.32m(計画)
5.33mまたは5.32m(平均)主缶 石炭専焼円缶×6基(高円缶両面×4基、補助缶2基(大小各1基))
宮原式缶×8基(二等海防艦時)主機 横置型3気筒3段膨脹式レシプロ機関×2基
推進器×2軸機関出力 計画:8,000shpまたは8,500shpあるいは8,400shp
4,198shp(公試時)
4,403.6shp(試運転時最大)/4,257.3shp(試運転時平均)
8,516shp(二等海防艦時)最大速力 19ノット(計画)
17.5ノット(試運転時最大)/16.7ノット(試運転時平均)
19ノット(二等海防艦時)燃料 石炭:800t
1904年:石炭:500tまたは石炭:300t(定量)/550t(庫量)
石炭:491t(二等海防艦(1920年調))乗員 314名(1893年11月定員)
271名(二等海防艦(1920年調))兵装 アームストロング 1892年型40口径15.2cm単装速射砲×4基
アームストロング 1894年型 40口径12cm単装速射砲×6基
オチキス 40口径4.7cm単装機砲×8基
35.6cm水中魚雷発射管×単装4基
二等海防艦時:
安式15cm砲×4門
安式12cm砲×6門
保式5cm砲×8門
麻式6.5mm機砲×1挺(警備時は2挺)
探照灯×4基搭載艇 8隻(二等海防艦時) 装甲 甲板:76.2mm(主甲板)または38.1mm(平坦部)
防盾:114.3mm(最厚部)
司令塔:114mm(最厚部) - 大日本帝国海軍・水上機母艦「秋津洲」。
大東亜戦争前の昭和14年度(1939年)計画で発注・建造され、1942年に就役した水上機母艦。
同型艦に「千早」があった*2。
名目上は「水上機母艦」であったが、実際には着水した飛行艇への補給・整備が主任務であったため「飛行艇母艦」とも呼ばれていた。
また、基地設営や物資・魚雷艇の輸送、工作艦?任務などにも活躍した。
1944年、フィリピン・コロン湾でアメリカ軍艦載機の攻撃を受けて戦没した。
性能諸元 排水量
(基準/公試)4,650t/5,000t 全長 114.8m 水線長 113m 垂線間長 108.7m 水線幅 15.8m 深さ 9.65m 喫水 5.4m(公試平均) 主機 艦本式22号10型ディーゼル×4基(フルカンギア接続)
(出力8,000hp)補助缶 ホ号艦本式缶(空気余熱器付)×2基 推進器 2軸(350rpm、直径2.5m、ピッチ2.2m) 電源 200kVAディーゼル発電機×2基
2,770kVAディーゼル発電機×1基速力 19kt 燃料 重油:455t(満載) 航続距離 8,000nm/14kt 乗員 545名(計画)
338名(竣工時定員)兵装
(竣工時)八九式40口径12.7cm連装高角砲×2基
25mm連装機銃×2基
九四式爆雷投射機×1基
爆雷×36個兵装
(最終時)八九式40口径12.7cm連装高角砲×2基
25mm機銃(3連装×6基・単装×3挺)航空機 飛行艇1機搭載可能(停泊時) 搭載艇 9m内火艇×1隻、12m内火ランチ×2隻、9mカッター×2隻、6m通船×1隻 補給物資 航空燃料:689t
航空魚雷:36本
航空爆弾:800kg×30個、500kg×15個、250kg・50kg×100個
糧食・真水
魚雷艇×5隻(最終時)レーダー 21号電探7型×1基(最終時) 設備 35t電動クレーン×1基
臨時の工作艦設備(最終時)
同型艦 艦名 主建造所 起工 進水 就役 除籍 備考 秋津洲 川崎・神戸 1940.10.29 1941.7.25 1942.4.29 1944.11.10 1944.9.24戦没 千早
(仮称第303号艦)1942.7.25 戦時建造計画(マル急計画)で計画
起工直後に建造中止、解体第5031号艦 改マル5計画で計画、後に建造取りやめ 第5032号艦 第5033号艦 - 海上保安庁・ヘリコプター2機搭載型(長距離警備)巡視船「あきつしま(JCG Akitsushima PLH-32)」。
日本列島周辺海域(日本国の排他的経済水域)における海賊行為や海上テロ活動への対処、船舶検査などに従事するため、重武装かつ長距離・長期間の警備行動に対応可能な巡視船として設計・建造された船である。
準同型船に「れいめい」「あかつき」「あさづき」がある。
海保ではこの任務に対応できる巡視船として、1990年代に建造された「しきしま」を運用しているが、同船は元々、使用済み核燃料輸送船の護衛用として造られた特殊設計の巡視船であり、姉妹船がないため、運用できる局面が非常に限られる*3ことが欠点であった。
これを補完すべく、同船をベースとしつつも各種の改良を施した*4「準同型船」として設計・建造されたのが本船である。
本船は準同型船である海保最大の巡視船「しきしま」より武装が充実しており、世界でも有数の強力な警戒監視能力を持った巡視船である。
2013年11月28日に就役し、「しきしま*5」と同じく横浜海上保安部の所属となった。
2015年4月、明仁天皇・美智子皇后両陛下(当時)がパラオ共和国を御訪問された際には、本船が宿泊施設として用いられた。
本船が選定された理由としては、パラオ国際空港*6と訪問先のひとつであるペリリュー島との距離がありすぎたことや、移動にヘリコプターが用いられたためであり、海保の他の巡視船に比してペイロードの多いことが決め手になったとみられる。
なお、天皇陛下の外国御訪問に巡視船が使われるのは初めてのことである。
*1 この時は既に二等海防艦籍であった。
*2 こちらは起工直後に建造中止となっている。
*3 特に、同船が補修・点検や改修のためにドック入りしてしまうと、適任な船がなくなって対処が難しくなってしまう。
*4 搭載の機関砲をL-90から「ひだ」型巡視船に搭載のものと同型の40mm機関砲(各国海軍のフリゲートや駆逐艦にも採用されているボフォース社製 トリニティMk.3)に換装するなど。
*5 2018年、鹿児島海上保安部へ配属替えとなっている。
*6 なお余談ながら、同空港は滑走路が短く、日本の政府専用機(当時)・B-747-400が着陸できなかった(B747-400の離着陸には、2500〜3000m級の滑走路が必要となる)ため、日本との往復には全日本空輸のチャーター機(B767-300ER)が用いられていた。