Last-modified: 2017-02-26 (日) 17:31:49 (59d)

【宗谷(巡視船)】(そうや(じゅんしせん))

MSA*1 Soya(PL-107).

1950年代〜1970年代にかけて活躍した、海上保安庁の砕氷巡視船。
1956年に開始された日本の南極観測事業に参加し、「初代南極観測船」として国民の名声を博した。
現在は東京・お台場の「船の科学館」にて繋留保存され、同館の屋外展示施設となっている*2

この他、海上保安庁特殊救難隊が訓練施設として用いている。

また、大東亜戦争開戦前の1930年代に貨物船として就航し、戦時は旧帝国海軍に籍があったため、旧海軍の数少ない現存艦艇である*3と同時に、海上保安庁の巡視船としては「現存する最古の巡視船」でもある。

その生涯

本船は当初、ソ連向けの砕氷貨物船「ボロチャエベツ(Volochaevets)」として、1938年(昭和13年)に竣工した。
当時、日本がソ連から満州・東清鉄道の権利を買収した契約の一部として、同国通商代表部から発注された3隻の貨物船のうち1隻であったが、先に竣工した姉妹船「ボルシェヴィキ」が公試運転の結果、ロイド船級協会の規定する性能を満たせず不合格となっていたことと、第二次世界大戦開戦前という情勢からソ連には引き渡されず、日本の海運会社に買い取られて耐氷型貨物船「地領丸」として就役した*4

発注・建造の経緯から氷海航行能力を持っていたため、海軍が北方海域での強行測量艦として欲しがっていた*5が、ソ連との契約があるため直接海軍に編入できなかった。
1938年末に海軍が本船の購入費を予算に計上したが、ソ連側が「契約違反」だとして抗議、一時は日ソ両国の政治問題にまで発展した。

1940年に正式に海軍へ編入、「宗谷」と改称され、特務艦(強行測量艦兼運送艦)となった。
このとき、武装として8cm単装高角砲1門と25mm連装機銃1基を装備し、測量用として海軍制式の音響測深儀や10m測量艇2隻(定数4隻)を搭載。また、測深儀室・製図室・測量作業室なども設けられた。
1941年12月に大東亜戦争が開戦すると、本船は南太平洋に進出し、物資輸送や測量任務に活躍した。
この間、数度の戦闘に巻き込まれるも大きな被害を受けることなく*6、1945年の終戦まで生き延び、北海道・小樽にて終戦を迎えた。
終戦後は大蔵省(現:財務省)→船舶運営会に移されて引き揚げ輸送に従事し、各地に在留していた邦人の引揚者多数を運んだ。

終戦後の一時期、正式な船名を「宗谷丸」としていた(船体への表記は「宗谷」のままだった)が、後述の海保入りに伴って船名を「宗谷」に戻している。

その後、本船は海上保安庁に移管され、日本各地の灯台に勤務する職員に生活物資を運ぶ「灯台補給船」として使用されていた*7*8が、1956年の「国際地球観測年」において、日本が南極観測事業に参加することとなったため、観測隊の人員・資材輸送を行う「南極観測船」として改装されることになった*9*10
これに際し、南氷洋の航海に耐えられるように船体の補強と耐氷能力を向上する改装が施され、1957年1月、第1次観測隊を載せて南極・オングル島のプリンスハラルド海岸へ到着。観測隊は同地に「昭和基地」を開設した。
その後も日本〜南極大陸を往復し、観測隊員や物資を輸送したが、氷海航行能力は外国の砕氷船に比べて劣っており*11アメリカ海軍の「バートン・アイランド(USS Burton Island AG-88)」*12やソ連の「オビ」などのサポートをたびたび受けていた*13

南極観測任務に就いていたこの期間、本船は南アフリカのケープタウンに通算12回寄港したが、船内の機械・装備品がすべて日本製であったことから、日本の工業力の高さを誇示することになった。
後に、南アフリカ政府は本船をモデルとした砕氷船「R.S.A号」を日本に発注したという。

1962年に、南極観測事業の一時中断*14に伴って昭和基地を撤収した第6次観測隊を日本本土に送り届けたのを最後に、南極観測船としての任務を解除*15されて一般の巡視船に復帰、北海道に配属されて北方海域の警備・救難任務に従事した。
1978年に海保から解役*16*17された後、翌1979年から船の科学館に繋留され、一般公開が始まった。

前述のとおり、現在の本船は博物館の展示物となっているが、公式書類上では「無動力の船」という扱いになっており、必要とあれば舫を解いて動かすこともできるという*18
しかし、竣工から80年近く経過していることと長年にわたる酷使、及び長期の繋留により船体の劣化が進行しているため、2005年〜2015年にかけて補修工事が行われた*19

スペックデータ

特務艦(1945年)
基準排水量3,800t
所属横須賀鎮守府
全長82.3m
全幅12.8m
機関ボイラー×2缶
蒸気タービン×1基1軸推進
(出力1,597hp)
速度12ノット
航続距離5,000浬/8.5kt
武装四〇口径三年式八糎高角砲×1基
九六式二十五粍高角機銃×5挺
九三式十三粍機銃×3挺
九二式七粍七機銃×1挺
落下傘付き爆雷×10発


第6次南極観測仕様(1961年)
総トン数2,736t
排水量(新造時/満載2,224t/4,614t
信号符字JDOX
所属第三管区海上保安本部直轄
母港東京港
全長83.7m
全幅15.8m(バルジ?含む)
機関新潟鉄工所製 8気筒ディーゼルエンジン×2基(出力2,400馬力)
スクリュー2軸推進
速力12.3ノット
航続距離16,400浬/11kt
砕氷能力1.2m(第1次観測から0.2m強化)
貨物積載量500t(観測用物資、初期値400tから増量)
搭載機ヘリコプター×4機(ベル47G2×2機、S-58×2機)
航空機×1機(いずれも露天繋留)
デハビランド・カナダ DHC-2「ビーバー(昭和号)」(第2次〜第5次観測)
セスナ185型(第6次)


巡視船(1970年)
総トン数2,734t
満載排水量3.853t
信号符字JDOX
所属第一管区海上保安本部函館海上保安部
母港函館港
全長83.7m
全幅15.8m(バルジ含む)
機関ディーゼルエンジン(出力4,800馬力)×2基2軸推進
速度13.5kt
航続距離18,578浬/12.7kt
搭載機なし
その他減揺タンク装備



*1 Maritime Security Agency. 海上保安庁のかつての英文表記で、現在の海保保有の船舶であれば「JCG(Japan Coast Guard)」となる。
*2 2011年10月から、陸上の本館部分が無期限休館となっているため、本船の展示と屋外展示物・体験教室プールによる博物館活動を継続している。
  なお、2016年9月〜2017年3月まで本船の一般公開は休止となっている。

*3 後述のとおり、法規上ではいまだ「船舶」として扱われているため、2017年現在、唯一現存する「大東亜戦争に参加した航行可能な船」でもある。
*4 同時に発注されていた僚船「ボルシェヴィキ」「コムソモレツ」は、それぞれ「天領丸」「民領丸」として就役した。
*5 従来、この任務には大正時代に建造された砕氷艦「大泊」を用いていたが、同艦が老朽化していたため、新砕氷艦建造までの繋ぎとして本船を必要としていた。
  しかし、1945年の終戦まで海軍独自の新砕氷艦は建造されなかった。

*6 1944年2月のトラック島空襲の際には回避行動中に座礁し、一時放棄されていたが、自然離礁して漂流していたところを元の乗員に発見され、回収されている。
*7 当初は「水路測量船」にする予定だったが、当時、海保が灯台補給船としてチャーターしていた船が元の船主から返還を求められており、その代船として選定された。
*8 この時代、奄美群島が日本に返還されることになり、それに際して必要となる日本円の現金と不要になるアメリカ軍の軍票、通貨交換業務の要員を輸送する任務にも就いた。
*9 本船以外に、国鉄(日本国有鉄道)の鉄道連絡船「宗谷丸」なども候補に上がっていたが、予算の問題や耐氷構造、船自体の強運を買われて選ばれたという。
*10 この際、種別が「灯台補給船」から「巡視船」に変更されている。
  なお、灯台補給船の後任としては大阪商船から購入した「若草丸」が充てられた。

*11 1957年の第2次観測隊派遣では、悪天候と厚い氷床に阻まれて隊員を送り届けることができず、越冬を終えた第1次隊と共に日本へ引き返さざるを得なくなった。
  なお、当初の南極観測事業は2次隊で終了の予定だったが、この越冬不成立で3次隊の派遣が決まり、その後延長され続けて現在に至っている。

*12 その後、1966年に沿岸警備隊へ移管され、艦籍番号が"WAGB-283"と改められている。
*13 特に、氷海上で立ち往生寸前だった第1次観測隊輸送の時は、救援した「オビ」が、本船を引き離さないよう注意して進まねばならないほどだった、という。
*14 これは、本船自体の老朽化と海保でのパイロットが不足して養成が間に合わなくなったためである。
*15 1965年の南極観測再開後は海上自衛隊が観測隊の輸送業務を引き継ぐこととなり、砕氷艦「ふじ(JS Fuji AGB-5001)」が建造された。
*16 本船の代替として、ヘリコプター搭載巡視船「そうや(JCG Soya PLH-01)」が就役した。
*17 本船の解役式には海上保安庁長官も出席したが、巡視船艇の解役に際して長官が式典に参列したのは、2017年現在本船のみである。
*18 2016年9月22日、それまでの繋留岸壁から100m先の対岸へタグボートの牽引により37年ぶりに移動した(東京都が設置する「新客船ふ頭ターミナル」の工事のため)。
*19 この工事費用は、2003年〜2011年にかけて有志から集められた募金によってまかなわれた。

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