【宗谷】 †
MSA Soya(LL-01→PL-107).
MSA(Maritime Security Agency)は海上保安庁の旧表記。現在の海上保安庁ではJCG(Japan Coast Guard)と表記される。
1950年代〜1970年代にかけて運用された海上保安庁の砕氷巡視船。
1956年に開始された日本の南極観測事業に参加した功績を称えられ、「初代南極観測船」として記念艦として扱われている。
現在は東京・お台場の「船の科学館」にて繋留保存され、同館の屋外展示物となっている(なお、陸上の本館部分は2011年から無期限休館中)。
現在でも書面上は「無動力の船舶」として扱われており(必要とあれば係留索を解いて動かすことができる)、海上保安庁特殊救難隊が訓練施設として利用している。
船歴 †
本船は当初、ソ連向けの砕氷貨物船「ボロチャエベツ(Volochaevets)」として建造され、1938年(昭和13年)に竣工。
しかし、先に竣工した姉妹船「ボルシェヴィキ」が公試運転にて規定の性能を満たせず不合格となったため、ソ連には引き渡されなかった。
このため日本の海運会社に買い取られ、耐氷型貨物船「地領丸」として就役した(僚船「天領丸(ボルシェヴィキ)」「民領丸(コムソモレツ)」も同様に就役)。
同時期、日本海軍も測量艦として同船を欲していたが、ソ連との契約の関係で編入は難航した。
1938年末に海軍が本船の購入費を予算に計上したが、ソ連側が「契約違反」だとして抗議、日ソ両国の政治問題に発展していた。
1940年に正式に海軍へ編入されて「宗谷」と改称、特務艦(強行測量艦兼運送艦)として改修された(僚船「天領丸」「民領丸」は陸軍輸送船として徴用された)。
この時、武装として8cm単装高角砲1門と25mm連装機銃1基を装備。
また、測量用として海軍制式の音響測深儀や10m測量艇2隻(定数4隻)を搭載し、測深儀室・製図室・測量作業室なども設けられた。
1941年12月に太平洋戦争が開戦すると、本船は南太平洋に進出し、物資輸送や測量任務に従事。
数度の戦闘に巻き込まれるも大破に至る事なく、行動可能な状態で終戦を迎えた。
終戦後は第二復員省(海軍省の後身)→大蔵省(現:財務省)から船舶運営会に移され、海外在留邦人の引き揚げ輸送に従事した。
終戦後の一時期、正式な船名を「宗谷丸」と改称されていたが、海上保安庁への移籍に際して「宗谷」に戻されている。
その後、海上保安庁に移管され、日本各地の灯台職員に生活物資を運ぶ「灯台補給船」として運用された。
1956年、「国際地球観測年」において南極観測事業が行われるのに際し、観測隊の人員・資材輸送を行う「南極観測船」として改装。
南氷洋での航海を想定して船体補強と耐氷能力を向上する改装が施され、アラートオレンジと白のハイビジ塗装が施された。
これに伴い船種を「灯台補給船」から「巡視船」に変更されている。
そして1957年1月、第1次南極観測隊を載せて南極・オングル島のプリンスハラルド海岸へ到着。観測隊は同地に「昭和基地」を開設した。
その後も日本と南極大陸を往復し、観測隊員や物資を輸送した。
しかし、基礎設計の古さから、氷海航行能力は他国の砕氷船に比べて劣っており、運行上のトラブルも度々発生していたという。
1962年、南極観測事業の一時中断が決定されると共に、南極観測船としての任務を解除される。
これに伴い一般の巡視船となり、北海道(第一管区函館海上保安部)に配属されて北方海域の警備・救難任務に従事した。
南極観測事業は1965年に再開されたが、これ以後の輸送業務は海上自衛隊の砕氷艦「ふじ(JS Fuji AGB-5001)」に引き継がれた。
1978年、海上保安庁から解役となり、日本海事科学振興財団に管理を委託。翌1979年から船の科学館に繋留され、一般公開が始まった。
なお、この解役式には海上保安庁長官も出席したが、巡視船艇の解役に長官が立ち会ったのは、2023年現在本船のみである。
建造から80年以上という長きにわたる船歴によって船体の老朽化が進行しているため、2005年から2015年にかけて補修工事が行われている。
この工事費は有志からの募金によって賄われた。
スペックデータ †
特務艦(1945年) | |
主造船所 | 川南工業香焼島造船所(現:三菱重工業長崎造船所香焼工場) |
所属 | 横須賀鎮守府(特務艦) 東京港竹芝桟橋(灯台補給船) |
基準排水量 | 3,800t |
満載排水量 | 4,775t |
トン数 | 1,170t |
総トン数 | 2,224t |
全長 | 82.3m |
全幅 | 12.8m |
深さ | 7m |
喫水 | 5.8m |
機関 | ボイラー×2缶 川南式3連式往復動蒸気機関×1基1軸推進 |
出力 | 1,450hp(地領丸) 1,597hp(特務艦) |
速度 | 12.1ノット |
燃料 | 石炭819t、清水417t(灯台補給船) |
航続距離 | 5,000海里/8.5kt |
乗員 | 67名(灯台補給船) |
武装 | 四〇口径三年式八糎高角砲×1基 九六式二十五粍高角機銃×5挺 九三式十三粍機銃×3挺 九二式七粍七機銃×1挺 落下傘付き爆雷×10発 |
レーダー | 三式一号電波探信儀三型(特務艦) スペリーSO-3(灯台補給船) |
ソナー | 英国製音響探信儀(地領丸〜特務艦) 九〇式測探儀、九一式探信儀(特務艦) |
第6次南極観測仕様(1961年) | |
信号符字 | JDOX |
所属 | 第三管区海上保安本部直轄 |
母港 | 東京港 |
純トン数 | 1,142t |
総トン数 | 2,736t |
排水量(新造時/満載) | 2,224t/4,614t |
全長 | 83.7m |
全幅 | 12.8m(バルジ無し) 15.8m(バルジ含む) 17m(ヘリ甲板含む、第3次以降) |
機関 | 新潟鉄工所製 TN8E型8気筒ディーゼルエンジン×2基 |
出力 | 2,400馬力×2、計4,800馬力 |
推進器 | スクリュープロペラ×2軸 |
速力 | 12.3ノット |
航続距離 | 16,400浬/11kt |
航行能力 | 清水407t、燃料658t(重油)を満載時、11ktで60日間の連続航行が可能 (第2次〜6次) |
砕氷能力 | 1.2m(第1次観測から0.2m強化) |
貨物積載量 | 500t(観測用物資、初期値400tから増量) |
搭載機 | ベル47Gヘリコプター×2機(第1次観測) ベル47G2ヘリコプター×2機(第2次〜6次観測) シコルスキーS-58×2機(第3次〜6次観測) 航空機×1機(いずれも露天繋留) セスナ180型「さちかぜ」(第1次観測) デハビランド・カナダ DHC-2「ビーバー(愛称:昭和号)」(第2次〜第3次観測) セスナ185型(第6次観測) |
搭載艇 | 11m大発型救命兼作業艇×1、9m救命艇×1、8m救命艇×1、7.5m救命艇×1 |
レーダー | レイセオン社製レーダー×2基 |
ソナー | QCU-2型×1基、測信儀×2基(中浅海用×1、極深海用×1) |
その他装備 | デリックブーム(5t×2基、3t×2基、2t×2基) 電動ウインチ(3t×30m×4、3t×2) 搭載機用燃料タンク60,000リットル(第3次以降) |
巡視船(1970年) | |
総トン数 | 2,734t |
満載排水量 | 3.853t |
信号符字 | JDOX |
所属 | 第一管区海上保安本部函館海上保安部 |
母港 | 東京港(運用実態としては函館港) |
全長 | 83.7m |
全幅 | 15.8m(バルジ含む) |
機関 | 新潟鉄工所製 TN8E型8気筒ディーゼルエンジン×2基 |
出力 | 2,400馬力×2、計4,800馬力 |
推進器 | スクリュープロペラ×2軸 |
速度 | 13.5kt |
航続距離 | 18,578浬/12.7kt |
搭載機 | なし |
その他 | 減揺タンク装備 |