【三笠】 †
明治時代中期に日本海軍がイギリスから購入した前ド級戦艦。
姉妹艦に敷島、朝日、初瀬がある。
日露戦争で連合艦隊旗艦として華々しい戦果を挙げた事から退役後も記念艦となり、現在も神奈川県横須賀市の三笠公園に保存されている。
保存を行っている公益財団法人「三笠保存会」は、本艦を指して世界三大記念艦の一角と称している。
建造の経緯 †
当時の日本は、中国大陸・朝鮮半島の植民地利権を巡って(あるいは単に南下政策が戦略上の国是である)ロシアと対峙していた。
このため、日本海軍はロシア艦隊への対抗を目的として、戦艦6隻・装甲巡洋艦6隻からなる「六六艦隊」という艦隊整備計画を策定。
この一環である敷島級戦艦の4番艦として、イギリスに発注・建造されたのが同艦である。
建造に当たっては当時最新鋭の(実験的で信頼性の低い)造艦技術が積極的に取り入れられた。
特に装甲素材には、ドイツのクルップ社が開発した特殊合金「クルップ鋼」を採用、同時期の戦艦に比して高い装甲防御力を得ることとなった。
また、本艦を含む「敷島」級以降の日本戦艦は艦幅が広く、当時のスエズ運河を通過できない設計だった。
これにより、ロシア海軍も対日戦を想定して艦幅の広い戦艦を建造したため、スエズ運河を迂回して喜望峰周りでの回航を余儀なくされた。
これがイギリス当局の妨害工作(意図的に艦幅を広げてスエズ運河を通れなくした)なのか、単に性能要件上の理由で艦幅が広くなりすぎたのかは定かでない。
戦歴 †
1901年、三笠は本籍地を舞鶴鎮守府と指定され、1902年3月に竣工。
直ちに日本へ向け出港し、5月に横須賀に到着。その後整備を受け、7月に舞鶴に到着した。
11月に三笠は常備艦隊?旗艦となった。
1903年12月、日露間での戦争が確定的となったため、日本海軍は戦時体制に移行。
戦時の連合艦隊が結成され、三笠は連合艦隊旗艦・第一艦隊旗艦(司令長官:東郷平八郎)となった。
1904年2月6日、日露戦争の勃発と同時に、連合艦隊が出撃。
2月の旅順口攻撃、旅順港閉塞作戦、8月の黄海海戦に参加した。
この際、三笠率いる連合艦隊はロシア旅順艦隊に打撃を与えたが、三笠も後部砲塔が破壊されるなど損害を受けた。
修理を受けるために12月、三笠率いる第一艦隊は根拠地であった裏長山列島を離れて呉に入った。
1905年2月、江田島・佐世保を経由し鎮海湾へ進出。
ロシア第2・第3太平洋艦隊(バルチック艦隊)との決戦に備えて訓練航海を行った。
5月27日、対馬沖海戦?にてバルチック艦隊を迎え撃ち、ロシア戦艦群の集中砲火を浴びながらもこれを撃破。
9月11日、日露戦争が終結した直後、佐世保軍港停泊中に水兵の失火から火薬庫が爆発。
沈没着底に至るも、沈没地点の水深が浅かったため、引き揚げられて現役に復帰。
その後、ド級・超ド級の新型戦艦の登場と共に第一線から退くも、艦種を「海防艦」に変更して現役を続行。
1921年のワシントン海軍軍縮会議で廃棄が決定。
同条約の発効後に除籍されて実弾射撃演習の標的艦として処分される予定だったが、日露戦争での名声から日本国内で廃棄を惜しむ声が高まっていく。
これを受けて上記の条約会議にて他国と協議した結果、再就役不可能な状態にすることを条件に記念艦として保有することが認められた。
1923年、除籍を前提として横須賀軍港に繋留中、関東大震災にて被災。岸壁に衝突・浸水して航行能力を事実上喪失。
これにより、繋留保存が予定されていた東京・芝浦の海岸への回航が不可能となり、急遽、横須賀で保存する事とされた。
白浜海岸の海底を掘って設置した海中ドックに、船首を東京の皇居へ向けた状態で船体を収めた後、土砂・コンクリートを充填して船体を固定された。
戦後の荒廃〜復元 †
その後、第二次世界大戦後に進駐した連合国軍の「武装解除」指示により、砲などの武装が撤去された。
また、敗戦後の混乱期における構造材の盗難や、保存を移管された民間企業による侮辱的な取り扱いなど、一時期は極度の荒廃にあった。
戦後間もなく進駐軍向けの娯楽施設に転用され、甲板上にダンスホールや水族館が設営されていた。
その後、1958年から復元工事が行われ、1961年から記念艦として公開が再開された。
以降、現在まで横須賀の三笠公園に置かれ、原則有料で乗艦・観覧できるようになっている。
上述の理由で上部構造は壊滅的状態にあったため、記念艦としての上部構造物はほぼ全て復元されたレプリカである。
内部も資料展示室・上映室などに作り替えられ、船体自体も埋め立てられているため、事実上「船の形をした資料館」となっている。
本艦の運営・管理は公益財団法人「三笠保存会」に委託されているが、船体所在地は現在でも防衛省所管の国有財産(国有地)となっている。
財務省のデータベース上では海上自衛隊横須賀地方総監部の施設「旧三笠艦保存所」として登録され、検査・修理費も防衛費が充てられている。
財務管理上、船体は建築物としての資産価値を計上されていない。
建築基準における既存不適格建築物に該当するため、文化財としての保存事業から外れた目的への転用・売却は法的に不当だと考えられる。
スペックデータ †
常備排水量 | 15,140t |
全長 | 131.7m |
最大幅 | 23.2m |
喫水 | 8.3m |
主缶 | ベルヴィール式石炭専焼水管缶×25基 |
主機 | 直立型三段膨張式4気筒蒸気レシプロエンジン×2基 |
推進器 | スクリュープロペラ×2軸 |
機関最大出力 | 15,000hp(11,000kW) |
燃料 | 石炭:1,521t |
最大速力 | 18ノット |
航続距離 | 7,000海里/10ノット |
乗員 | 艦長以下860名 |
兵装 | 40口径30.5cm連装砲×2基4門 40口径15.2cm単装砲×14門 40口径7.6cm単装砲×20門 47mm単装砲×16基16門 45cm魚雷発射管×4基 |
装甲 | KC装甲鋼板(クルップ鋼) 舷側:228.6mm〜101.6mm(KC鋼) 甲板:76.2mm〜50.8mm 砲塔:355.6mm〜203.2mm 砲郭:152.4mm〜50.8mm |