Last-modified: 2020-04-18 (土) 07:29:05 (224d)

【厚木海軍飛行場】(あつぎかいぐんひこうじょう)

Naval Air Facility Atsugi/JMSDF Atsugi Air Base.

神奈川県綾瀬市・大和市にまたがる軍用飛行場。通称「厚木基地*1*2」。
海上自衛隊及びアメリカ海軍が共同で使用している*3

神奈川県下では唯一、固定翼ジェット機が運用可能な飛行場でもある。

アメリカ海軍は空母ロナルド・レーガン(CVN-76)艦載機の「第5空母航空団(CVW-5)」が拠点としており、海上自衛隊は航空部隊を統括するメジャーコマンド「航空集団」の司令部が置かれている他、隷下の哨戒機部隊・第4航空群、実験航空部隊の第51航空隊、及び兵站輸送機)部隊の第61航空隊が拠点として用いている。

この他、山口県・岩国基地をベースとする第31航空群第71航空隊の飛行艇捜索救難に備えて前進待機している。

本飛行場のルーツは大東亜戦争中の1942年、日本海軍によって本土防空の拠点として開設された飛行場に端を発する。
東京に一番近い海軍航空隊の飛行場として本土防空の拠点となっていたが、1945年8月15日のポツダム宣言受諾に伴って駐留部隊がこれに反発。
政府・軍高官の説得も効を奏せず、一時は進駐してくる連合国軍との武力衝突寸前の事態にまでなっていたが、直前で反乱部隊の指揮官が病に倒れ、これを契機に部下将兵も退去させられて反乱は収束。
連合国軍は同月28日、本飛行場を接収した。

この2日後、GHQ最高司令官・ダグラス・マッカーサー元帥が乗機「バターン号」で本飛行場に上陸している。

以後、本飛行場はアメリカ陸軍航空隊の飛行場及び陸軍の物資集積所として用いられ、一時は接収解除も検討されたが、1950年の朝鮮戦争勃発を契機に航空拠点として見直され、管轄も陸軍から海軍に移された。
朝鮮戦争の停戦後も基地施設の拡張・整備は進み、1960年ごろには現在と同じような姿になった。

この間、1970年の大阪万博開催時には羽田空港の収容力が限界に達した*4ため、ローカル線の一部が期間限定で本飛行場からの発着に変更されている。

その後、1971年からは海上自衛隊が本飛行場の使用を始め、1973年からは空母「ミッドウェイ」の艦載機が本飛行場を使用するようになり、現在の形になった。
今後、アメリカ軍駐留部隊は戦略の見直しにより、山口県・岩国基地へ順次移転することとなっており、移転後は海上自衛隊の基地として用いられることになっている。

空港情報

種別軍用
滑走路2,438×45(01/19)
3レターコードNJA*5
4レターコードRJTA
ILSあり
設置・管理者防衛省海上自衛隊

配備部隊

海上自衛隊

  • 自衛艦隊航空集団司令部
    • 第4航空群
      • 司令部
      • 第3航空隊(P-1を装備)
      • 第4整備補給隊
      • 厚木航空基地隊
    • 第51航空隊(P-3CUP-3CP-1UP-1C-130RSH-60J/KUSH-60KMCH-101を装備)
    • 第61航空隊(C-130RLC-90を装備)
    • 航空管制隊
    • 第31航空群*6
      • 第71航空隊(US-2・救難待機)
    • 開発隊群
      • 航空プログラム開発隊
  • システム通信隊群横須賀システム通信隊
    • 厚木システム通信分遣隊
  • 横須賀地方警務隊
    • 厚木警務分遣隊

アメリカ海軍

  • 第7艦隊
    • 第51海上攻撃ヘリコプター飛行隊 "ウォーローズ"(HSM-51)(MH-60Rを装備)
  • 第5空母航空団(CVW-5)
    • 第77海上攻撃ヘリコプター飛行隊 "セイバーホークス"(HSM-77)(MH-60Rを装備)
    • 第12海上攻撃ヘリコプター飛行隊 "ゴールデンファルコンズ"(HSM-12)(MH-60Sを装備)


*1 海上自衛隊では「厚木航空基地」と呼称している。
*2 本飛行場は「厚木基地」と呼ばれているが、実際の所在地は厚木市ではない。
  なぜこう呼ばれるようになったかについては資料がなく不明である。

*3 航空管制は海自が行っている。
*4 当時、成田空港は未開港。
*5 余談だが、ICAOの航空会社コードでは「新日本航空」に割り当てられている。
*6 ベースは山口県・岩国基地

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