Last-modified: 2017-09-02 (土) 08:22:41 (18d)

【橘花】(きっか)

日本初にして、旧軍唯一の完成したジェット機。

1944年8月、日本海軍が中島飛行機に対して、ターボジェットエンジン搭載の攻撃機「皇国2号兵器」として開発を命じた。
俗に「ドイツの「Me262」をもとに開発された」といわれているが、当時の日本へもたらされたのは参考図面のみ*1で、実際の設計はほとんど中島飛行機の技術者たちによっておこなわれた。
ゆえに、本機をMe262のコピーというのは不適当である。

Me262に比べ、後退角の非常に浅いテーパー翼や、ずん胴な機体形状などが特徴である。
また、資材節約のために軽合金ではなくブリキやマンガン鋼などの鋼板・鋼材といった代替素材が多用されている。
艦載機ではないが、防空壕へ収納するため主翼は折りたたみ式になっている。

日本の工業地帯がアメリカ軍の空襲を受けるようになったため、開発は群馬の養蚕小屋でおこなわれた。
当初は発動機として「ネ12」ターボジェットが予定されていたが、比較的強力な「ネ20」が開発されて余力が生じたため設計変更がなされ、1号機の完成は1945年6月となった。
同年8月7日に木更津基地で初飛行し、同11日に爆装時の離陸補助火薬ロケットを取り付けての飛行試験を行ったが、主脚や制動装置に零戦のものを流用していたのが災いし、滑走路をオーバーランして大破し、そのまま終戦を迎えた。

パイロットの高岡迪氏の証言によれば、離陸速度に達したくらいで機体全体が前につんのめるような感じになり、ブレーキを踏んだらしい。
しかし、同時にそれを外から見ていた人は「前輪は既に浮き上がりかけていて、ましてつんのめってなどいない」と証言している。

推定最高速度は時速670kmと決して優れたものではなかったが、物資の欠乏した日本では、ガソリンを必要としないジェット機に対する期待が大きかった。
終戦時点で2号機は完成直前であり、他24機が製造中であった。
また同機を複座化した偵察機型や、エンジンをより強化して五式30mm機関砲を装備した局地戦闘機の「橘花改」も計画されていた。

生産されたうちの1機はアメリカ軍が接収し、メリーランド州のパタクセント・リバー海軍基地を経て、スミソニアン航空宇宙博物館?付属のポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設に保管されたのち、現在同博物館別館の復元ハンガーに修復中状態で展示されている。

性能緒元

以下に掲げる諸元は『航空ファン別冊 太平洋戦争・日本海軍機』に記載されていたものである。

種別試作機
主任務沿岸部における対艦攻撃(特別攻撃*2
主契約中島飛行機
初飛行1945年8月7日
乗員パイロット1名
全長9.25m
全高3.05m
全幅10.00m
翼面積13.21
乾燥重量2,300kg
最大離陸重量3,550kg(正規)/4,312kg(過重)
燃料搭載量725リットル(正規)/1,450リットル(過重)
エンジン石川島「ネ20」軸流式ターボジェット×2基
推力475kg(4,655ニュートン)
推定最高速度677km/h(高度6,000m) / 670km/h(高度10,000m)
推定実用上昇高度10,700m
推定最大航続距離584km(高度6,000m)/ 899km(高度10,000m)
武装500kgまたは250kg爆弾×1発



*1 当初、ドイツから設計図面や部品の現物が潜水艦伊29?」で運ばれてくることになっていたが、その潜水艦が日本への帰路、バシー海峡で撃沈されてしまう。
  最終的に日本に持ち込まれたのは、シンガポールで零式輸送機に乗り換えた便乗者が持ち出したごく一部の資料だけであった。

*2 本機の正式な種別は「特殊攻撃機」であるが、実用化されれば劣悪な戦局のため、特攻に使われることは明白であった。

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