Last-modified: 2022-11-29 (火) 22:30:03 (18h)

【橘花】(きっか)

日本初にして、旧軍唯一の完成したジェット機。

1944年8月、日本海軍が中島飛行機に対して、ターボジェットエンジン搭載の攻撃機「皇国2号兵器」として開発を命じた。
一般に「ドイツの「Me262」を原型に開発された」といわれているが、当時にドイツから日本へもたらされたのは不完全な参考図面のみ*1で、実際の設計はほとんど中島飛行機の技術者たちによって行われた。
ゆえに、本機をMe262のコピーというのは不適当である。

実際、Me262と比べて一回り機体規模が小さく、後退角の非常に浅いテーパー翼や、ずん胴な機体形状など大きな差異が存在する。
また、資材節約のために一般的な軽合金ではなくブリキやマンガン鋼などの鋼板・鋼材といった代替素材が多用されている。
艦載機ではないが、防空壕へ収納するため主翼は折りたたみ式とされた。

日本の工業地帯がアメリカ軍空襲を受けるようになったため、開発は爆撃目標となる可能性の低い群馬県の養蚕小屋で行われた。
当初は発動機として「ネ12」ターボジェットが予定されていたが、比較的強力な「ネ20」が開発されて余力が生じたため設計変更がなされ、1号機の完成は1945年6月となった。
同年8月7日に木更津基地で初飛行し、同月11日に爆装時の離陸補助火薬ロケット(RATO)を取り付けての飛行試験を行ったが、開発期間の短縮を狙って主脚や制動装置零式艦上戦闘機のものを流用していたのが災いし、離陸中止に対応しきれず滑走路をオーバーランして大破、そのまま終戦を迎えた。

試験飛行を担当した搭乗員の高岡迪氏によると、離陸開始後に機首上げが発生、離陸速度に達する頃に加速が鈍り、高迎え角時の失速に伴う墜落を防ぐため、離陸を中止したという。
機首上げは離陸補助火薬ロケットの取り付け位置の関係から、加速度低下は離陸補助ロケットの燃焼終了に伴う推力減少によって発生したものと考えられる。

推定最高速度は約670km/hと当時の日本軍機の中でも高速ものとなったと推測される。
また、このエンジンにはガソリン以外の燃料でも動作が可能である、という物資の欠乏する日本にとっての大きな利点が存在した。

終戦時点で2号機は完成直前であり、他24機が製造中であった。
また計画型として、同機を複座化した偵察機型や、強化されたエンジンを搭載して五式30mm機関砲を装備した局地戦闘機型の「橘花改」が存在した。

生産されたうちの1機はアメリカ軍が接収し、メリーランド州のパタクセント・リバー海軍基地を経て、スミソニアン航空宇宙博物館?付属のポール・E・ガーバー維持・復元・保管施設に保管されたのち、現在同博物館別館の復元ハンガーに修復中状態で展示されている。

関連:Me262 火龍?

性能緒元

以下に掲げる諸元は『航空ファン別冊 太平洋戦争・日本海軍機』に記載されていたものである。

種別試作機
主任務沿岸部における対艦攻撃(特別攻撃*2
主契約中島飛行機
初飛行1945年8月7日
乗員パイロット1名
全長9.25m
全高3.05m
全幅10.00m
翼面積13.21
乾燥重量2,300kg
最大離陸重量3,550kg(正規)/4,312kg(過重)
燃料搭載量725リットル(正規)/1,450リットル(過重)
エンジン石川島「ネ20」軸流式ターボジェット×2基
推力475kg(4,655ニュートン)
推定最高速度677km/h(高度6,000m) / 670km/h(高度10,000m)
推定実用上昇高度10,700m
推定最大航続距離584km(高度6,000m)/ 899km(高度10,000m)
武装500kgまたは250kg爆弾×1発



*1 当初、ドイツから設計図面や部品の現物が潜水艦伊29?」で運ばれてくることになっていたが、その潜水艦が日本への帰路、バシー海峡で撃沈されてしまう。
  最終的に日本に持ち込まれたのは、シンガポールで零式輸送機に乗り換えた便乗者が持ち出したごく一部の資料だけであった。

*2 本機の正式な種別は「特殊攻撃機」であるが、実用化されれば劣悪な戦局のため、特攻に使われることは明白であった。

トップ 編集 凍結 差分 バックアップ 添付 複製 名前変更 リロード 新規 一覧 単語検索 最終更新ヘルプ   最終更新のRSS