【伊-四〇〇】 †
旧日本海軍が第二次世界大戦中に建造した超大型潜水艦。別名「
同型艦には「伊-四〇一」「伊-四〇二」がある*1。
正式名称は「伊号第四〇〇番潜水艦」と呼ばれ、部内では「特潜」とも呼ばれていた。
日本海軍の作戦構想は基本的に「戦艦を中心とする主力艦隊同士の砲撃戦(所謂艦隊決戦)」であったが、この作戦構想の中で、潜水艦には
「前方海面に進出して敵艦隊の兵力・位置・動向を探知、可能ならばこれに雷撃を加えて兵力を減殺する」
「主力艦隊同士の戦闘が終了した後に適宜夜襲を加えて残敵を掃討する」
という任務が割り振られていた。
この為に大型で航続力の長い「巡洋潜水艦(巡潜型)」と呼ばれる艦が数多く建造され、また、一部の艦には索敵範囲の拡大及び艦隊連絡用に小型の水上機が搭載されていた*2。
本艦型は基本的にこれらを拡大・発展させたものであるが、設計・建造に当たっては、南アメリカ大陸南岸を通過してアメリカ東海岸の戦略拠点を攻撃することが念頭に置かれ、33,000海里もの航続距離が要求されていた。
また、搭載機は新たに開発した水上攻撃機「晴嵐(M6A1)」?3機とされた*3。
この事からか、本艦には後年「潜水空母」との異名を与えられている*4。
18隻の建造を計画していたものの、戦況の加速度的な悪化により就役できたのは上記の3隻に止まり*5、更に攻撃目標も敵機動部隊の集結地であるウルシー環礁に変更された。
昭和20年8月の敗戦時、ウルシー攻撃を目指して航行中だった伊-四〇〇・伊-四〇一の2隻は東北沖の太平洋上で米海軍に降伏。
戦時賠償としてアメリカに接収された2隻は、検証が行われた後にハワイ沖で実艦標的として海没処分された*6が、本艦の設計思想は後年、核弾頭を装備した巡航ミサイルや弾道ミサイルを多数搭載し敵の戦略拠点を叩く「戦略潜水艦」に発展した。
また、攻撃潜水艦の搭載兵装にも対艦ミサイルが搭載されるようになり、潜水艦の新たな可能性を切り開く基ともなった。
スペックデータ †
主造船所 | 呉海軍工廠(伊-四〇〇、伊-四〇四) 佐世保海軍工廠(伊-四〇一、伊-四〇二) 川崎重工業泉州工場(伊-四〇五) |
排水量 (基準/常備/水中) | 3,530t/5,223t/6,560t |
全長 | 122m |
全幅 | 12.0m |
喫水 | 7.02m |
機関 | 艦本式二二号十型ディーゼル×4基 1,200馬力モーター×2基 |
推進器 | 2軸 |
最大出力 | 7,700hp(エンジン) 2,400hp(モーター) |
燃料搭載量 | 重油:1,750t |
最大速力 | 18.7kt(水上) 6.5kt(水中) |
航続距離 | 37,500海里/14kt(水上) 60海里/3kt(水中) |
安全潜行深度 | 100m |
連続行動期間 | 約4ヶ月 |
乗員 | 艦長以下157名 |
兵装 | 艦首53cm魚雷発射管×8門(魚雷20発) 40口径14cm単装砲×1門 九六式25mm機銃×三連装3基・単装1挺 |
艦載機 | 水上攻撃機「晴嵐」×3機 |
装備 | 四式一号一〇型射出機×1基 |
電探 | 二二号電探×1基、十三号電探×1基 |
同型艦 †
艦名 | 起工 | 進水 | 就役 | 退役/除籍 | 備考 |
伊-四〇〇 (第5231号艦) | 1943.1.18 | 1944.1.18 | 1944.12.30 | 1945.9.15 | 1946.6.4 実艦標的として ハワイ近海で撃沈処分 |
伊-四〇一 (第5232号艦) | 1943.4.26 | 1944.3.11 | 1945.1.8 | 1945.9.15 | 1946.5.31 実艦標的として ハワイ近海で撃沈処分 |
伊-四〇二 (第5233号艦) | 1943.10.20 | 1944.9.15 | 1945.7.24 | 1945.11.30 | 1946.4.1 実艦標的として 長崎県五島列島北方の 東シナ海で撃沈処分 |
第5234号艦 | - | 戦局の悪化により 1943.10.に計画中止 | |||
伊-四〇四 (第5235号艦) | 1943.11.18 | 1944.7.7 | 1945.8. (予定) | - | 1945.6.4 95%完成時点で建造中止 1945.7.28 呉軍港空襲により大破 後に技術秘匿のために自沈処分 1951.12.浮揚、翌年解体 |
伊-四〇五 (第5236号艦) | 1944.9.27 | - | 起工直後に建造中止、解体 | ||
第5237号艦 〜第5240号艦 | - | 戦局の悪化により 1943.10.に計画中止 | |||
第5241号艦 〜第5248号艦 | 戦局の悪化により 1943.7.に計画中止 |
*1 「伊-四〇三」「伊-四〇四」「伊-四〇五」は建艦途中で工事中止となった。
*2 このアイデア自体は列強各国でも試されたが、実用化したのは日本だけである。
*3 計画当初は2機搭載の予定であったが、建艦数の削減を受けて1機追加される事となった。
*4 ただし、実際には水上機しか運用できなかったため、「潜水水上機母艦」といった方が実態に近しいと思われる。
*5 その中の1隻「伊-四〇二」は航空燃料輸送用の潜水タンカーとして使われていた。
*6 この他、呉で爆撃により損傷したまま終戦を迎えた伊-四〇二が、東シナ海でアメリカ軍の実艦標的として沈められている。
*7 その理由については潜水空母の項を参照のこと。
*8 戦後、アメリカでF2Y「シーダート」ジェット水上戦闘機を搭載する原子力潜水空母が構想されていたが、F2Yの開発中止によって構想のみに終わっている。