【ルフトバッフェ】 †
Luftwaffe (F)
以降の記述は全て2.の解釈に基づく。
戦間期のドイツ(ナチス政権下)はヘルマン・ゲーリング?の指揮下のもと、第一次世界大戦以来の新生ドイツ軍のうち、陸海軍とは別に空軍を独立させた。
ドイツ空軍は第二次世界大戦直前の「スペイン内戦」に義勇軍名目で参加、実戦経験と共に新型航空機の試験運用、及び運用方法の模索が行われた。
第二次世界大戦においては、開戦直後は航空戦闘のみならず、敵の機甲戦力に対する急降下爆撃が威力を発揮、ポーランドやフランスなど、ドイツ軍のヨーロッパ全域への展開に大きな役割を示した。
しかし、続く攻勢作戦では「英本土航空戦」やソビエトでの「スターリングラード」などで機材、パイロット共に大きく損耗した。
以後、それらを十分に回復できないまま戦況の悪化が進み、最終的に連合国軍の物量差に敗れ、潰滅した。
単独で通算100〜300機以上を撃墜したエースを多数生み出した事でも知られる。
これは逆説的に、休暇や交代もままならないほど戦況が逼迫し、同じパイロットが完全に戦闘不能になるまで延々と戦い続けていた事を示している。
第二次世界大戦終結後に一度解体されるも、1955年に西ドイツが新生ルフトバッフェを創設。
1990年の東西統一に伴って東ドイツ空軍(ドイツ国家人民軍航空軍)を吸収して現在に至る。
この際、ドイツ最終規定条約によって旧東ドイツ空軍将兵の多くが失職し、残留後も軍縮によって解雇されていった。
特に冷戦期には西側陣営の最前線ということもあり、世界でも最高水準の自動化迎撃システムを採用していた。
世界各国の空軍で、これに匹敵する防空網をもっていたのはアメリカ空軍と日本の航空自衛隊だけである。
しかし、冷戦終結後は戦略環境の変化と従来から存在した政治的要求から無秩序な軍縮が始まり、予算不足で危機的状況に陥っている。
2018年にはユーロファイター・タイフーン用の交換部品が枯渇し、保有する128機中124機が実働不能に陥っていたという。
しかも、これは兵站全体に関わる慢性的な問題であり、タイフーン関連部署だけが異常な冷遇を受けていたわけではない。
主な空軍基地 †
基地名 | 所在地 | 備考 |
ケルン・ボン空港 | ノルトライン=ヴェストファーレン州 ケルン・ボン | 軍民共用空港 |
ロストック=ラーゲ空港 | メクレンブルク=フォアポンメルン州 ラーゲ | |
ノイブランデンブルク空港 | メクレンブルク=フォアポンメルン州 ノイブランデンブルク | |
ネルフェニッヒ航空基地 | ノルトライン=ヴェストファーレン州 ネルフェニッヒ | |
シュレースヴィヒ航空基地 | シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 シュレースヴィヒ | |
ホーン航空基地 | シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 レンツブルク | |
ヴィットムントハーフェン航空基地 | ニーダーザクセン州ヴィットムント | |
ヴンストルフ航空基地 | ニーダーザクセン州ヴンストルフ | |
イェファー航空基地 | ニーダーザクセン州ショルテンス | |
ディープホルツ航空基地 | ニーダーザクセン州ディープホルツ | |
ランツベルク・アム・レヒ航空基地 | バイエルン州ペンツィング | |
エルディング航空基地 | バイエルン州エルディング | |
ノイブルク・アン・デア・ドナウ 航空基地 | バイエルン州 ノイブルク・アン・デア・ドナウ | |
ビューヒェル航空基地 | ラインラント=プファルツ州 ビューヒェル | アメリカが保有する核兵器 を保管するドイツ唯一の航空基地 |
ホルツドルフ航空基地 | ザクセン=アンハルト州 イェッセン |
主要装備 †
戦闘機・攻撃機 | ユーロファイター・タイフーン パナビア・トーネードIDS |
電子戦機 | パナビア・トーネードECR |
空中給油機 | エアバスA310MRTT(輸送機兼用) |
輸送機 | トランスポルト・アリアンツC-160D「トランザール」 エアバスA400M「アトラス」 |
政府専用機 | エアバスA310-304 エアバスA319CJ エアバスA321-200 エアバスA321LR(2機発注中) エアバスA340-300(元ルフトハンザドイツ航空の機体) エアバスACJ350(3機発注、1機引渡済み) ボンバルディア・グローバル5000/6000 |
練習機 | セスナT-37「トゥイート」 ノースロップT-38「タロン」 グロブG-120 |
ヘリコプター | シコルスキーCH-53 エアバス・ヘリコプターズH145M アエロスパシアルAS532U2(VIP輸送用) |
UAV | IAIヘロンTP |