Last-modified: 2017-04-02 (日) 09:04:55 (142d)

【コンベア880】(こんべあはちはちまる)

Convair CV880.

アメリカのジェネラル・ダイナミクス社コンベア部門*1が、1950〜1960年代に開発・生産した中型ジェット旅客機
コンベア初のジェット旅客機であった。

本機は元々、トランス・ワールド航空の実質的オーナーであったハワード・ヒューズ氏の強い意向により「『世界最速の』高速旅客機」として開発された*2
先行する競合機・ボーイングB707ダグラスDC-8に追いつくため、試作機の製作を省いていきなり量産型「-22型」が生産された。

当初はボーイングB377のように、機内にラウンジを設けると発表されたが、これは採用されなかった。

設計にあたり、高速性を追求するため、強い後退角前縁スラットすら省かれた*3主翼に超音速軍用機用のターボジェットエンジン(アフターバーナーは省略)を採用した*4が、このために離着陸が非常に難しくなり、また、エンジンの整備も煩雑で信頼性に乏しい上、大騒音で黒煙を吐くところも顧客に嫌われた*5
また、ライバル機より一回り小型な割に高燃費な面も受注の伸び悩みにつながった。

このため、1960年には大幅改良型の「-22M」に生産が切り換えられたものの、本機よりキャパシティの大きなB720などと競合して受注は伸びず、更にエンジンをターボファンに改良したCV990に生産が移行したため、わずか67機の生産にとどまった。
現在、運用されている機体はないが、アメリカで1機*6が静態保存されている。

日本ではフラッグキャリア日本航空が-22M型を8機、日本国内航空が同じく-22M型1機*7を導入した。

当時、日本航空は国際線にDC-8の導入を進める一方、国内線にはDC-4DC-6DC-7といったレシプロ機を用いていたが、いち早くターボプロップ機を導入していた全日本空輸に差をつけられていた。
その巻き返しを図る意味で「ジェットアロー」の愛称をつけて用いていた。

しかし、(前述のように)機体の扱いにくさや大きな騒音、ペイロードの小ささから現場では嫌われ、また、訓練中の事故で3機*8が喪失したこともあって、DC-8の国内線への導入やB727の導入に伴い、1971年に退役した*9
これはJALの歴代フリートでも最短命な機体でもあった。

スペックデータ

乗員3名(機長副操縦士航空機関士
座席数110名(最大)
全長39.42m
全高11m
全幅36.58m
翼面積185.8
アスペクト比7.2
空虚重量42,730kg
最大離陸重量87,730kg
ペイロード10,900kg
エンジンGE CJ-805-3ターボジェット×4基(出力51.95kN)
巡航高度10,700m
航続距離5,120km


バリエーション

CV880-22
初期型。
CV880-22M
前縁スラットの追加、エンジンの改良などを施した改良型。
初期型の-22型も同型に改装された。

*1 元コンソリデーテッド・ヴァルティ。
*2 当初はロッキードに発注しようとしたものの、当時のロッキードは軍用機ターボプロップ旅客機・L-188「エレクトラ」の生産に集中していたためコンベアにお鉢が回ってきたという。
*3 改良型の-22M型以後では装着された。
*4 しかし実際には、空気抵抗が過大なため高速性は実現しなかった。
*5 当時はジェット機の大量就役により、空港周辺の騒音公害が世界各地で問題となっていた。
*6 登録記号:N880EP。デルタ航空の機体をロック歌手のエルヴィス・プレスリー氏が購入して自家用機「リサ・マリー」として用いていたもの。
*7 元スイス航空の機体「銀座号」。日本航空にリースされたが事故で喪失。
*8 うち1機は日本国内航空からリースした「銀座号」だった。
*9 B747の下取りとしてボーイング社に売却された他、本機を多く運航していたキャセイ・パシフィック航空にも売却された。

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