Last-modified: 2013-06-25 (火) 02:28:06 (1399d)

【イスラム原理主義】(いすらむげんりしゅぎ)

Islamic fundamentalism
イスラム教の経典「コーラン」に忠実であろうとする考え方のこと。
元来、原理主義(根本主義)とは、キリスト教圏においてプロテスタントの一部勢力が
「聖書の一字一句を言葉どおりに解釈する」
として排他的な宗教活動をおこなった事を指す言葉である。
これになぞらえ、イスラム教の中でもコーランに忠実であろうとする勢力を、西側諸国のマスコミなどがこう呼んだ。

そのイデオロギーに関して統一された教条はないし、そもそもイスラム教を統率する国際的な教団組織もない。
しかしその主張はおおむね保守主義ないし反動主義で、前者を穏健な主流、後者を過激な少数派とみる。

その主張を要約すれば、こうだ。

「近代ヨーロッパの思想や制度は、アラブ諸族の社会的な危機と問題に対して何の解決にもならなかった。
 よって、我々は自分達の理想に立ち返らなければならない。つまり、イスラム的な解決が必要だ」

もちろん、合理的に考えれば「イスラム的な解決」が現実の全てを解決してくれない事は明白である。
アラブ諸国においても富裕層・有識層には功利主義者が多く、イスラム教徒全体に占める原理主義者の割合は決して高くない。
ことに非アラブ人のイスラム教徒にいたっては、そもそも根底にあるアラブ民族の危機に関する問題意識そのものが理解困難である。

また、「イスラム的な解決」に魅力を感じる事と、暴動やテロに参加して同胞を殺すのが正義だと信じる事は全くの別問題である。
イスラム原理主義者のほとんどは素晴らしい法秩序を求めているのであり、素晴らしい法秩序はつねに暴動やテロに優る。

関連:中東戦争 イラン革命? 9.11事件

概念と歴史

実際のところ、イスラム原理主義がイデオロギーとして台頭し始めたのは少なくとも1967年以降の事である。
少なくとも第二次世界大戦終結の時点において、イスラム教はそれ自体でイデオロギーとして成立するものではなかった。

1940年代から60年代までのアラブ世界は、「アラブ民族社会主義」を主要な政治思想として掲げていた。
国有化・計画経済によって国民の生活を安定させ、最終的には自由な共和制のアラブ統一国家を打ち立てる事が目的とされていた。

後にNATOとなる西側諸国にとって、中東に新たな列強が出現するのは脅威であった。

しかし、アラブ諸国の連帯は中東戦争、特に6日間戦争の惨敗によって壊滅的な打撃を受けた。
結果的に、アラブ民族社会主義はアメリカとイスラエルという脅威を前に潰え、アラブ諸国は離散し始めていった。
これがアラブ民族にとっての受難と危機の始まりであった、という点でアラブ諸国の歴史観はおおむね一致する。

この衝撃の後、アラブの知識階級の多くがマルクス主義・共産主義に傾倒し始めた。
国内の社会問題などの責任転嫁も含め、資本主義(すなわちアメリカ)の打倒こそ大義だと提唱し始めたのである。
どの段階でソ連が浸透し始めたかは定かでないが、やがてこの思想は大量の国際テロリストを生み出す事となる。
遠く離れた極東の日本赤軍?なども含め、全世界の共産テロリストによる「世界同時革命?」が盛んに唱えられ、実践された。
これが今日まで続く「アラブの過激派」の源流にして原因である。

とはいえ、国際共産主義は本質的に反政府テロによるクーデターである。
国家による弾圧は避けられなかった。アラブ諸国でもイスラエルと協同で「共産主義の撲滅」に勤めたほどである。
中東問題の主戦場であったパレスチナでさえ現実路線に切り替える*1に至り、共産主義もまた崩壊に至った。

時を同じく1970年代から、イスラム原理主義に繋がる「イスラム的な解決」という思想もアラブ諸国に浸透していった。
具体的にイスラムが何をどう解決するのかは全くもって定かではなかったが、ともかくイスラム的な解決が唱えられた。
問題が起きているのは不信心な政府・信仰に反する社会制度によるもので、これを打破すれば状況は改善すると信じられたのだ。

異教徒の立場で見る限り、「イスラム的な解決」を標榜するイスラム原理主義が責任転嫁以外の何かだと考えるのは困難だろう。
しかし当時、アラブ社会の内側から「もっと建設的で説得力のある計画」を提唱する人間はついに現れる事はなかった。

この「イスラム的な解決」はまず、石油利権で急速に富裕化したイランで大々的に実践された。
当時のイラン国王はオイルマネーを背景とした近代化政策を推し進めていたが、貧富の差などから国民の反発を買う。
これにより「イラン革命」が勃発して王朝は崩壊。イスラム教シーア派の法学者ホメイニーを国家元首とするイラン共和国が誕生。
革命の経緯から西欧化政策は撤回され、古典的イスラム法典による政教一致政治という史上類を見ない体制が敷かれた。
体制を維持した多くのアラブ諸国でも、イスラム原理主義は信徒から素朴な支持を集め、無視できない影響力を振るっている。

イスラム原理主義過激派

夢破れたからといって、テロリストが勝手に世を儚んで一人残らず自殺してくれるわけではない。

「世界同時革命」の理想が破綻した後も、かつての共産主義国際テロリストの多くは闘争を継続した。
首尾良く講和して紛争から足を洗えた人々は良いとして、それ以外はみな指名手配犯ないしその予備軍である。
特に技量として最精鋭、思想として最先鋭を走る者ほど、テロリストを辞める機会を失っていた事は想像に難くない。

しかし、テロリズムが活動を続けるには思想上の弁明が必要である。
マルクスの『資本論』が教典として機能しなくなったため、アラブ人テロリストはその代わりの教典を必要とした。
そして、選ばれたのは『コーラン』をはじめとするイスラム教の聖典と古い慣例であり、「イスラム的な解決」であった。

テロ組織は隆盛していくイスラム原理主義から白眼視を受けつつも、その中の非主流過激派を吸収する事に成功。
やがては往時の勢力を取り戻し、テロリストとしての活動を再開していく事になる。

イスラム原理主義過激派の根本的な目標は、構成員の故郷であったアラブ諸国におけるクーデターであった。
しかしアラブ諸国の情勢はそれを可能とするようなものではなくなったため、専業テロリスト達は仕事の場を失っていた。
解決策として見出されたのが「イスラムを汚す資本主義(アメリカ)」に責任を転嫁した上での国際闘争である。
実際には前段階の「世界同時革命」も戦う場を求めてテロリストが拡散していったものとも言え、惰性のテロとも言える。

イスラム原理主義過激派は中東各地の紛争に一種の傭兵として関与し、武装勢力として維持発展していく。
しかしその過程で戦場を活動の中核とする反社会性・残虐性を助長させ、その事で次第に支持母体を失っていった。
また、冷戦終結によってアメリカが本格的にテロ対策を乗り出し始めた事により、求心力や資金源も削られていった。

かくして追い詰められた彼らは9.11事件を引き起こすに至り、アメリカとの非対称戦争を余儀なくされ、粉砕された。
しかし敗戦を経てもなお彼らは消滅には至っておらず、現代に至ってもなおテロリストの命脈と技術は継承され続けている。


*1 1988年にパレスチナ国家が宣言され、国連安保理決議の受諾、イスラエルの生存権の承認、テロの放棄を公的に宣言。
  パレスチナ自治政府として事実上の独立と戦争講和に成功した。


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